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真桜くんとの付き合いが始まってから、人から羨まれる日々を送っている。時には全然知らない名前の子から指を指されたり、吉川さんからきつい視線を送られたりして、想像の範囲内の苦労はある。

それでも、“真桜くんの彼女”というポジションで居られる今が、私は楽しくて、嬉しかった。


『こうやって、私が高野くんの話聞いてあげるだけでも、高野くんの力になれる?』


そんなことを言って手に入れたこのポジションだけど、真桜くんから七宮の話を聞いたのは最初だけ。


授業の話、部活の話、学校の近くにある飲食店の話とか、たわいない話ばかり。話しかけたら笑って返事を返してくれる。

楽しくて、幸せで、もっともっと仲良くなって、そのうち七宮よりも好きになってくれたら良いなって思っていた。


けれど、今日の真桜くんの目は、なんだか泣いたあとみたいに腫れぼったい。そんな顔を隠すように、机に顔を伏せている。


「真桜く〜んどうした〜?」

「……眠い。」


真桜くんに声をかけても、一度も顔が上がらないまま、ボソッとそっけない返事が返ってきた。体調が悪いのかな?と思って、暫くそっとしてあげようと、真桜くんの側から離れる。


その後もチラチラと真桜くんの様子を窺っていると、七宮が静かに真桜くんの元へ歩み寄っていく光景が視界に入った。


七宮の声までは聞こえなかったけれど、私が声をかけても一度も上げてくれなかった顔が、七宮が何か一言声をかけるだけで、ゆっくりと上がった。


悔しかった。“彼女”なんてのは肩書きだけで、やっぱり真桜くんが想っているのは七宮だ。分かっていたことだけど、改めて実感させられる。


七宮は、何か話しながら真桜くんの手を掴み、でもすぐに会話を終わらせて、自分の席に着席した。

二人はどんな話をしたんだろう。


その後すぐに授業が始まり、真桜くんは頬杖をつきながら真面目に授業を受けている。でも、授業中にチラチラと、七宮の方を見ている気がした。


「ねー真桜くん、今日天気良いから中庭でご飯食べない?」


昼休みになり教科書やノートを机の中に片付けている真桜くんに、私は笑顔で声をかけた。


すると真桜くんは、少し困ったような笑みを浮かべて「うん。」と頷く。


真桜くんのお母さんが作ったお弁当が美味しそうで、「ハンバーグ美味しそう!」とお弁当を覗き込みながら言うと、「昨日の晩御飯の残り。」と言って真桜くんはクスリと笑った。


良かった。笑顔で返事を返してくれた。

私はホッと安心しながら、ご飯を食べる。


先にお弁当を食べ終えた真桜くんは、お弁当箱の蓋を閉めながら、「…なあ、佐伯…」と私の苗字をボソッと低い声で呼んだ。

真桜くんは一度も私の名前を呼んでくれたことはない。いつか呼んでくれるかな、って思ってたのに、今呼ばれたのは苗字のほうで、少し落ち込んでしまった。


「…俺、お前に悪いことした。」


真桜くんがそう言った途端に、嫌な予感がした。


「お前良い奴で、優しいから、つい甘えさせてもらってたけど、やっぱこんな関係は良くねえよな…。」


真桜くんは私の方を見ることなく、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。


「…私が言い出したんだから、それでいいんだよ?」

「ううん、…よくねえよ。俺はどうやっても柚瑠のことが好きなくせに。今お前には申し訳なさの思いしか無い。」

「だからそれは私が言い出したんだから、真桜くんが申し訳ないとか思う必要ないんだって!」


私はこんなにすぐ真桜くんと別れるのは絶対に嫌で、真桜くんの手を縋り付くように握った。


「私別れないよ?私と別れたところで、真桜くんまた辛い思いするだけじゃないの?」


ギュッと真桜くんの手を握って言えば、真桜くんは困り顔で目線を下げて地面を見る。


「七宮を好きなままでいいんだよ?私とは友達みたいな関係でさ、気楽に付き合ってくれたらいいんだよ?」


私は知らず知らずのうちに、皆が羨む“真桜くんの彼女”というポジションを手放したくなくて、必死だったように思えた。

せっかく付き合えたのに、こんなあっさり別れるなんて、絶対に嫌だった。

自分の中にある腹黒い感情に気付きながら、私は必死に真桜くんを繋ぎ止める言葉をあれこれ考えた。


「私は真桜くんが横に居てくれるだけで嬉しいんだから。」


そう言った瞬間、何故か真桜くんは、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。


「…ありがとな。…でも、横に居てくれるだけって、すげー辛いだろ。俺知ってんだよ、その感情。」


穏やかな笑みに見えたのは一瞬で、多分、自嘲の笑みだった。


「佐伯にはさ、こんなどうしようもない男より、もっといい奴いっぱい居るから。」


そう口にする真桜くんの目が、ようやく私の方を向き、ポンポン、と優しく私の頭を撫でた。

こんなタイミングでそんな行動反則だ。


「…嫌。絶対別れない。」


私はギュッと、真桜くんの手を握り、真桜くんのことを縛り付けた。自分がこんな、どす黒い人間だとは思わなかった。


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