キミにもらったミントガム [ 53/87 ]


「るい〜、ハッピーバレンタイン!」


今朝、家を出る前に航がそう言いながら俺にキスをしてくれた。

そしてその後、スーツのポケットにスッと何かを入れられ、ポケットの中身を見るとミントガムが入っていた。


「チョコの匂いに酔って会社で吐くなよ?」


笑い混じりにそう言いながら、「行ってきます」と俺から背を向ける航。

ああ、今日は早く仕事終わらせて帰ろう。と、航の後ろ姿を見ながら強く思う。


いつも通勤に使う電車に乗って、最寄り駅で下車すると、「あっ!矢田さん!おはようございます!」と会社の後輩の女の子に声をかけられた。


「おはよう。なにやってんの?遅刻するぞ。」


どう見ても駅で誰かを待っていた様子の後輩に声をかけると、「矢田さんを待っていたんです!」と言われ、後輩が持っていた紙袋を差し出される。


「会社で渡すの恥ずかしくて…!」


今日は2月14日。これがバレンタインチョコということくらいすぐに分かるが、本命チョコなら受け取れない。

かと言って『これ本命チョコ?』だなんてさすがに聞くことができず対応に困っていると、「いつもお世話になってるので…!受け取ってください!」と頭を下げられた。


まあ会社の子だし、義理チョコだよな。とホッとしながら、そういうことなら…と紙袋を受け取ってお礼を言うと、照れ臭そうに笑って後輩は先に小走りで会社に向かって行った。


後輩に貰った紙袋片手に、会社のビルへ入ろうとした瞬間、「あ…!あのっ!」と声をかけられ、足を止めた。


「はい?俺ですか?」

「は、はいっ!そうです…っ!あのっ、これ受け取ってくださいっ!」

「え?あっ!ちょっ!」


何か言おうとする前に、俺に紙袋を押し付けて来たその人は、真っ赤な顔で俯きながらビルの中に入っていった。

どうやら同じ会社の人らしい。

…まあ受け取ってしまったものはしょうがない。と、紙袋を二つ手に持ち、ビルの中に入ると、「矢田!…矢田っ!」と誰かに名前を呼ばれていることに気付く。


辺りを見渡すと、課長が俺を呼びながら端の方で手招きしていた。


「おはようございます、どうしました?」

「これ、俺の奥さんと娘から。」

「えっ?」


まさかの相手からの贈り物に、笑い混じりの声が出てしまった。課長は少し恥ずかしそうにしながら、「早く受け取ってくれ…!誤解されると困る!」と辺りをキョロキョロ見渡している。


課長から差し出された紙袋を受け取ると、「じゃあ俺は渡したからな!」と早足でエレベーターへ向かって行った。

いやいや、俺もそれ乗りますって。と思いながら課長の後を追うと、「あ、矢田来たぞ。」と俺を指差しながらエレベーターの前で同僚と顔見知りの違う部署の女の子が立っている。


「おぉ、さすがモテるやつは違うな。もうチョコ何人かに貰ってんのかよ。」


同僚の視線は俺の手に持っている紙袋で、同僚の視線につられるように紙袋に視線を落とすと、顔見知りの女の子が一歩俺に近付いたことに気付かなかった。


「あの!私もこれ!バレンタインチョコです!」

「あー…ありがとう。」


会社の子から貰うチョコはだいたい義理チョコだもんな。と思いながら差し出された紙袋を受け取ると、あとからその子は小声でボソッと「本命チョコです…」と口にした。


「え…。」


いや受け取った後に言うなよ。と苦笑を浮かべると、同僚に肩を叩かれながら「いや〜モテモテすぎだろお前!」と茶化すように言われ、結局その子から受け取ったチョコレートを返すタイミングを失ってしまった。



「じゃあ私はこれで…」と恥ずかしそうに立ち去っていった違う部署の子と別れ、同僚と共にオフィス内へ。


足を踏み入れた瞬間、その空間がむわっとチョコレート臭くて吐き気がした。


「…う。」


そこで俺はふと、あるものの存在を思い出した。

…ミ、ミントガム…!


航から貰ったミントガムをポケットから取り出そうとした瞬間、室内にいた女性社員が駆け寄ってくる。


「あっ!矢田さん!あたしチョコレートケーキ焼いたんです〜!良かったら!」

「あたしトリュフ作ったの!食べて食べて〜!」

「あ〜!私も私も!」

「…矢田モテるなー。俺にはないんすか?」

「あ!あるよー、キミには義理チョコ!」


チョコレートケーキやらトリュフやら、いろいろ押し付けられる前に、2月14日バレンタインデー、最初に口にしたものは、

航からもらったミントガムだった。


噛んだ瞬間、気分がリフレッシュする。


「はー…。早く仕事終わらせて帰ろ…。」


そして今夜は、たっぷりキミを味わいたい。


キミにもらったミントガム おわり

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