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近頃、女性従業員のあいだでキャッキャと噂されているお客様がいる。『おまえら喋ってないで働け!』と言いたいが、おばさま達は怒らすととても恐ろしい。注意をするのも一苦労だ。
「キャッ!王子が来たわよ、みんな!」
「キャー!待ってましたっ!」
「お願い、私のレジに来てっ!」
どうやら今日も、噂のお客様がご来店してくださったようだ。時刻は午後5時過ぎ、学校帰りの大学生だろう。自炊をしているようで、野菜や調味料などを買いに来る。
女性従業員のあいだで密かに『王子』と呼ばれるようになったそのお客様の呼び名の由来は、文字通り。王子のように煌びやかで、えらく整った容姿をしているからだ。
「いらっしゃいませぇ!!」
王子がカゴを持ってレジ付近へ現れると、一オクターブ高い声を出す女性従業員。おまえらいつもその声出してくれよ。と言いたいが、彼女たちは王子が来てくれている時しか愛想の良い接客をしてくれない。
レジは全部で五台開けていたが、王子に選ばれるレジはたったの一台。この瞬間、女性従業員のあいだでは密かに火花が飛び散っている。…気がする。
二番レジに王子が並ぼうとして、顔がにやける二番レジ担当の従業員。しかし……
「あ、牛乳忘れた。」
独り言を漏らしながら、レジから離れた王子に、二番レジ担当従業員はあからさまに残念そうな表情を浮かべていた。
数分後、王子がレジに戻ってくると、並んだのは三番レジだ。
「こんにちは!いらっしゃいませぇ!!」
これまた気合いが入った猫なで声で、女性従業員は王子をレジへと招く。
「98円っ!216円っ!378円っ!」
弾む!弾むような声で金額を読み上げている!!
「はい、ありがとうございますっ!合計3262円でございますっ!」
気合いの入ったその声を聞き、王子は財布の中から5千円札を取り出した。
「あ、それでお願いします。」
「かしこまりましたぁっ!5000円!お預かりいたしますっ!!」
いちいちうるさい気合いの入った声に若干周囲のお客様が引いているが、彼女はそのことには気にもならないくらい、目の前の王子に夢中である。
お釣りを返す瞬間に手が触れて、『やだ、触れちゃった!』とでも言いたそうなデレデレ顔のまま、「ありがとうございましたぁっ!またお越し下さいませぇ〜!」と頭を下げた女性従業員に、ぺこりとお辞儀をして「ありがとうございます」とお礼を言う王子に、もうその後の彼女のテンションはとてもすごい。
「はぁ〜。今日は良い日ね。」とその後浮かれ気味だった彼女は、レジで点数を打ち間違えるというミスをしていたから、勘弁してくれ。他のお客様に失礼だ。
一応注意はしたものの、今の彼女は王子のことしか頭にないだろう。まったく。困ったものである。
王子が登場すると散々テンションを高くする女性従業員だが、ある日は新しいアルバイトくんの初出勤日で、これまた女性従業員のテンションを高くするには十分の要素を取り揃えたアルバイトくんだった。
「今日からここで働いてくれることになった友岡くんです。慣れるまでいろいろと教えてあげてください。」
一部の従業員をバックルームへ呼び出し、新しいアルバイトくんを紹介すると、女性従業員の顔がにんまりと笑った。
「や〜ん可愛い〜!大学生!?」
「あっそうっす!よろしくお願いします!」
完全にデレデレし始めた女性従業員を前に、頭を下げる新人アルバイトの友岡くん。
「友岡くん彼女はいるのぉ〜?」
こらこらおばさん、仕事中だということを忘れるな。
この手の話題が大好物なおばさんたちに、さっそく目を付けられてしまった友岡くんは、「あー…いやぁ〜…」と言葉を濁しながら返事に困っているように頭を掻いている。
「はいはい、話はあとあと。」
とりあえず友岡くんにはレジを覚えてもらって…、それから、などと頭の中で考えながら口を挟むと、おばさんに睨まれてしまった。こえー…。
バックルームで練習用のレジでレジ操作や接客などを一通り教えて、あとは実践で覚えてもらおう。
この店の主任を務める自分は、そんな新人アルバイトくんの予定を計画する。
「友岡なにくんって言うの〜?いくついくつ〜?」
「航っす!今18で次19です!」
「や〜ん若〜い!航くんって言うのねぇ〜!」
…おいおい。ババアどもデレデレしすぎだろ。ちょっと若い男の子のバイトを入れたらすぐこれだ。
「友岡くんはまずこっちで研修な。」
「はい!」
友岡くんにデレデレしまくりな女性従業員の会話を遮り口を挟めば、彼女たちから睨まれた。しかし今は勤務中。さっさと持ち場についてくれ。
俺の後についてくる友岡くんの後ろ姿を暫く眺めていた女性従業員は、諦めたように持ち場についた。
「アルバイトははじめてなんだっけ?」
「そうなんすよ〜!すげえ緊張してます!」
…え、そう?緊張してると言うわりには、あまりそんな感じには見えないんだけど。
「俺数学苦手なんすけどレジとか大丈夫っすかねぇ?」
「あぁ、おつりとかはお金流せば自動で出てくるからまあ大丈夫だよ。」
「あ、良かった。」
心配していたことなのか、俺の返答を聞いた友岡くんは安心したように息を吐く。人懐っこそうで、ハキハキしてて、彼ならすぐに接客にも慣れるだろう。
おまけにイケメンで若いから、従業員からも可愛がられるだろうし人間関係もうまくやっていけるだろう。
「分からないことがあったらなんでも聞いてくれていいから。今日からよろしく!」
「はい!よろしくお願いします!」
とそんな言葉を交わし合った後、仕事内容の説明に移る。
退勤していく女性従業員たちが、いちいち部屋を覗いて「航くんがんばれぇ!」と声をかけて帰られるのがうざったくてしょうがなかった。
しかし友岡くんは「おつかれさまっしたー!」と帰ってゆくおばさんたちにも丁寧に返事を返している。
うん。友岡くん、その対応、凄く偉いぞ。
少年よ、今日から彼女たちのご機嫌取り、頑張ってくれたまえ。
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