Chapter.5-4




それから数週間後に右腕と右足の包帯が取れた。医者から経過は良好だと話され、数日後に退院することも決まった。

入院中ずっと我慢してたけど遂に耐えきれなくなって、一週間くらい前から俺は煙草をまた吸い始めていた。
財布の中にはクレさんからもらった一万五千円の他に少しのはした金が入っていたから、そっちを崩して使った。こずえさんが見舞いに来てくれた時この金を渡して返してもらえば良かったのにと、後になって気付いて後悔した。
もう返せる機会はないかもしれない。札を入れるポケットの外側にファスナーが付いていたので、どうして良いか分からないからひとまずそこにクレさんの金は折り畳んで仕舞った。

こんなにヤニを絶っていたのはいつ振りのことだったか、久々に吸った最初の一本で少し頭がクラクラして、その時まだ俺は松葉杖をついていたから思わず体がよろけて、慌てて近くのベンチに座ったのだった。
喫煙所で煙草を吸いながら、画面がバキバキに割れたスマホを手に取り退院日が決まったことを親父とばあちゃんに伝える。
帰ったら、三人でこれからのことを話すことになった。
随分見にくくなったスマホの画面をぼんやり見つめる。
未読が3桁を超えたラインやメールを、少し怖かったけど開く決心をした。
まずはラインから立ち上げる。半分以上がDMや迷惑メールの類いだったけど、知り合いからの連絡もいくつもあった。峯田や黒田、堀田からのラインも来ている。「最近なにしてんの」とか「成人式くる?」とか、未読だったラインの日付はどれもこれも一年以上前だった。
既読をつけてから何度も文字を打っては消した。結局、数年越しの返信をどういう言葉で始めれば良いのか分からなくて、読み返すだけで終わってしまった。

病室に戻ってから、今度はベッドに横たわってメールを立ち上げる。自動的に迷惑メールに振り分けられたメールが数百件。そして、それとは別にメインの受信トレイには、上から何番目かに「古手川ひろ」の名前がある。
数週間前受け取ったそのメールを、俺は今日までずっと開けずにいた。
純粋に、怖かったのだ。別れを告げられたあの時の、自分の言動が何度も何度もフラッシュバックする。自分の取った態度や吐いた言葉が信じられなくて、呆然とする。
送られてきたのがメールで良かった。もしラインだったらきっと既読をつける勇気すら、持てなかっただろうと思う。
件名画面をタップして、俺は薄目になりながら恐る恐るメールを開いた。
メールは「稲田くん、お久し振りです。」という一文から始まり、留学先での生活のことや、この前こっちに帰っていたということが書いてあった。
ひろが半年間アメリカへ留学していることは、実は別れる前に聞いていたので知っている。
半年も会えなくなることを告げられて、俺はあの時どんなことをひろに言ったんだっけ。行ってらっしゃいって、楽しんできてねって最後に言えたのは覚えてる。だけどその前に投げかけた言葉を忘れてしまった。不満や愚痴を零した気もするし、ひろの決心が鈍るように問い質して、追い詰めたような気もする。
困った顔をして笑うひろが脳裏にくっきり浮かんで、耐えられなくなった。…最低だ、過去の自分に本気で嫌気がさした。
音楽の話題もあった。
物凄く有名なライブハウスに行ったということも書いてあり、読んだだけで俺まで少し気分が高揚した。
そっか、ひろ行ったんだ。すごいな、◯◯とか△△がライブやったあの場所を直接その目で見たんだ。
帰国している間、峯田や柴崎さん林さんに会ったということも書いてあった。
そうだったんだ、全然知らなかった。誰とも連絡をしていなかったんだから俺が知らないのは当たり前だけど、それでもちょっと懐かしくなって、同時に寂しさも感じてしまう。
会ってる間、みんなどんな話をしたんだろう。楽しかったかな、そうだといいな。
今のひろがどんな感じかを想像する。別れてから一度も会っていないから全然分かんないや。まだ付き合ってた時「髪を切りたい」って言ってたから、もしかしたら短くなってんのかな。
俺にも会いたいと思ってた、とも書いてあって、心臓が音を立てて軋んだ。
今の俺を見たらひろはどう思うんだろう。想像するだけで怖くて、思わず目を閉じてしまう。
メールの最後の方に、ラインも送ったけど既読がつかなくて心配してますという一文があった。さっきラインを開いた時、そういえばひろとのトーク画面まで確認しなかったなと思い出す。
…そっか、ラインもくれてたんだ。あんな別れ方しかできなかった俺に、どんな気持ちで送ってくれたんだろう。
ほんと俺、心配かけることしかしないんだな、最悪だ。
メール本文の後、話題に上がったライブハウスの写真が数枚添付されていた。ひろが見た光景をこうやって俺にも見せてくれることが嬉しくて、こうゆうことしてくれんのがすごいひろらしいなと思った。
「………」
ひろ。だめだ、ひろのこと考えるとだめだ俺。泣いちゃうよ、勝手に涙出てくる。
この感情は何なんだろう。メチャクチャ散らかっててさ、整理できなくてさ、止まってくんなくて、全然、言葉になんなくて。

…メールの中のひろは、俺を「稲田くん」と呼んだ。
そっか、そうなんだ。もう「穂輔くん」って呼ばれることないんだ。当たり前なのにさ、やだな、すげー辛いよ。辛くて悲しい。また昔みたいに「穂輔くん」って、呼んでほしい。
ひろに名前呼ばれんの好きだった。ハ行で始まるから最初の頃は結構言いづらそうにしてたよね。それでも呼んでくれてさ。数え切れないくらい呼んでくれてさ。
初めて呼ばれた時メチャクチャドキドキしたの覚えてるよ。嬉しかったよ。今も頭ん中でさ、ひろの声でちゃんと再生できるよ。

…もう、過去は変えらんないから。全部俺がしたことだから。認めて受け入れて、前を見るしかないんだろう。どっかで聞いたことありそうな、励ましの言葉としてはありきたりなフレーズを頭の中で唱える。
前を見るってさ、簡単に言うけど無理だよ、そんなすぐにできないよ。しんどくて苦しくて、こんなにも逃げ出したいと思う。
みんなもこんな辛くて、だけど必死で向き合って乗り越えてきたんだろうか。すごいな、ほんとにすごいと思った。俺も同じようにできんのかな、自信ないな。

涙を拭いてからもう一度ラインを開く。トーク一覧画面をずっと下まで遡ると本当だ確かに、ひろからメッセージがいくつか送られてきていた。
『稲田くん、お久しぶりです。元気ですか?いよいよ留学が来月に迫ってきました…!』
『稲田くん、こんにちは。来週アメリカへ向かいます!』
『お久しぶりです。お元気ですか?◯日から一週間ほど一時帰国します。』
未読だったメッセージは全部で三つ。未読の一通目のメールは別れてから2年ほど経って送られたものだった。
毎日なんの実りもない生活を送っていたから気づかなかったけど、そういえばひろと別れてからもう三年くらい過ぎているのかと思い返した。
年月を正しく把握した途端、途方に暮れそうになった。三年。そんなに長い時間を俺はドブに捨てていた。いつの間にそんなに時が経っていたのかと信じられない気持ちだった。
…三年間も逃げてたんだ、そっか。俺ほんとに頭が死んでたんだな。麻痺してた。おかしかった。
親父が会いに来てくんなかったら、あの時のひろの言葉がなかったら、もしかしたら俺はまだ逃げたままだったのかもしれない。それを考えると身がすくみそうだった。おかしくなってる間は、だって自分がおかしいと本当には気付けない。
気付かせてもらったんだ。俺一人じゃきっと、ずっとダメだった。

過去は変えられない。変えられないってことは消えないってことだ。何度でも後悔して、死ぬまで思い出せばいい。何度も食らって泣けばいい。泣いてもいい。
いつか既読は付くだろう。それを思うと怖いけど、でも怖くてもいい。いいんだ、怖いと思うことからもう逃げないでいよう。





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