Chapter.5-5





退院後、親父の車に乗せてもらって一緒に家に帰った。
家に着くとばあちゃんが先に中で待っていて「おかえり」と言ってくれたので、言い方を忘れかけていた「ただいま」を、そのお陰で俺は言うことができた。

「あんたはこれからどうしようと思ってんの?」
三人でリビングのテーブルを囲み、自分が淹れたコーヒーを啜りながらばあちゃんが俺に尋ねる。
入院中、一人で考える時間は充分すぎるほど与えてもらった。俺は自分が考えていたことをぽつぽつと話し始めた。
「…大学は、卒業したいと、思ってて」
「…そう。大変だよ。まずは生活から改善してかなきゃなんないんだからね。勉強もしないと。誰も手伝ってなんかくんないんだよ、あんたが自分でやらないと」
「うん。…頑張りたい。と、思ってる。…や、思ってます」
決意は固めた筈なのに、どうしても自分の口から出る言葉は歯切れが悪いものになってしまう。今どういう気持ちで親父やばあちゃんが聞いているのかが、分からなかったからだ。もしかしたら呆れているかもしれないと思うと、怖かった。
「金は、いつか返そうと思ってる。…迷惑かけてごめん。だから、もうちょっとだけ力貸してほしい…です」
それまで俺の横で黙って聞いていた親父が「いいよ」と短い言葉を挟んだ。
「金は別に。お前がどうしても返したいっつうなら、返せるその時に返してくれりゃいい」
「…うん」
「本当に卒業する気あんのか」
「…うん、ある」
「…そうか」
親父は良いとも悪いとも言わず、ただ頷くだけだった。コーヒーを啜りながら前を見つめる親父が、今なにを考えているのか俺には分からない。
「じゃ、とりあえず当面の目標はできたっちゅうことね。穂輔、自分で言ったんだからちゃんとやんなさいよ」
「うん」
「次はないと思いな。いいね」
「はい」
ばあちゃんはそこで一区切りつけたのか「ちょっとトイレ借りるよ」と言って席を立った。親父もそれに続くようにして、胸ポケットの中から煙草を取り出して台所へ向かった。
換気扇のスイッチをつける親父の姿をぼんやり見つめる。俺も吸いたくなってズボンのポケットの中に手を入れ煙草の箱に触れるが、吸ってもいいものか分からなくてそこで手が止まってしまった。
「…そこで吸うなよ、お袋怒るから」
親父が俺の方をチラリと見て言う。
昔から変わらない、赤ラーを親指と人差し指で持って煙を吐く親父の姿が、とても懐かしく感じた。
「…俺も吸っていい?」
「なんだよ改まって。だめって言われると思ったか?」
親父が小さく笑ったので少し安心して、俺はソファーから立ち上がり親父のそばまで向かった。
アメスピを一本取り出して火をつける。
親父とこうして二人並んで吸うのは生まれて初めてだった。高校の時からコソコソ吸っていたし親父もそんな俺に気づいてはいたから、取り立てて驚かれることもないのは当然だけど、自分が喫煙している姿をこうして堂々と見せたことは、今までなかった。
「…お前ももう21か」
「…うん」
「もう怒んなくていいと思うと…なんか変な感じだな」
「…」
親父も俺と同じように高校の時から吸っていたらしいから、今までずっと俺が吸っているのを強く叱れなかったのだろう。俺の吸い殻や空き箱を見つける度に「だから…」とこぼして、困った顔をされたことを思い出す。
「…ごめんね」
「あん?」
「昔、親父が忘れて置いてった煙草いつもくすねてたなと思って」
「…あー…まあ、忘れる俺も俺だしな。お袋にいつもえらい怒られたわ」
「…うん、ごめん」
「いいよ。まあ俺も強く言えねえんだよな。多分お前より吸ってたから。高校の時は」
「…へえ、そうなんだ」
俺が高校生の時は昔の話を全然言いたがらなかった親父が、自らそんなことを打ち明ける。俺は内心少し驚きながら、隣で静かに相槌を打った。
「…いろいろ、悪かったな」
「…なに?」
「いつも家空けてたからよ。…寂しい時もあったんじゃねえかと思って」
「…」
思い返してみても、俺は自分のことなのによくわからなかった。自分が寂しいと感じていたのかどうかがひどく不鮮明で、肯定も否定もできない。
寂しいって泣いたり行かないでって縋ったり、そういうことをした記憶が一度もなくて、もしかしたら俺はガキの頃からずっとそういった感情とまともに向き合ってこなかったのかもしれないと思った。
俺の根幹はどこから始まって、いつから歪み始めたんだろう。…また母親の顔が浮かんで、俺はすこぶる気分が悪くなった。
親父がいつも頑張って働いてくれていたこともちゃんと知っている。謝られる必要なんてない。頭を下げなきゃいけないのは親父じゃなくて俺の方だ。
「…俺がこんなんなったの、親父のせいじゃないよ」
本当に、親父のせいなんかじゃない。絶対に違う。俺が自分で、転がるようにそっちへ行ってしまったのだ。
「大学、頑張るから。…ちゃんと卒業する。心配かけてごめん」
頭を下げると、煙草を吸い終わった親父が灰皿に吸い殻を押し付けてから俺の頭を乱暴に撫でた。
「…馬鹿たれ」
少し不器用なその四文字に、また胸が軋んだ。もう二度と親父が「悪かった」なんて言わなくていいように、そんな思いをしなくて済むように、これからできることを俺は必死で頑張らなきゃいけない。
「踏み外すこともあるよ。そりゃ、生きてりゃよ。完璧な人間なんてそうそう居ねえよ」
「…うん」
「…生きててくれて良かったよ、本当に」
「…うん」
どうしてだろう。優しくされると泣きたくなってしまう。もっと叱られて、何回だって殴られて、それでも足りないくらい俺はどうしようもなかったのに。返すべき言葉も見当たらなくてただひたすら、胸は詰まる一方だった。

その夜は親父が買ってきた寿司や惣菜を三人で食べた。もっと食べなとばあちゃんに何度も言われて、あんまり腹は減ってなかったけど自分の取り皿によそわれた分を俺は頑張って平らげた。
寿司が三分の二ほどなくなった頃少し酒の回った親父が、ふと思い出したように「あ」と言った。
「そういや穂輔、古手川さんに連絡しとけよ」
「…は?」
予期していなかった名前が親父の口から出てきたので動揺し、俺は醤油皿から取り上げた寿司を思わずもう一度その中へ落としてしまった。
「家の前まで来てたことがあって、その時にちょっと喋ってよ。お前からなんの音沙汰もないっつって、心配してたぞ」
「……」
「詳しくは聞かねえけど、余計な心配かけさせんなよお前」
「…」
「古手川さんってあれじゃないの、髪が黒い女の子。あんたと違ってしっかり者って感じの」
ばあちゃんの言葉に小さく頷くと、またいつものように大きな溜息をつかれた。
「なにあんた、連絡してなかったわけ?…は〜もう…あらまあ…」
親父もばあちゃんもひろには何度か会ったことがある。付き合ってたことも知っているし、今はもうそうではないことも、きっと悟られてしまっただろう。
ばあちゃんは長い溜息の後に「…そう」とこぼした。
ひろの顔を思い浮かべる。よっぽど心配をかけたのだろう。まさか、家まで足を向けてくれるなんて。帰国していた間のことだろうか。
「…まあ、お前のタイミングで良いと思うけどよ」
そう言った後、少しの気まずさを感じたのか親父はテレビへ視線を変えて芸人のトークに笑ったり野次を入れたりした。
どんな風に返信をしたら良いのか、今は全く分からない。心配かけてごめんとか、久し振りとか、いくら考えても始まりの言葉はどれもこれもしっくり来ないのだ。
親父の言う通り、俺が良いと思えるタイミングがあるのかもしれない。まずは生活を立て直さなければいけない。
来週からまた大学へ行く。その前に髪と髭をどうにかしようと思う。寿司皿の端の方に寄せられたガリをつまみながら、俺はそんなことを考えていた。




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