桃色に落ちて





「はー、終わったー」

大きく伸びをしたナツが、椅子の後ろ足だけでバランスを取る。グレイがその腕を叩き落として「邪魔だ」と唸った。

「人の迷惑っつーもんを考えろよ」
「悪ぃ、オレ身体長いからよ」
「それ、足が短いってことだよな」
「んだとぉ!?」

放課後になったというのに、彼らの喧嘩に対する意欲は一日中衰えないらしい。ルーシィは机の上のハッピーを潰さないように、鞄に教科書やノートを詰め込んだ。青い猫の視線は手元を追うようにくっ付いてくる。
椅子を引いて立ち上がると、頬を引っ張り合っているナツとグレイの向こうに、親友の姿が現れた。

「忘れてないよね、二人とも?」
「お、おう」
「もちろん」

釘を刺すようなレビィの声音に、二人が即座に頷いた。彼女は「明日で最後の練習なんだから、時間を無駄にしないでよ」と腰に手を当てる。小柄な彼女がやると、可愛らしいだけだった。
レビィがバスケ部のマネージャーになって、今日で一週間――ナツとグレイが助っ人として練習に参加するようになったのも、同じ日からだった。
今週末の練習試合に対して、ただでさえ人数ギリギリの部員のうち二人が怪我で故障中らしい。ルーシィはそれを聞いたとき、正直体裁を整える目的で呼ばれたのだと思った。しかし、どうやらそうでもないらしい。
マネージャーになってから他運動部ともやり取りが増えたレビィが聞いて来た話によると、団体競技の試合では、たいてい彼らに声がかかるのだそうだ。入学してからあらゆる運動部に体験入部していたらしいが、どこにも所属はせず、その運動能力だけを各部に見せ付けたらしい。
さすがに練習試合以外では出場しないらしいが、種目は多種多様。それでいてそこそこの戦績を誇るというのだから、便利極まりない。
グレイの人気もそういうとこから来てるのかも、とレビィは分析していた。見目の良い男子が運動神経抜群の上衆目を集める機会が多いとなれば、それこそアイドルのように持て囃されてもおかしくはない。
ハッピーをナツの肩に乗せてやって、ルーシィは鞄の肩紐を持ち直した。机と机の隙間を縫って、手を振る。

「じゃ、頑張ってね」
「んだよ、他人事みてえに」
「いや、他人事だし」

ナツは不服そうに口を尖らせて、マフラーの上から首を押さえた。生え際をなぞるように、指をがしがしと動かす。
やる気の見えないその仕草に、ルーシィは足を止めた。

「どうしたのよ。なんかだるそうね」
「だってなんか緊張感ねえしつまんねえもん。試合してえ」
「その為の練習でしょうが」
「そだ、ルーシィ。お前も来いよ」
「え?」

ルーシィだけでなく、グレイとレビィも目を丸くした。ナツは面白いおもちゃを見付けたような表情でがしりと手首を掴んでくる。逃がさないと言わんばかりのそれが、彼女の背中にひやりとした汗を流させた。

「暇だろ?」
「ひ、暇といえば暇だけど」
「じゃあ決まりだ!」
「あい!」

ハッピーが小さな両手を上げて万歳をした。無邪気なそれが可愛らしくて、ルーシィはすぐに否定することを躊躇った。同意が得られないと悟ったのか、ナツが目を眇める。

「嫌なのか?」
「い、嫌、て言うか、それ、勝手に決めちゃダメでしょ。あたし部外者よ?」
「グレイも居るし」
「グレイは関係者でしょ!?」

緩んだ手を払ってぺし、と叩いてやる。
レビィの目が光った――ように、ルーシィには見えた。

「あ、良いかも。ルーちゃん、おいでよ」
「ええ?でも」
「良いよね、グレイ?」
「オレに訊くのかよ。まあ…良いんじゃねえか?」
「よっし、行くぞ、ルーシィ!」
「え。ちょ、ちょっとー!?」

手首はまたナツに攫われた。だかだかとそのまま走り出されて、蹈鞴を踏む。
彼は振り向きもせずに、ざわついた廊下をさらに騒がしくした。

「今日は千本ノックだー!」
「それ野球だし!ていうか、見学じゃないの!?」
「見てるだけなんて面白くねえだろ!」
「あいさー!」

ルーシィは引き摺られながら自分の持ち物を頭の中で確認した。今日は体育があったため、体操着は持っている。

「う、うーん……まあ良いか…」

用事はない。身体を動かすことも嫌いではない。
何より、ナツとハッピーがこんなに喜んでくれるのなら、今日一日くらい、付き合っても良いだろう。
マフラーと猫の尻尾が、楽しげに揺れている。表情は見えないが、彼らの笑顔が手に取るようにわかって、ルーシィは声を出さずに笑った。
体育館の前を通って、まだ廊下を進む。この先には部室棟が――

「ん?」

行先に不安を感じて、ルーシィは踵に体重をかけた。ずずず、と廊下を擦る。

「ま、待ってよ!どこ行くの!?」
「へ?部室」
「それって男子バスケ部でしょ!?」

レビィのようなマネージャーは体育館横の女子更衣室で着替えている、と言っていた。その扉は通り過ぎている。
ナツは足を止めて、きょとりと目を瞬かせた。

「ルーシィの着替えなんて前にも見たし、気にしねえよ、オレ」
「そっかー、目潰しされたいのね」
「じゃあ、後でな」

ピースを笑顔で構えてやると、ナツはぴっ、と右手を上げた。逃げ出すように、廊下を駆けていく。
ハッピーが途中で彼の肩から下りて、ルーシィの元に戻ってきた。

「あれ?ナツと一緒に行かないの?」
「部室、ちょっと臭いんだ」
「へ、へえ…」
「フローラルな香りで」
「なんで!?」
「芳香剤が学校から支給されてるんだって。運動部の部室はみんな同じ匂いだって、ナツが言ってたよ」
「そうなんだ」

女子更衣室の扉を開けると、様々なデオドラントスプレーが混ざった匂いがした。
足元を見下ろすと、ハッピーは遠い目をして固まっていた。






更衣室はどこも臭い。


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