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翌日、真桜の目は泣き腫らしたみたいに腫れていた。
真桜、もしかして泣いたのか…?
顔を見たのは一瞬で、休み時間になると真桜はすぐに机に顔を突っ伏している。
そんな真桜に、佐伯は話しかけたそうにしているものの、真桜はなかなか顔を上げない。横目でそんな様子を窺っていた俺の方へ佐伯の目が向けられて、俺は慌てて目を逸らした。
佐伯に何か聞かれたらどうしよう。
自分の彼氏の様子がおかしかったら、仲良い友達に聞きたくなるよな。って、俺は勝手に身構える。
やっぱ俺の真桜に取った態度が原因か?
吉川と俺が一緒にいたことが、俺の想像以上に真桜にとっては苦痛だったとか?
一緒に居たっつっても別に俺と吉川がどうにかなるわけでもないのに。てか俺以前、真桜に『誰とも付き合わない』って約束したし。それなのに真桜が佐伯と付き合ってるって、頓珍漢すぎるだろ。
「はぁ…」と無意識にため息を吐き、ぐしゃぐしゃと髪を掻きむしった。
そんな時、俺の真横にある教室の窓が突然ガラッと開いた。
驚いて横を見ると、健弘が真顔で立っている。じろっと俺を見下ろして、無言で手招きをしてきた。
俺は席から立ち上がり、教室を出ると健弘は人気のない方へ歩き出した。トイレ横の静かな空間で立ち止まり、壁に寄りかかる。
「柚瑠、頼むから真桜のこと怒んないでやって。」
健弘に何を言われるのかと思ったら、何故か健弘がやたら申し訳無さそうな顔をしてそう言ってきた。
「俺が何を怒るんだよ。」
「散々柚瑠のこと好き好き言っといて、勝手に彼女作りやがって、俺が柚瑠ならキレるな〜って。」
確かにその通りだよ健弘。
お前はほんと、見かけによらず利口だよな。
でもその通りだがらこそ、怒らないでやってくれ、と真桜の味方をして頼んでくる健弘の言葉に頷いてやる気にはなれない。
「真桜が決めたことに俺が怒るもくそもないだろ。」
「そうだけど…、俺はすげーショックだったんだよ。真桜のこと応援してたし、諦めて欲しくなかったし。」
「何が言いたいんだ?俺が悪かったのかよ?」
「柚瑠が悪いわけねえだろ。…違う、俺はそんなことを柚瑠に言わせたいんじゃなくて、…柚瑠はショックじゃなかったのか?って聞きたかった。」
「は?…ショックだったよ。でも俺がショック受けんのもなんか変だろ。」
健弘の問いかけがなんかだんだんイラついてきてしまい、吐き捨てるようにそう言うと、健弘は何故かそこでほんの少しだけ表情を緩めて、ふっと息を吐いた。
壁に寄りかかるのをやめ、「それ聞けて良かった。」とポンと俺の肩を叩く。
「真桜はヘタレだからな。柚瑠のことになるとメンタルまじ豆腐並み。」
急に笑い混じりに話す健弘は、もう用は済んだと言うような雰囲気で教室の方へ歩き出した。
俺だって知ってる。真桜はいつも俺の前で、自信無さそうにしてたから。
「真桜のやつバカだろ、彼女なんか作ってもそう簡単に“好き”が消えるわけねえのにな。」
賢い健弘のことだから、健弘のそんな発言が、『勝手に彼女を作った真桜のことを、どうか見逃してやってくれ』とでも言われているような気分になる。
「…健弘はさぁ、真桜が彼女作ったのなんでだと思う?」
健弘にそう問いかけたのは、真桜がもう俺より佐伯のことを気になってたから付き合ったんじゃないか、っていう俺の中にある微かな疑惑を拭いたかった。
「ん?…そりゃあ、片想いが辛かったから、別の子好きになれたら楽になれると思ったからだろ。」
そして健弘から返ってきた言葉で、俺の中にあった疑惑は簡単に消えてくれた。
「…そうだよな。…やっぱ辛かったのか。」
…そう考えたら、俺の考えは自分本位で、ちょっと頑固だったかな。
お前には彼女ができたから、俺が吉川と一緒に居たことに対して『真桜には関係ない』なんて、そう思ったのは確かに本心だったけど、突き放すような態度を取ってしまったのは失敗だった。
悔いはなかったはずなのに、今更自分の発言に後悔しながら歩く俺の横から、クスッと健弘が笑う声がする。
「…なに笑ってんだよ?」
「あーいや、悪い。よく考えたら、柚瑠だってそりゃ悩むよなーって。」
「はあ?当たり前だろ?」
「うん。だよな。とりあえず真桜のあの豆腐メンタルをなんとかしねーと。叶うもんも叶わなくなる。」
健弘はそう言ったあと、「じゃあな!」と手を振りながら教室に入っていった。
…ほんと、その通りだよ健弘。
健弘と別れて俺も教室に戻ってきたが、やはり真桜はまだ机に突っ伏したままだった。佐伯が真桜の側から離れていたのを確認して、俺は真桜の側まで歩み寄る。
「…真桜、昨日はごめん。」
反応が返ってこないかもしれないけれど、真桜に聞こえてたらそれでいいや。って、周囲には聞こえないくらいの小さい声で口にした謝罪に、真桜はゆっくりと顔を上げた。
やはり少し腫れている真桜の目と目が合って、真桜はパッと下を向く。
「…俺が悪いから。」
ボソッと掠れた真桜の声が、かろうじて俺の耳に届く。親指を力強く握り込まれた真桜の拳が、自然と俺の目についた。
口数は少ないけれど、真桜の拳が言葉よりも、真桜の気持ちを多く表している気がする。
俺はその真桜の拳に手を伸ばし、握り込まれた指を広げた。
「真桜、もっと気楽に俺の横に居ろよ。」
そう言いながら、少しだけ力の抜けた真桜の手を握るように触れると、今度はその手を微かに震わせる。
教室でこれ以上怪しいやり取りをするわけにもいかず、少しの間触れた手をゆっくりと離した。
それに、なんだか真桜の顔が泣き出しそうに見えたから、これ以上話しかけるのは危険だと思った。
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