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「この距離からじゃなに話してんのか全然聞こえねーっすね。」


矢田はそう言いながら、果実酒が入ったグラスで顔を隠すように頭を下げて斜め横のテーブル席の様子を窺っていた。


航と謙さんが入って行ったのは店内が暗めでガヤガヤと騒がしい居酒屋で、俺と矢田は航に気付かれることもなく難無く近くの席に座ることができた。


「航に酒飲ませんじゃねえぞ…」などとぶつぶつ悪態をついている矢田自身はすでにハタチの誕生日を迎えており、ちゃっかり酒を注文している。


俺が頼んだエイヒレを矢田の近くへ置いてやると、1枚口に入れモグモグ噛みながら矢田は目を見開いた。


「これうまいっすね。」

「おう、もっと食えよ。」


エイヒレを食べ、酒をゴクゴク飲み、他にも美味しそうなメニューを注文し、肝心の航と謙さんの声は聞こえない。これじゃあまるでただ矢田と飲みに来ただけじゃねえか。


「横顔だけじゃよくわかんねーっすけど…大人っぽい人っすね。」


矢田はグラスで顔を隠しながら謙さんを盗み見し、そんな感想を口にする。


「あー、そうだなぁ。落ち着いた感じでかっこいいよな。」

「まあ俺は断然会長の方がかっこいいと思いますけどね。」

「おいおい、なに不貞腐れてんだよ。まあ嬉しいけど。サンキュー。」


『落ち着いた感じでかっこいい』…俺がそう褒めた相手と航が一緒に飯食ってるもんだからか、矢田はむすっとした顔で俺のことを持ち上げてきた。


ポンポンと矢田の頭を叩きながら礼を言うと、むすっとした顔のまま矢田はゴクゴクと体内に酒を流し入れる。


「…これ酒なんすかねえ。薄くね?」

「…え、酒だろ。ジュースみたいだからってゴクゴク飲んでたらすぐまわってくるぞ。」

「底に濃いやつ溜まってんのか?」


矢田はそう言いながらマドラーでぐるぐるとグラスの中身をかき混ぜ始めた。

睨み付けるようにグラスの中を覗き込んでいる矢田は、暫くぐるぐるとかき混ぜて満足したのか、またグビッと体内に酒を流し込み、グラスの中身を飲み干した。


「はー、なんの話してましたっけ。」

「謙さんが大人っぽいっつー話だろ。」

「会長の方が大人っぽいっすよ。」

「俺のことはいいから。」

「会長の方が大人っぽいし、会長の方がかっこいいし、会長の方が尊敬してますよ。」

「お前ろくに謙さんのこと覚えてねえくせに俺と比較して持ち上げんのやめろ。」


謙さんへの嫉妬心丸出しで俺を褒めてくれる矢田に笑い混じりでそう言うと、矢田はなにも返事をすることなくエイヒレをもそもそと齧った。


「俺はね、自分がよく知らねえやつと航が2人きりで飯なんてね、男でも女でも嫌なんすよ。」

「…おー、まあな。」

「男なら良いって思うでしょ?チッチッチ、性別なんてね、航を前にしちゃ関係ねえんす。」

「…お、おー、そうだな。」


今度は大根おろしの添えられただし巻き卵をつまみにして新たに注文した酒をぐびぐびと飲んでいる矢田。


「一度航の魅力を知ってしまったらねえ!惚れないわけねーんすよ!!!」


酒の所為か、それともガヤガヤとうるさいこの居酒屋の雰囲気の所為なのか。

いつのまにか声のボリュームが上がりまくっている矢田のその発言が、航のいる席まで届いてしまっていたようで、気付けば航がジーとこっちを見ていた。


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