1 [ 107/172 ]
『お兄ちゃん聞いて!!もしかしたらりとに彼女できたかも!!!』
「あ、そうなんだ?よかったじゃん。」
『なんか気持ち悪いくらい機嫌良くて、鼻歌なんか歌っちゃってんの!!』
「ははっ、あいつが鼻歌?気持ちわりーな。」
どうやら兄妹仲良く電話で話しているようだ。
……あいつ?
鼻歌が気持ち悪いって、りとくんのことか。
なんとなく誰の話をしているのか察していたが、りなちゃんとの通話を終えたるいが第一声に発した言葉に、俺は飲んでいたお茶を吹き出してしまった。
「りとに彼女できたかもだって。」
「ぶふっ!!?」
「は?大丈夫?」
「ぶふふ、ごめん大丈夫大丈夫。」
吹き出すとか怪しすぎかよ。
思わず笑いでごまかしてしまった。
しかしながらお兄ちゃん…りとくんに彼女ができたってのは多分何かの間違いだよ。だってりとくん、まじ俺のこと好きだもん。
お前ら兄弟さすがだわ。俺のどこがそんなに良いんだろうね?矢田兄弟の好みが俺には理解できん。
「へえ、りとくんに彼女かぁ。」
俺はしらばっくれながら吹き出して飲めなかったお茶に再び口をつけた。そんな俺を、何か言いたげに横目で見てくるお兄ちゃん。…え、なに?
「てっきり航のこと好きなんじゃねえかと思ったけどよかった。」
「ぶはっ!!!ゲホ!ゴホ!!!」
「え、なにお前さっきからその反応。」
ちょっと!俺が盛大に噎せてるんだからちょっとは心配しろよ!!
「ハー…。」と息を吐き出して呼吸を落ち着かせている俺を、怪しげに見てくるお兄ちゃん。
「あのさぁ、俺実は知ってたけどお前ら俺に隠れてメールしてるよな?」
「えっ…?」
ドッキーン!と心臓が跳ね上がった。……え、まじ?お兄ちゃん知ってたの?なんで知っててなんにも言わねえの?
「わー。航くん焦ってやんのー。この前航のスマホのロック画面に【 矢田 りと 】って文字見えたし。いいもん別に。俺そんなんで怒んねえから。」
るいはそう言いながら、ツンとした顔で俺からそっぽ向いた。…怒んねえっつーか…拗ねてる…。
お兄ちゃん、ごめん許して。
弟とラインをする俺を許してくれ。なんならりなちゃんとも結構ラインしてるけど許してくれ。
拗ねてるるいの頬をツンツンとつついて、るいがこっち向いた瞬間にチュッと唇にキスをして、俺はさっそくるいのご機嫌取りを開始した。
「キスしたら許してもらえると思ってるだろ。」
「うわ、バレてる。」
「そうはいかねえからな?」
るいはそう言いながら、俺の身体を抱えて歩き始めた。おや、これは寝室へ向かっているな?
「そうはいかねえとか言ってお前、連日えっちしたいだけだろ。」
「ん?」
俺の言葉にるいはにこりと笑みを浮かべる。
そして俺は、ドサッとベッドの上に降ろされ、すぐさまるいは俺の身体に跨ってきた。
「航にえっち拒否られない誘い方を考えてた。」
「チッ。」
るいはちょっとくらい抱かれる方の気持ちを考えてみてほしい。
………しんどいのだ。
*
妹に“彼女できたかも”なんて怪しまれているりとだが勿論そんな事実は無く…高校生は夏休みに入ったが呑気に遊んでいる場合でも無い受験生であるりとは、参考書、問題集に筆記用具を鞄に詰め込み、夏休み初日からどこかへ外出していた。
何の話をしていたのかは忘れたけど、雄飛と話していて雄飛が母子家庭だということを知った。まあ別に珍しくない家庭環境だ。
最近まで母親とはあまり上手くいってなかったとか。でもこの前久しぶりに母親とちゃんと話をして、進路の話をしたのだとか。
他人のことには興味ないし、自分からあれこれ聞いたりしないけど、雄飛が自分から話してくれたその内容には、ちょっと興味を持ちながら話に耳を傾けた。
「うーっす、久しぶり。」
「おーっす。俺ん家こっち。」
夏休みに入り、今年は勉強三昧になるだろうという話も雄飛としていて、どういう流れか雄飛の家で勉強することになった。
雄飛が勉強教えてほしいだけみたいだが生憎俺は人に勉強を教えている場合ではない。しかし雄飛の家はちょっと気になるからお邪魔してみることにした。
ちょっと古びたマンションで、家の中にはあまり物がなくガランとしている。
雄飛の部屋にはちっとも使われている様子が無い勉強机が隅に置かれているだけで、少し淋しい感じだ。
「物無さすぎだろ。」
「寮にあるからな。」
「あぁ。なるほど。」
別の部屋から折りたたみの机を運んできた雄飛が、部屋の真ん中に机をセットしている。
「なちはもう家に連れて来てんの?」
「ううん、まだ。」
「なんだまだかよ。とっくに連れ込んでるんだと思った。」
「さすがに実家でセックスできねえだろ。」
「お前の脳内ほんとそれ中心だな。つか親帰ってくんの夜だったら余裕じゃねえか。」
「布団硬いし汚いしなんか申し訳ねえじゃん。」
「あっそう。」
どうでもいいエロ話はすぐに終わらせ、鞄の中から問題集を取り出した。雄飛の家に来たのは興味本位でだけど、一応勉強しに来たわけだから目的を果たすために勉強道具を机に広げる。
「りと塾とか予備校とか行かねえの?」
「うん。俺航が行ってる大学A判定だし。」
「おいこら、そこは滑り止めだろうが。」
「第一志望が滑っても俺の未来は明るい。」
「全然明るくねえわ!!お前絶対第一志望受かれよ!?」
「ふははは。」
親に言えば塾なり予備校なり行かせてもらえるだろうけど、兄貴が行ってなかったから俺も行きたくない。だから兄貴が使ってた問題集は俺も自力で全部解けるようになってやる。
「うーわ、りとのくせに。」
突然雄飛が俺のノートを見下ろしてそんな言葉を漏らした。
「は?なに?」
「字が綺麗。」
「普通だろ。」
「やっぱ兄弟だなぁ。そういや矢田先輩も字綺麗だったわ。」
「あっそう。」
まあ褒められるのは悪い気しねえけどどうでもいい字の話に適当に相槌を打っていると、雄飛は懐かしむように話を続ける。
「先輩卒業しちゃって勉強教えてもらえねえのまじ残念。あの人の説明わかりやすかったなぁ…。」
そう言ったあと、チラリと俺に目を向けた雄飛が、今度はぼやくように呟く。
「あ〜…宿題だっりぃ。りといるうちに終わらせてしまお。あ、りとさっそくだけどここ教えろよ。」
「は?ちょっとくらい考えてから聞いてくれる?」
「それ矢田先輩にもまったく同じこと言われたことあるわ。なっつかしー。」
「言われたことあんのかよ。学習能力ねえな、お前は航か?」
「あれ?りとくん好きな人のこと貶しちゃっていいのかな?」
「うるせー、別に貶してない。」
言ってしまったあとに、航の名前を口から出してしまったのは失敗だったなと思った。雄飛は俺を見て憎たらしい顔をして笑っている。
「好きな人の名前すぐ出しちゃうやつだよな?分かる分かる。」
ニヤニヤしながら雄飛がそんなことを言ってくるもんだから、もう何も余計なことは言わずに無言で雄飛を睨みつけてから、勉強に集中することにした。
[*prev] [next#]