Chapter.4-1




タバコの量が増えたと思う。自分でそう感じた訳ではなく、注ぎ込んでる金の量が増えたからそうだと思ったのだ。1日に何箱吸っているのか自分でもよく分からない。眠っている時以外は大抵いつも咥えているような気がした。
飯をあまり食わなくなった。前までは自分でも燃費が悪いと自覚するくらいには、食っても食っても腹が減っていたように思うのに。
今は部屋にいる時りんさんやメゾさんが声をかけてくれてやっと、そういえばまだ起きてから何も食ってなかったと思い出すような毎日だった。動いてないし、腹が減らないのは当然なのかもしれない。仕事に行く時以外は大概横になってタバコを吸っているだけだ。

「ねえホスケ、ちょっと痩せたね?」
りんさんがソファの隣でインスタントラーメンを啜りながら言う。俺はテレビをぼうっと観ながら「そー?」とだけ返した。
りんさんが作ってくれるインスタントラーメンには、いつもワカメと卵が乗っている。前はこんなの、一人前じゃ全然足りなかったなと、数年前の自分を思い出しながら卵の黄身を潰した。
「美味しい?」
「うん」
「ほんと?」
「うん」
「えへへ〜。たぁんとおあがり」
「なにその口調」
麺を啜りながら笑うとりんさんは俺の何倍も嬉しそうに笑った。デクさんがいる時は、目も合わないのに。

仕事は、メゾさんが連れ出してくれるからなんとか行った。スーツに着替えるのもかったるくて仕方なかったが、メゾさんが決まって「タバコ買えなくなるぞ〜!」と俺にお決まりの台詞を言うのでやっとの思いで重い腰をあげる。
クレさんが「二人一緒なら送迎する」と言い出したので、俺はメゾさんのシフトに合わせて出勤するようになった。メゾさんには固定客がいるが俺は特にいないので、こっちが合わせる方が自然だ。それに、自分一人できちんと出勤する気力なんてきっと今の俺にはないから、こっちの方が都合が良いのかもしれない。

勤務歴が長くなるとそれに比例して少しずつ客から声をかけてもらう回数が増えた。一度もテーブルにつけない日もないことはないが、そんな日はひと月に一回あるかどうかだ。
記憶が薄れかけた頃以前対応した客からふらっと声をかけられ、気まぐれにテーブルに誘われる。テーブルに着いてからの接客は、多分、最初の頃より上手くなったと思う。なにを言ったら喜ぶとか、なにをしてほしいとか、なんとなく読めるようになった。
積極的な客は何人かいた。拒む理由もないから希望に応じるようにした。ずっと前メゾさんが言っていた「さすがにテーブルで本番する奴は」という言葉を覚えていたのでそこまですることはなかったが、際どいことは、結構した。下に手を誘導されて触って欲しいと強請る客もいたし、テーブルの下に潜ってフェラしてくる客も、膝の上に乗ってディープキスしながらオナニーする客も、玩具を持参して俺に使わせる客だっていた。
テーブルをキープしたまま店外へ誘われたこともある。近くの駐車場に車を停めている、今から移動して、車中で最後までしようと。さすがにその申し出は頷けなくて首を振ると、その客は二度と俺につかなくなった。しばらくしてから他の奴を指名しているところを見かけた。もしかしたらそいつのことも誘ったのかもしれない。
給料は増えた。店からもらう金以外にも接客中に客から渡される金もあったから、そういうのも全部合わせたら多分ひと月に30から40くらい稼いでいたと思う。稼いだ金はやっぱりタバコと、それから酒と、あとはクレさん達から頼まれて買うタバコや食費に消えていった。
気付いたらいつの間にか寒さのピークは過ぎていて、三月に入ったのだとスマホの画面を見て知る。もうすぐ新しい年度が始まる。普通に大学に通っていれば俺は三年生になる筈だが、もう最後に行ったのがいつだか思い出せないような奴が進級できるわけもない。親父やばあちゃんの顔がちらりと浮かんで、すこぶる憂鬱な気持ちになったから考えるのをやめた。
相変わらず毎日は、水が低い方へ流れるみたいに過ぎていく。思い出したくないことばかりだった気がするのにいつの間にか、何を思い出したくなかったのか忘れてしまった。

その日は明け方5時に部屋に着いて、かったるい体を引きずりながらなんとかソファーに座った。隣の部屋から誰かのいびきが聞こえる。今日はどの部屋に誰が何人いるのだろう。玄関はいつも散らかっていて、部屋に何人いるかもわからない。リビングは俺一人しかいなくて、もう面倒だからこのままソファーで寝落ちしようと思った。
スーツの上だけ脱いで背もたれに適当にかけてから、テレビのリモコンを操作する。誰かを起こすことのないよう音量を下げ、早朝のニュース番組を流し見する。タバコを吸って、テレビから聞こえる音をBGMにして、ゆるゆるとやってくる眠気を迎え入れる準備をする。そのまま背もたれに身を預けて目を瞑ると、思考が現実と夢の間を彷徨い始めた。
今日接客した客の顔がぼんやり浮かんで、水面に映る景色のようにユラユラ揺れて、他の客の顔と混ざり合ったりする。その過程でどうしてか、客の顔がとーこさんになった。とーこさんは揺らめきながら口を動かしている。何かを言っているのだ。なんと言っているのか気になって近づく。するととーこさんの声がはっきり輪郭を持って俺の脳内に響いた。
「ほすけくんは誰も大事にできないもんね」
とーこさんが優しく笑って、暗闇の中に消える。俺はその瞬間に目を開けて、現実に戻ってきた意識にホッとした。咥えたままのタバコが今にも灰を落としそうだったから慌てて灰皿に落としてやる。
「……」
夢の中のとーこさんの言葉は多少脚色があるが、けれど殆ど、実際に俺が言われた言葉と変わらない。
とーこさんは俺に「ほすけくんに大事にされることもないだろうって」と、あの時に言った。…きっとその通りなんだろう。だって俺は昔、違う人からも同じことを言われた。
ソファーの上にゆっくり倒れて天井を見る。カーテンの向こうからうっすらと差し込む外の光が、天井に直線的な模様を描いていた。
「…ホスケ?」
いつもキーくんとこずえさんが寝てる部屋のドアがそっと開き、その隙間からりんさんが顔を覗かせた。ドアの向こうに気持ちよさそうに寝ているキーくんとこずえさんの姿が一瞬見える。今日も二人は仲良しだ。
「おかえり、帰ってたんだ」
「うん」
「今日どうだった?」
「…んー…」
「疲れた?」
「…んー…」
ソファーに寝転んだまま適当な相槌を打っていると、りんさんが傍まで寄ってきて背もたれ越しに俺を見下ろした。
「ホスケ、お仕事慣れてきた?」
「んー…うん…どうだろ」
「楽しい?きつくない?」
「…んー…」
「ホスケおねむ?」
りんさんが俺の顔を覗き込みながら笑う。化粧していないりんさんの顔はいつもより随分幼く見えた。と言っても俺はこの人の年齢を知っている訳じゃない。だけど俺やメゾさんと同じような時間帯に彼女も働いているから、俺より年下ということはないのだろうと思う。キャバクラか、それともソープかは知らない。
「ホスケかっこいいからなあ。お客さんいっぱいついてるんだろうなあ」
「……んー…」
「ねえねえ、可愛い女の子とかいた?」
りんさんのその問いに、一瞬だけとーこさんの顔が浮かんでしまった。数秒遅れて「別に」と返したがもう遅かった。りんさんは「えー!いるのー!?」と驚いた様子で声をあげ、背もたれの向こうからこちら側へせかせかと移動してきた。
「やだやだやだ!どんな子!?若い?それとも大人っぽい感じ?」
「だからいないってば」
「うそー!ホスケ今誰かのこと思い出してたじゃん!ちゃんと正直に言わないとだめ!」
りんさんは何がそんなに気になるのか、わざわざ俺の上に馬乗りになって執拗に問い詰める。眠気もあったからそのしつこさに苛々して俺は小さく舌打ちした。
「重いんだけど」
「うわ!ホスケ最低!」
「どいて」
「女の子に重いとか言う男はマジで最低だよ」
「どいてって」
「いやです、ホスケがちゃんとごめんなさいしてくれなきゃどきませんー」
「サーセンした」
「なにそれ適当すぎ!」
りんさんが俺の上でケラケラと笑う。楽しそうな彼女を見上げながら、ああ今日はデクさんがいないのだと分かった。
「ホスケは酷い奴だよ」
りんさんが俺の上に跨ったまま、腕を組んで頬を膨らませる。彼女のセリフを頭の中でなぞってみた。本当に俺は、目も当てられないほど酷い奴なのかもしれない。
「…クズって?」
「あはは。うん、クズクズ!」
「どーしよーもねえ馬鹿で?」
「あはは!うん、ホスケは馬鹿!」
「…」
とーこさんに言われた言葉を思い出す。そうだ、俺は救いようのない馬鹿だから、変われないのだ。どうすれば良いか分からないのは、自分の脳みそが足りていないから。
「…ホスケ?」
「……俺、なんも大事にできないんだって」
「なに?」
「大事にできないって最悪だよね」
「ホスケ?どしたの?」
「…最悪のクズだよね」
りんさんも頷くだろうか。頷いて「そうだね」と答えるのだろうか。いっそ頷いてくれればいい。纏わりつく泥みたいなこの眠気の中で、そうすればきっと気絶したように眠れる気がした。
「ホスケ、かなしいの…?」
「……別に」
りんさんが上半身を屈め、俺に顔を近づける。なに、と聞く前に影が落ちて、唇にキスをされた。
「…なにしてんのあんた」
「ね、ホスケ…する?」
「は?」
「慰めてあげる。ね?」
「何言ってんの、どいてよ」
「だいじょぶ、私がホスケのこと元気にしてあげる」
りんさんはそう言いながら俺の頬や首に何度もキスをした。鎖骨に唇を這わせながら俺の股間に触れようとするので、さすがにその手を掴んで遮る。
「やめろって、マジでなんなんだよ」
「いいよ、ホスケはそのままゴロンしてて」
「なんで?デクさんは?」
その言葉で少しくらいは彼女の動きが止まるかと思ったが、そんなことはなかった。りんさんは薄ら笑いを浮かべながら人差し指を立てるだけだ。
「ホスケと私のないしょね?」

それから、りんさんの右手でしごかれ、しゃぶられ、何度かやめろと訴えたがそれに頷かれることはないまま、彼女は躊躇なく下半身の服を脱いで、俺たちはソファーの上、騎上位の体勢でセックスをした。
「あ、あ、きもちぃ、ホスケ」
他の部屋で寝ている誰かを起こさないようりんさんが小さな声で喘ぐ。眠くても胸糞が悪くても俺の性器はしっかり勃っていて、気持ちよさを細部まで味わおうとする。勝手に血液が、一箇所へ集まろうとする。
「や、やん、ぁ、あん」
りんさんに動いてと強請られ、俺は彼女の両手首を一まとめにして雑に握り、下から突くように腰を動かした。すると彼女の体が魚みたいに俺の上で跳ねる。
「あっ、だめぇ、ぁ、それきもちぃ」
「…うん」
「や、や、ホスケ好き、好き、ずっとエッチしたかったの、あ、あん、あっ」
「…」
喘ぎ声の合間にりんさんが俺の名前を呼ぶ。うわごとのように繰り返される三文字を聞きながら、俺はさっき返事をもらえなかった自分の言葉を何度も頭の中で繰り返していた。
ねえ、俺ってやっぱクズだよね。

返事はない。あるわけがない。
部屋に差す朝の光も俺の上でよがるりんさんも、まるで俺に無関心だ。







←prevBack to Mainnext→





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -