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僕の隣で山道を歩き始めた瀬戸先輩の表情は、無表情でなんだか少しだけ怖かった。
今日の瀬戸先輩は機嫌が悪い。
隣を歩くのが新見くんだったら、きっと瀬戸先輩の機嫌も変わっていたことだろう。
会話の無い沈黙の中で山道を進むのはなかなかに酷だ。できれば先輩と楽しくお喋りなんてしながら歩きたい。
前後を歩く生徒たちがチラチラと瀬戸先輩を見ている。先輩と歩く僕は、本来なら羨ましがられる立ち位置なのに、僕が羨望の眼差しを向けられている気配は一切無い。
「瀬戸先輩、新見くんと一緒じゃないんだ」とヒソヒソ喋っている声が聞こえる。周囲からしたら、瀬戸先輩の隣に立ってる人物は新見くんじゃないとおかしいようだ。
せっかく憧れていた先輩と一緒に活動できるというのに、ちっとも楽しい気分になれない。
僕はこの場に居ない新見くんのことを、憎らしいと思ってしまった。まあただのやっかみだ。
「…疲れますねぇ、登山なんて。」
いい加減沈黙に耐えられなくなって僕は口を開くと、先輩から「あぁ…」と反応が返ってきて少しホッとした。
「僕、インドア派なんですよねぇ。だから運動とか、こういうの苦手で。」
「へえ、俺は嫌いじゃないかも。教室で授業受けてるよりは好きだな。」
「えー、座って授業受けてた方が楽ですよぉ。」
「まあ人それぞれだな。倖多なら登山のが好きって言いそう。」
ちょっと会話が弾んできたかと思ったら、瀬戸先輩の口から新見くんの名前を出されて、僕のテンションは驚くほど低下した。
「…どうでしょうね〜?新見くんは。」
「倖多とはすっげー気が合うんだよな。だから絶対こういうの好きだぜ、あいつ。」
…先輩、それは暗に僕とは気が合わないって言ってるようなものでは…?まあ実際合わなかったけど…。
てか僕は別に新見くんが登山好きか嫌いかなんてどうでもいいんだけど…。
瀬戸先輩との会話は新見くんの話が必須なのか…。
「…仲良いですねぇ、ほんと。付き合って何年ですか?」
あーあ、登山ほんと疲れる。
よいしょ、よいしょと歩きながら、何気無く問いかけたその質問に、瀬戸先輩は黙り込んだ。
「…あの、先輩?」
「……あ、悪い。」
そして、謝られた。一体何を?
…あ、黙り込んだことに対して?
「あ、何年、じゃなくて何ヶ月って聞く方が正しかったですか?」
「…付き合いの長さってそんなに重要か?」
「え?…あ、いえ。…そんなことは…。」
あれ?僕なんか先輩の地雷踏んだ?
突然先輩の纏う空気が変わった気がして、先輩がちょっとだけ怖くなった。
ひょっとして瀬戸先輩と新見くんの付き合いの長さは、何年、何ヶ月…じゃなくて…
「…もしかして、…何日?って、聞くべきでしたか…?」
「どうでもいいよな?付き合いの長さとか関係ねえし。」
僕の問いかけに先輩は無愛想にそう答え、僕との会話を終わらせるように歩調を速めて僕と少し距離を取った。
別に答えられないような質問をしたつもりは無いんだけど…。あ、答えられない、っていうことは、二人はひょっとして付き合ったばかりとか?
そうならそうで、そう言ってくれたら良いのに…何か言えない訳でもあるとか?
僕は無意識に探るような目で先輩を見ていた。
そしてその次の瞬間…
「…付き合いが短くても倖多は俺の恋人だし。」
少し前を歩く先輩がボソッ小声で口を開いた。
その言葉は、まるで自分に言い聞かせているように感じた。
登山を終え、下山したものから順に昼食であるお弁当が配られた。
景色が良く自然が広がる広場での自由時間で、どこでお弁当を食べようかとお弁当片手に歩き回っている生徒をチラホラ見かける。
僕もどこで食べようかな、とウキウキしながらお弁当を受け取ったが、僕と一緒に下山した瀬戸先輩はお弁当を受け取らず、ジッと腕を組んで下山してくる生徒たちの方向を眺めていた。
「先輩、お弁当食べないんですか?」
「あぁ、まだいいや。倖多が下りてくるの待ってる。」
「…そうですか。じゃあ、先にいただきますね。」
正直めちゃくちゃお腹減った。
僕は新見くんが下りてくるのを待つ先輩に合わせている余裕は無く、先輩の隣で地面に腰を下ろし、お弁当の蓋を開けた。
「わあ、美味しそう。いただきます。」
山を登って疲れているからだろう。
梅干しが一つと黒ごまが少々散らばった白ご飯や、だし巻き卵、冷たいエビフライや少し固くなったハンバーグが、とても美味しく感じられた。
お弁当と一緒に配られた冷えたペットボトルの緑茶も、これまたすごく美味しく感じて、ゴクゴクと体内に流し込む。
そうして僕がお弁当を味わっている時、たくさんの生徒に囲まれ、賑やかに会話をしながら楽しそうに下山してきた新見くんと祥哉先輩が見えた。
「あ、先輩、新見くん下りてきました、よ」……と僕が言い切る前に新見くんの元へ駆け出した瀬戸先輩。
どんな会話をしているのかは分からなかったけど、瀬戸先輩の表情は僕の隣にいる時よりもイキイキしている。ま、そりゃそうだ。
僕は「はぁ…。」とため息を吐いて、緑茶をゴクリと一口飲んだ。
「美味し。」
その後、再び僕の元に戻ってきた瀬戸先輩、それから下山してきた新見くんと祥哉先輩。
3人の手に持たれているのは僕が食べ終えたものと同じお弁当で、彼らは「ふぅ」と一服するように息を吐きながら僕の周りで腰を下ろした。
「すみません、僕先に食べちゃってて。」
「ああ、良いぞ良いぞ。」
「りゅうも待ってなくて良かったのに。腹減ってただろ?」
「良いんだよ。一緒に食べたかったんだから。」
瀬戸先輩は新見くんにそう言って、ツンとした顔でそっぽ向いた。そんな瀬戸先輩に、困ったようにクスッと笑ってお弁当の蓋を開ける新見くん。
気のせいだろうか、少しぎこちないような空気が漂う中で、祥哉先輩だけが空気も気にせずガツガツとお弁当を食べていた。
その後、数十分後に会長と副会長を囲んだ団体が下山してくる姿が見えた。
どうやらここぞとばかりに人気者のお二人とお近付きになれることを望んで話しかけている生徒が多いようだ。
皆口々に「楽しかった」という声を漏らしながらお弁当を受け取っている。
いいなぁ、みんな楽しそうで。
僕はちっとも楽しい気分にはなれず。そんな時、ジャージのポケットに入れていたスマホがブブッと振動し、ポケットから取り出す。
【 そっちの様子はどんな感じ?できるだけ隆くんから新見を遠ざけるんだよ。特に夜は、絶対に密会なんてさせちゃダメだから。よろしくね。 】
…有坂先輩だ。昨日から嫌という程メールが送られてくる。この人の瀬戸先輩への執着心はちょっと怖すぎるレベルだ。
僕と瀬戸先輩が宿泊学習の部屋が同じだと先輩には言ってなかったけど、何故かすでにそのことを知っていた有坂先輩に、「100歩譲ってお前と同じ部屋なのは許す。でもその代わり、新見と隆くんが二人で会わないように見張ってて。」と指図された。
その時僕は先輩の言葉に頷いたけど、登山を終え、瀬戸先輩の様子をずっと見てきた僕には、悪いけど先輩の命令には従えそうに無い。
だって、瀬戸先輩って新見くんが側にいなきゃずっと不機嫌なんだもん。不機嫌な人の近くにいるのは正直疲れる。
【 瀬戸先輩ずっと新見くんとは別行動だったんですけど、始終不機嫌な感じでした。僕、これ以上瀬戸先輩が不機嫌になられても困るので、申し訳ありませんが先輩の言うことは聞けません。 】
僕は、ふぅ、と深呼吸しながら、先輩にそんなメールを送信した。
元々僕は、先輩の命令に従う理由なんて無いのだ。ただちょっと最初の頃は新見くんが憎らしかっただけで…でもあの美貌や人を惹きつける才能には敵わない。
先輩にメールを送ったあとは、なんだか清々しい気分になったが、その後は鬼電の嵐だった。着信履歴に残る先輩の名前。
僕は、ヒッ…!と顔を引きつらせながら、スマホの電源を切った。
この時有坂は、1年杉谷に裏切られ、おさまらない怒りをスマホにぶつけた。
ガシャ!と床に叩きつけられたスマホは、故障はしなかったものの画面が少し割れてしまう。が、割れたスマホ画面など気にせず、有坂は何度も杉谷に電話をかける。しかし一向に杉谷が電話に出る気配は無い。
「あ〜いっつ〜!使えねえな!クソっ!」
使えると思っていた駒を失った。
杉谷の存在など有坂からしたらその程度で、募る苛立ち、それから怒り。彼が抱くそれらは全て、杉谷では無く新見 倖多に向けられるのである。
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