2. 矢田兄妹のバレンタインA [ 162/163 ]

2月14日、バレンタインの日の休み時間、音楽室に行くために廊下を歩いていたら、後ろから歩いてきた女子生徒がこっちを見てクスッと笑いながら俺の横を通り過ぎていった。


「は?」


何故笑われたのか?と少々疑問に思いながら女子生徒に目を向けるが、その女子生徒はクソりなだった。何故あいつが俺を見て笑ってきたのかこの時の俺はまだ全然分かって居なかった。


べつに毎年貰ったバレンタインチョコの数を数えているわけでは無いが、今年は貰う量がやたら減ったな。とぼんやり考えていた。どうせ貰っても全部食わねえし貰えなくても全然良いけど、“なんか変だな?”って妙な違和感を覚える。

『矢田くんこれあげる』って貰ったチョコは市販のチョコ菓子だった。長期保存できるものを貰えるのはありがたい。お礼を言って受け取るが、その最中に近付いてきた女子もくれるのかと思いきや、パッと俺から目を逸らし、何も言わずにラッピングされた小さな袋を手で隠して去っていった。

まただ。こういうの今日何回目だ?

『くれんの?』

『くれんの?』

『…くれねえのかよ!』って心の中で突っ込みを入れたくなったのは。


そして違和感の正体に気付いたのはりなに笑われた後くらい。俺のブレザーのポケットに溜まっていくチョコは、何故か市販のチョコばかり。教室に置いてある俺の鞄の中に入ってるのも、市販のものばかり。手作りチョコがまったくない。もらったのは今朝受け取った数個だけ。


おかしいな?…と思うものの、まあいい。素手でこねこねされてそうなトリュフは正直あまり食べる気が起こらないからこれで良い。チロルチョコ貰える方が普通に嬉しい。


音楽の授業が終わり、貰ったチロルチョコを口の中に放り込みながら教室へ戻るために廊下を歩く。


そんな時、俺の背中で『カサッ』という音と『べりっ』と何かを剥がす音がした。その直後、何者かによって俺の額に『ベシッ!』と何かを叩き付けられる。


「はっ!?なんだよいきなり!!」


どうやら叩き付けられたと同時に、“何かの紙”を貼り付けられたらしく、俺の視界は咄嗟に真っ白になった。

慌てて自分の額から紙を剥がし、それを叩き付けてきた人物を確認するが、その人物はスタスタと立ち去っていき、早くも5メートルくらい先を歩いている。兄貴らしき人だった。

恐らく兄貴は、俺の背中に貼り付けられていた紙を剥がしてくれたのだろう。なんの紙だよ、って遅ればせながらその紙に目を落とすと、そこにはでかでかと【 手作りチョコは断固拒否 】と書かれていた。

…は?いつから貼られてた?俺こんなの背中に貼って学校歩き回ってたのか?ふざけんなよ?手作りチョコまったく渡されない意味がわかってちょっとスッキリしたわ。

ぐしゃぐしゃと無言でその紙を丸めていたら、俺の両脇を歩いていた友達二人が「あーあー、お兄さんに剥がされた。」と言って笑っている。


「てめえいつこれ貼った?タダで許されると思うなよ?」

「ヒッ…!」

「あっおい逃げんな!鈍足野郎の分際で!!」

「ヒィィッ…!ごめ、ごめんって!!」


俺は走って俺から逃げようとした友人を追いかけた。鈍足なくせに逃げようとしたからすぐに追い付き、首に腕を回してヘッドロックして締め付ける。


この時、俺はまったく気付いていなかった。

走って逃げようとした友人を追いかけていた時、兄貴の横を通り過ぎたことを。

友人にヘッドロックをかけている最中、カツカツと近付いてくる兄貴の足音。

その足音が俺の背後でピタリと止まり、突然今度は俺の首にガシッと腕を回された。そして突如襲いかかってきた痛みと同時に、俺の腕は友人の首から離れていく。


「うぐっ…あがぁ!!!い、痛い!!痛いって!!やめろ、おい!兄貴!!!痛い痛い!!やめてくださいお願いします!!」


俺は顔を見なくても俺を絞めている人間が兄貴だということが分かった。俺にこんなことをする人間は、兄貴くらいしかいないのだ。


ようやく兄貴の腕から解放された時にはぜえはあと息は上がっており、四つん這いになる。


「なんで俺がやられんだよ!おかしいだろ!俺全然悪くねえだろ!!」

「お前が悪い。」

「なにがだよ!!」

「日頃の行い。」


兄貴は俺を見下ろしながらそれだけ言い残して、またスタスタと去っていった。兄貴の『日頃の行い』という言葉を聞いた友人たちが「ふっ」と吹き出しているが、睨みつけるとすぐにハッと口を押さえながら俺から目を逸らす。


確かに俺は、友人の前でこんなことを言った。

『手作りチョコは食う気が起こらない』と。

『貰えるだけ良いだろ』と言っていた友人の前で、『素手で触って作られたチョコ食うのキツい』だの『去年手作りチョコ妹に食わしてたら髪の毛出てきて妹発狂してた』だの『たまにカサブタみたいなゴミ混じってる』だの言って散々手作りチョコをディスった。

あんな貼り紙を背中に貼られてしまう原因なら自分が一番分かっている。だから、『日頃の行いが悪い』と言われてしまえば、俺はもう何も言い返せなくなった。


貼り紙はもう俺の背中からは剥がされたものの、その日俺に手作りチョコをくれる子はもう居なかった。要らないはずなのに、なんとなく侘しい。


家に帰るとまた毎年のように、兄貴が女子から貰った手作りチョコをりなと食べている。今年も変わらずチョコを貰いまくっている兄貴だが、そんな兄貴と比べて俺にはもうりなに毒味してもらうチョコはない。

いや、あるにはあるが、今朝貰った三つの手作りチョコだけだ。

りなは毒味するチョコが無いことに気付き、「あぁ、あの貼り紙のおかげで貰わずに済んだんだね。」って俺を見て嘲笑っている。

こいつは兄貴より先に貼り紙を見ているくせに俺に教えてくれず、さらには笑いながら俺の横を通り過ぎていったことが今になって腹立たしくなってきた。

しかし俺は、自分が食べたくない手作りチョコを妹に『毒味しろ』と押し付けている。りなの身になってみれば、『一生貼り紙貼り付けてろ』って感じだろうな。とここでもまた俺の日頃の行いの悪さを自覚してしまい、またなにも言えなくなった。


ほんの少しだけ反省し、今年は三つだけ貰った手作りチョコを全て自分で食べることにする。

アルミのカップに入ったチョコに、キラキラしたトッピングを乗せて固められたものだ。トリュフじゃないからまだ食える。パクッと食べたら普通に普通の味をしたチョコだった。市販のものとそう変わらないチョコの味。


買ってそのまま渡せば良いものを、敢えて自分で手を加える意味がわからない。意味がわからないものの、それが、バレンタインデーというものだ。

トッピング一つ一つに気持ちが乗せられていると考えたら、俺は今まで無下に扱ってきた手作りチョコに申し訳なくなった。

昔から周りの男子より明らかに自分は貰える量が多かったから、自分への贈り物に対する有り難みが少しもなかったのは俺の良くないとこだった。


ちょっとだけそんな自分に反省して、今年は苦手な手作りトリュフも一粒だけ食べてみる。

恐る恐る食べたトリュフの味は普通に結構美味しかったけど、やっぱり手作りチョコは苦手だという思いは変わらなかったから、それ以上はもう食べられなかった。


矢田兄妹のバレンタイン おわり


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