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「侑里くん?キミは今朝、水平リーベしか覚えてないと言ったね?」
「うん。言うたな。」
「じゃあ二酸化炭素を化学式で表した文字とかは分かってる?」
「化学式?なんやそれ。」
「あるやろ?…ほら、よく聞くあれやん。」
「よく聞くあれ?…あっ、H2O?」
「そ〜れ〜は〜水やぁあぁ!!!!!」
放課後の誰も居なくなった教室の黒板前に侑里を座らせ、今侑里が口にしたばかりのH2Oという文字を黒板に書き、“=水!!!”とでかでかと書き足した。呑気に「あ〜水やったか。」と言っている侑里はほんとにやばいかもしれない。これは、赤点どころの問題ではないかもしれない。
ちなみに今日はもうテストが近いということで、放課後になると光星は先に帰っていった。寂しいけど来週まで光星くんはお預けだ。
「これ中学で習わへんかった?」
「そやったかなぁ。覚えてへんわ。」
「侑里って受験で筆記試験受けてへんの?」
「筆記試験?受けたかなぁ…面接はしたで?」
「……すごいなぁ、侑里ほんまにサッカーだけで高校入ったんやなぁ。」
って、いやいや、感心してる場合ではない。
もうこれはテスト勉強どころではない。一から覚え直しだ。寧ろ化学は捨ててもうそれ以外の苦手な教科に専念すべきかもしれない。
「二酸化炭素はCO2。なんでこれが化学式って言うんかっていうとな?」
説明しながらカッカッカッ、とチョークで黒板にまた文字を書いた。
「水平リーベ覚えたんやんな?Cはなに?」
「C?…炭素!」
「おぉ!合ってる!じゃあOは?」
「O?………酸素!」
「おお!!ちゃんと覚えてるやん!この2つがくっつくとCO。一酸化炭素になるんやけど、これ化学式!わかる?」
「おぉ、なるほどな。」
俺の説明に侑里が頷いてくれたから、とりあえずはホッとした。そんな基礎から説明を始め、徐々にテストに出てきそうな問題の説明に移っていくと黒板は文字だらけになってくる。
せめて当てずっぽうでもいいから文字が書けるように、テストに出そうなワードを赤チョークででかでかと書きながら侑里に復唱させる。
「二つ以上の物質は混合物!」
「混合物!」
「混合物から物質を分けることを分離!」
「分離!」
「液体と個体を分離することをろ過!」
「ろ過!」
体育会系っぽく侑里に大声で叫ばせていたら、廊下にゾロゾロと何人か通りかかり、「なんだあれ?」と教室の中を覗かれてしまった。
「うわっ、香月と永遠くんじゃん。なにやってんの?二人で勉強?仲えぇどすなぁ?」
ガラッと戸を開けてニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら教室の中に入ってきたのは佐久間だった。その後に続き、ゾロゾロと数人中に入ってきてしまった。
最悪だ。さっさと家帰って勉強しろよ、という視線を送るが、佐久間たちはガタッと椅子を引いて後方の席に座りだした。侑里も鬱陶しそうに冷ややかな表情でチラッと後方へ目を向けるが、意外なことに大人しく口を閉じている。
「結局香月が永遠くんと上手くいってんの?」
「そうみたいだな。」
「実はもう付き合ってたりする?」
……なんの話やねん。人が勉強してんのにぺちゃくちゃと大声で喋り始めやがって。
とても勉強していられる空気ではなくなってしまい、黒板消しで自分が黒板に書き殴った文字全部を消しにかかった。
「侑里、場所変えるで。」
「はいはーい。」
黒板の文字を消し終えて侑里にそう声をかけると、侑里は大人しく言われた通りバサッと鞄の中に勉強道具を片付けてから席を立つ。
何も言わずに二人で教室を出た後も、ひたすら佐久間たちが俺と侑里のことについて喋ってる声や笑い声が廊下まで聞こえていてなんか感じ悪い。
「あいつらは俺と侑里のことをなんやと思ってるん?仲良くしてたらあかんのか?」
「ええんやで。仲ようしよ。」
事あるごとに絡んでこられて、鬱陶しくて小言が漏れると、侑里は俺の肩に腕を回し、だらんと凭れかかってきながら俺の髪をくしゃくしゃと撫でてきた。
ボディータッチがやたら多い。だから佐久間に変な風に話されてしまうのだ。
「侑里がいっつもそんな感じで俺に絡むからあいつらに変な風に見られてるやん。」
「ん?変な風にって?」
「…付き合ってるとか。さっきそんなん言うてるん聞こえてきた。」
喋りながら廊下を進み、結局寮の侑里の部屋で勉強しようかと行く先を決めてから階段を降りる。
「ふぅん?俺と永遠が付き合ってるって?ええやん。じゃあそういうことにしとくか?」
「なんでやねん、嫌やわ。」
「なんで?いいやん。そういうことにしとこうや。」
だんだん話が変な方向に進んでいる。侑里が何を考えているのか俺にはまったく分からない。侑里のことだから、特に意味のない適当な発言のようにも思える。
「…嫌や。おかしいやろ。なんで俺と侑里が付き合うねん。」
「じゃあ永遠は誰やったら付き合いたい?どんな奴が永遠の好み?」
侑里の問いかけにすぐに浮かぶのは光星だ。でもここで光星の名前を上げるのもおかしい。言葉に詰まり、「優しい人。」とかいうありきたりな返事をした。
「ふぅん?優しい人ねぇ。…浅見は?」
「……なんでそこで光星が出てくるんや。」
おかしいやろ、って言いながら、侑里の口から光星の名前が出てきた瞬間、俺の心臓がドキドキし始めてしまった。本当は光星と付き合いたい。でも俺と光星が付き合うのはおかしい。友達やのに付き合いたいとか、そういう対象になってるのはおかしい…。
「朝俺の光星くんとか言うてたやん。」
「あッ…!あんなん冗談やんかッ!!」
「え〜?なんや。てっきり浅見のこと好きなんかと思たわ。」
侑里のその返しには否定できず黙り込んでしまい、暫しの沈黙の時間が流れてしまったのは失敗だった。そんな俺の態度が怪しかったのか、侑里に疑うような目を向けられている。
「じゃあ永遠浅見とは付き合える?」
「どんな質問やねん!おかしいやろ!」
「おかしないって、付き合えるか付き合えへんか。ガチな話どっち?」
グイグイ、グイグイと、侑里の質問が俺の光星に対して抱いている気持ちを引き出させようとしている気がしてしょうがない。ほんとはもう気付かれてるんじゃないかと疑わずにはいられない。
「……付き合える。」
結局俺は、侑里に言わされているような気持ちでボソッと答えてしまった。
「ふぅん?付き合えるんや。俺と浅見の違いはなんなん?顔か?ええ匂いするから?優しいから?」
グイグイ、グイグイ、まだ聞いてこられて、何をどう返事すればいいやらでだんだん俺は頭に血が上りそうになった。カッカと熱くなってきた顔で侑里に返事する代わりに睨みつけたら、「あ、なんかごめん。」と謝ってこられる。
「なんの謝罪や!」
「いや、これはデリケートな問題やったなと思って。グイグイ聞きすぎるのも良くないか、と。」
「もう遅いわ!聞きすぎや!」
「うん。ごめんな?でもそんな反応するってことはもしかしてガチで好きやったりするんちゃうん?」
グイグイ聞きすぎるのも良くないとか言っておきながら、結局まだ聞いてくるんかい!!って突っ込みたかったけどそんな余裕はもう無く、まさかこんな形で侑里に話してしまうなんて、と恥ずかしい気持ちになりながら俺はギュッと唇を噛み、やけくそになっているように口を開いた。
「…好きやっ!も〜〜!言わんといてや!!」
バシッ!と侑里の鞄を叩きながら口止めすると、侑里はへらっと笑いながら「オッケーオッケー、了解了解。」と言ってきたけどまったく信用できない。
「…べつに本気で付き合いたいとか思ってへんもん。あわよくば両想いやったら嬉しいってくらいやもん…。」
「ふぅん。じゃあもし両想いやったとしても永遠は浅見と付き合わへんのか。」
俺の強がりで言った言葉に侑里からはそんな返事が返ってきて、俺はもうふてくされるように唇をぎゅっと噛んだ。
「…なんでそんないじわるばっかり言うん?」
「えっいじわるやった?ごめんごめん!もう言わへんわ。」
俺がただ捻くれてるからいじわるに感じるだけで、いじわるを言ってるつもりなんてまったく無さそうな侑里はまた俺の髪をぐしゃぐしゃと撫でながら謝ってきたところで、ようやくこの話は終わってくれた。
俺の中にあった『光星のことが好き』という気持ちを人に話してしまったことで、今まで自分の中でこっそり楽しんでいた恋愛がリアルなものに変わってしまい、ちょっと怖くなった。
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