Chapter.3-3




キーくんを見送った後に式場へゆっくり移動する。もう式が始まっているのか、辺りにいる人はまばらだった。…よかった、見知った顔は今のところいない。
開放されたままの式場の扉をくぐると、中は袴やスーツ姿の男たちや振袖を着た女たちでごった返していた。式自体はもう殆ど終わっているらしい。
俺は目が悪いので、目を凝らさないと遠くの人の顔が分からない。眉間に力を入れて知り合いがいないか見渡していると、横から「稲田?」と聞き覚えのある声がした。
声のする方を向くと、高校の頃によくつるんでいた連中がそこにいた。
「稲田だ!おいーお前ー!なんだよおせえよ来ねえのかと思ったじゃんよー!」
この中で唯一袴姿の奴が言う。堀田だ。高校の頃から気のいい奴で、優しくて、俺に気付いて嬉しそうにしてくれたこの顔も、きっと本心からなんだろうなと分かる。
「なんだよ連絡しろよ。この後高校メンツで打ち上げあんだって。行く?中学の方の打ち上げ行く奴もいるからあんま人数いねーけど」
そう言ったのは黒田だ。相変わらず黒髪と黒マスクは健在である。高校の時もいつも黒マスクと黒セーターを身につけていたことを思い出す。名前を体現するかのように、こいつは黒で身を包むのが好きなのだ。今着ている細身のスーツも勿論黒だった。
「…や、打ち上げはいーや」
言葉を返すと、堀田が「なんだよなんだよー!」と喚いた。
「寂しいじゃん来いよー!つうかなんだ、稲田なんか、怒気がねえな!?」
「なんだよ怒気って」
「怒気だよ!若い頃はいつも纏ってただろオーラみたいに!」
堀田の言葉に黒田が「確かに」と頷いた。
「纏ってねえよ」
「ツッコミも弱弱しいな!なんだなんだ!何があった!」
「うるせえ声でけえよ」
「ほらもっと!もっとだ!あの頃の元気はどうした!」
「堀田やめてやれよ、年取ったんだよ稲田も」
三人で話していると、今度は反対側から「稲田?」という声がした。ああ、この声は峯田だ。
振り返ると、丁寧に脱色したんだろうなと分かる綺麗な色の金髪の峯田がいた。俺の顔を見るなり何故だか随分驚いた顔をして、峯田は数秒黙り、しかしすぐ笑って「久しぶりじゃん!」と言った。
「なんだよ会えないかと思ったよー!四人とも会場一緒だったから集まれたらいーねって言ってたんだよ!元気か稲田ー!」
「…おー」
「稲田ぜったい髪バリッバリに固めてくるかと思ってた!まさか素で来るとはなー!ビックリしたー!」
「峯田まずいぞ、稲田の怒気オーラが消えてやがる」
堀田の言葉に峯田は「あははマジだ」と笑った。
「しょうがねえよ、年取ったんだよ稲田も」
「年寄りみてーに言ってんじゃねえよ二十歳だわ」
「ほら!な!ツッコミが弱弱しい!」
「あはは!」
この四人でよくつるんで、高校の頃は遊んだなと思い出す。一緒にスマホアプリで対戦したり、体育でサッカーをやった日に何故か白熱してしまって、学校帰りに空き地に集まってわざわざボール蹴りに行ったり。四人とも高校から家が近くて、だから学校の後に遊ぶ場所が決まってた。ゲーセンやカラオケ、それからファミレスに行ったりもした。
全員、苗字に「田」の漢字がつくからという理由で、四人のライングループに「チーム田んぼ」と名前をつけて、どうでもいい話をよくした。
…どうでもいい筈の一つ一つを、どうしてだろう、ちゃんと鮮明に覚えている。
「いやー稲田くんも老けましたね、うん。無精髭なんて生やしちゃって。なんだか空気がくたびれてますよ」
堀田がふざけながらそんなことを言う。一番老け顔の奴が言うセリフじゃねーだろと内心思い、何でだかツッこむ前に笑ってしまった。
…会えて良かった、と思った。昔つるんだ連中と一緒に懐かしさに浸るのは、思っていたより心地いい。

「あ、こてちゃんは元気かー?」
「…」
峯田の何気ない問いに体が一瞬硬くなる。こてちゃん。古手川の「こて」の部分をとったあだ名。…ひろのことだ。
「……知らないけど」
それはきっと分かりやすい言葉だっただろう。「別れている」と、ちゃんと伝わったに違いない。
峯田は目を見開いて「…うっそぉ…」とこぼした。
「…え、なん…なんで?」
「…」
答えられる言葉など持ち合わせていないから、俺は俯いて黙る。妙な沈黙に最初に降参したのは堀田だった。
「ん、ん〜!そうか〜!まあ卒業してから二年経つわけだしねぇ!そりゃ色々とねぇ!」
堀田に続いて、今度は黒田が言葉をつなげる。
「まあ色々あるわな。こてちゃんってあれだろ、稲田が働いてたとこの。紺野高校の子だろ」
「…」
峯田がまだ、真っ直ぐ俺を見つめている。答えを待っている。俺は顔を上げられなくなった。
「…おい峯田。いいじゃん別に。言いづらいこと聞いてやんなよ」
黒田がそう言うと、峯田はハッとして「ごめん!」と急に謝ってみせた。
「そーだよな!ちょっとビックリしちゃってさ!悪い稲田!」
「…」
堀田と黒田が俺たち二人の顔を伺っている。妙な空気はなかなか解れてはくれず、また数秒沈黙が流れた。その時、少し遠くの方で「黄田高の打ち上げ来る人ー」という招集の声が上がった。
「あ、じゃあ俺ら行くから。またな稲田」
黒田がポケットにしまっていた手を片方出して緩く振る。堀田もそれに続いて「後でラインするぜい!」と言いながら移動した。けれど峯田は、そこから動こうとしない。
「…おまえ出ないの」
「ん?俺はねー中学の方の打ち上げ出るから!」
「…そう」
式は終わり、館内からポツポツと出て行く人たちがいる。俺もその人らに続いてこの場から去ろう。そろそろ煙草も吸いたい。外に行けば近くに喫煙所があったはずだ。
「…じゃー俺帰るわ」
峯田にそう言って式場を後にする。峯田は頷きも返事もしなかったが、俺は振り返らずに進んだ。

峯田はきっと、俺とひろが別れたことに相当驚いているだろうと思う。
当時、俺とひろが付き合い始めてすぐの頃、峯田には数日でバレて(何も考えていなさそうなのに、野生の勘のようなものが物凄くあるのだ、あいつは)、それからは峯田が俺たちのバイト先に遊びに来て話したり、ひろと峯田が少し仲良くなってからは三人で音楽のライブに行ったりもした。峯田は男も女も関係なく交友関係が広い奴だったが、ひろにとって峯田との関係は新鮮なものだったらしい。「男友達ができたのはこれが初めて」と、三人で遊んだ後の帰り道、よく聞かされた。
峯田は楽しい場所をたくさん知っていたし、どこへ行っても知り合いや友達に出くわすくらい顔が広い奴だ。ひろはそれにいつだって驚いて、それから尊敬の眼差しで見ていたように思う。
峯田がひろに手を出したり好きになったりすることはないと俺は分かっていた。峯田は色恋に殆ど興味がない。古着と音楽、あとは友達さえいれば他には何もいらないような奴だ、だからその辺りは俺もあまり気にしていなかった(と言っても、まあ、何回か牽制したことくらいはある。その気がなくても馴れ馴れしく触られると腹が立つので)。
俺も割と、三人でいるのは好きだったのだ。ひろが楽しそうにしているのを見るのが好きだったし、峯田は俺たちをからかうように囃し立てたりしない。峯田にとっては「友達三人で遊んでいる」という感覚以外はなかったんだろう。それが俺もひろも、居心地が良かったのだ。
だから、峯田は驚いたと思う。多分他の誰より、二人でいる時の俺たちを見ていたからだ。
「いいなー、超仲良しだな稲田とこてちゃん」
峯田が俺たち二人を見ながら笑って言った言葉を思い出す。含みや嫌味など何もないそのままの言葉が、あの時嬉しくて、同じくらい照れ臭くて、だから俺は眉間に皺を寄せて「うるせえ」と誤魔化したのだ。

喫煙所に辿り着き、一時間ぶりの煙草に火をつける。いつもの慣れ親しんだ香りが鼻を抜け、俺はようやっと息を大きく吐いた。
今日はこの後どうするかを考える。ここからだとクレさん達の部屋より実家の方が遥かに近い。久々に帰ってみようか。親父に出くわさないといいけど。
間髪入れずに二本目の煙草に火をつけたところで、向こうから走ってくる人影が見えた。目が悪くてもすぐ分かるその金髪は、さっき別れたはずの峯田だった。
峯田は俺の元まで辿り着くと小さな紙袋を差し出して「これ稲田の!」と言った。
「…なにこれ」
「参加者への粗品だって!タオルと石鹸と、あとなんだっけな、ボールペンだっけ?」
「…どうも」
式場の名前と一緒に「祝・成人」と印刷された紙袋を峯田から受け取り、俺は煙草を咥えたままその中身を覗いた。峯田の言う通り、地域の名前がプリントされたタオルと小さな石鹸、それから100均で五本セットで売られていそうなボールペンが入っていた。
カバンを持って来ていないので手首からぶら下げて帰るしかない。長くなった煙草の灰を設置されている灰皿に落として、俺は小さく溜息をついた。
「あのさ稲田、さっきごめんな」
峯田が少し真面目な顔をしてそう言った。
「考えなしに聞いちゃった。悪い」
「…いーよ、別に」
短くなった二本目の煙草を灰皿の中に落とす。水の張られた灰皿に俺の吸い殻が落ちて、火が消える小さな音が聞こえた。
「稲田は最近なにしてんの?」
峯田が話題を変えるため尋ねる。けれど俺はこの質問にも弾んで答えてやることが出来なかった。
「…なんも」
「あはは、なんも?なんもってなんだよ」
「…ほんとになんもしてねーんだ、いま」
日々を持て余して、浪費してる。その説明以外に今の自分を表す言葉なんてない。少し笑うと、峯田は困ったような、寂しそうな顔をした。
「そっか…」
峯田の呟きが地面に落ちる前に、また俺は三本目の煙草に火をつける。煙草はいい。それだけで「何かをしている」気になれる。沈黙や余白を埋めているように感じられるのだ。
「…」
峯田は、まだ俺に何か聞きたいようだった。こんな風にやり辛い空気の中で峯田の言葉を待つよりいっそ、自分から言ってしまった方が楽かもしれない。峯田が聞きたいことは多分、十中八九これだろう。
「…ひろから言われた。別れたいって」
俺の言葉に峯田が顔を上げた。
「去年の夏前くらいだったかな…で、俺も、わかったっつって」
「…そか」
「……納得いかねえって?」
難しい顔をする峯田に言ってやると、峯田は少し迷ってから、しかし遠慮がちに頷いた。
「…ひろに言われた言葉が、わかんなくてさ」
あの時泣きながら俺をまっすぐ見つめたひろの、その瞳を思い出す。俺はあの時たじろいだんだ。自分から先に、目をそらしてしまった。
「分かんないまんま投げたんだ俺。…ちゃんと話せばなんか変わってたのかな。ちょっと、後悔してるけど。そこだけは」
「もっかい話しに行けばいーじゃんか」
峯田がそう返すが、俺は頷けないまま笑った。
「…もう会う資格ねえよ」
三本目の煙草も灰になってゴミになる。灰皿の底に落ちる。四本目を取り出して火をつけながら思い切り息を吸い込む。まるで縋っているようだと思った。縋るように吸って、吐いて、俺は肺の中を煙でいっぱいにする。
「…なんだよ、資格ってさー…」
消えてしまいそうな小さな声で峯田が呟いた。
「わかんないよ…」
峯田と同じだ。俺にもわからない。どうして、いつから、なにが理由で、こんな風になったんだろう。一つ一つを拾い集めて一本の糸のようにできたら、心は晴れるんだろうか。…でもそんなのかったるくて、俺には到底出来そうもない。
「…自暴自棄みたいになってるかも、いま」
「…うん?」
「別れてから、なんか…ダメなんだよな。何にもやる気起きなくてさ」
「…うん」
「…こんなん、ひろ、きっと幻滅すんだろーなって」
「…」
「…はは、なんでお前がそんな悲しい顔すんの」
峯田はいつも笑顔だ。真面目な顔や困った顔なんて滅多に見せない。ましてや、そんな悲しそうな顔なんて一度も。
「…峯田は専門行ってんだっけ」
話題を変えると、峯田は少し慌てながら「うん、そう」と相槌を打った。
「制作メチャクチャ多くてさ。楽しいからいんだけど!この前は二泊連続で学校泊まったりした」
「そーなんだ、服作ってんの?」
「そー!今度ショーがあるからさー!チームで作ってんだよね今回は。みんな考えてることぶっ飛んでて面白い!」
「へー、いいじゃん」
「あははまーね!稲田は?大学どう?」
「…最近あんま行ってねえや」
「…あは、なんだよ行っとけよー!後で後悔すんの自分だぞ!」
「そーだね」
峯田の言う通りだと思う。本当に同意して頷いたが、もしかしたら峯田には気のない返事と思われたかもしれない。
四本目の煙草も終わりそうで、俺は火を消す前に次の煙草を箱から取り出した。峯田がそんな俺の一連の動作を見ながら、少しだけ目を丸くする。
「…あはは、さすがに吸いすぎだろ!」
…そんなことは分かってる。分かってるけどさ。
「だってこれしかねーんだもん」
みっともないなと思った。だって今のは正真正銘ただの弱音だ。俺は俺のことを、またこうやって見損なっていくんだな。
峯田はそれから黙って、気を取り直すようにして「そっか!」とだけ言った。
「…んーと、じゃあ俺、中学の方の打ち上げ行ってくるから!稲田もまたな!久し振りに会えて良かった!」
「…おー」
歩き出そうとする峯田に罪悪感が募った。
わざわざここまで俺のために、粗品届けに来てくれた。なあ、謝る為に来てくれたんだろ?言いにくいこと聞いてごめんって、それだけ言うために。
…なのに、俺はさぁ。
「…峯田」
背中を向けた峯田を呼び止める。「なに?」と言って振り向いた顔は、もういつもの、見慣れた笑顔だった。
「…ごめんね」
「うん?なにが?」
その「なにが」は、本当に分からなくて尋ねた言葉だったのか、それともとぼけるフリをしただけなのか、俺には分からなかった。
「もうずっと頭使ってねーから。…脳みそ死んでんだ、俺」
俺の言葉にキョトンとしてみせてから峯田はまた笑う。
「あはは何言ってんだよ、俺よりお前の方が頭良いじゃんか!嫌味かー!?」
「…そういう意味じゃねえよ」
違うんだよ、峯田。俺は本当にいま頭がくたばってる。起きねえんだよ、揺すっても叩いても、よだれ垂らしたまんま寝てんだ。
…なあ、どうしたらいいのかな。一体いつになったら、俺はここから立ち上がるんだろう。
峯田は困ったように笑って「わっかんねーよ、稲田の言うこと難しいんだもん」と言った。
答えを知ってるのは、俺以外の誰かじゃない。どうして俺はそれを知っているのに、知っていて尚、逃げようとするんだろう。
「…ごめん」
「だから何がだよー!そんな謝んなよ!」
「…うん」
「今日は会えて良かった!また今度飯でも食いながらいろいろ話そ!」
「…おー」
「ラインする!じゃあな稲田!」
峯田の背中を見送りながら、結局、新しい煙草にまた火をつける。ここに来てからこれが何本目だったかは、もう忘れた。

俺は打ちのめされていた。
高校の奴らや峯田に会って、今自分がどれだけ無気力に生きているのかを改めて思い知ったからだ。

ああ、久しぶりだな。世界が全部灰色に見える。





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