Chapter.3-4




「で、まずは最初の一杯オーダー貰ったらあっちの奥にいるバーテンさんに声かけて、作ってもらって」
「うす」
「あとは作ってもらってる間、お客さんがリラックスできるように色々話してあげて」
「うす」

二月の初め。連日寒さに舌打ちしたくなる。俺は冬が早く終わらないかと毎日思っていた。寒いのがとにかく苦手なのだ。
外は雪が降っていた。深夜0時過ぎ、客もまばらな店内のバーカウンターの隅で、俺はメゾさんから接客方法を教わっている。
「まあ最初の一杯は形式的なもんっていうか、大事なのはいかにお客さんと上手にテーブル行くかだから」
「…」
「ここに立ってるだけだと時給換算なっちゃうからできれば指名もらわないとね。テーブルついたら一回につき基本給7500もらえるから」
「…うす」
「で、そっから15分ごとに1500…いや2500だったかな?もらえるんだよね。あとドリンクとか料理とかオーダー入ったら料金の25パーが自分に入って…いや、30パー?ごめんちょっと忘れちゃった」
「…はあ」
「とにかくテーブルついて一時間話せたら1.5万くらいはいくと思うよ。な。キャッチより稼げそうでしょ」
メゾさんが笑ってそう言うので、俺は黙って頷く。
「…ここで立ってる時の時給っていくらなんすか」
「んーと、いくらだったかな…920?あれ?970だったっけ…」
深夜帯に働いて貰える金額にしてはあまりに低すぎる。やはり指名につかなければ稼げないようだ。
「テーブル行く時はスーツの上羽織ってから行ってね。あとここに立ってる時だったら煙草とトイレ休憩はいつでもオッケーだから。よし、じゃあ早速行くか〜」
メゾさんが一通りの説明を終えて軽く手を叩く。カウンターの中央へと進むメゾさんの数歩後ろを、俺も追うように歩いた。
「うちの店はさ、盛り上がりもないし回転数も少ないんだけど、一回ついてくれると長いんだよね。10年くらい通ってくれてる人とかいるらしくてさ。ホスケにも、ホスケのこと気に入ってくれるお客さんがつくといいね」
「…はあ…」
「あとグループで来てくれる女の子とかもたまにいるかな。そしたらこっちも複数でテーブルつくことあるよ。そういう時はメニューいっぱい勧めてあげてね」
メゾさんが洗浄されたグラスを所定の場所に戻しながら話す。俺はその動きをぼんやり眺めた。
「…メゾさんは」
「ん?」
「何人くらいお客さんついてるんすか」
メゾさんは俺の問いに「二、三人」と答えた。
「みんな、あんま頻繁に来てくれる訳じゃなくてさ〜。だから連絡先交換しといて、店来てくれる日を先に聞いちゃうんだよね。それでその日だけ店出るようにしてる。俺はね」
「…へえ」
「シフトいっぱい入れたら、それだけ新規のお客さん捕まえられる可能性も増えるけどね。まあその辺は、自分に合う働き方でいんじゃないかな」
メゾさんの話を聞きながら気が滅入っていく。この俺に客が一人でもつくなんて欠片も思えない。こんなことならまだ、店先でキャッチをしている方が良かったんじゃねえかな。
「…俺、稼げる気しねーす」
ぼそりと呟くと、メゾさんは笑って「だいじょぶだいじょぶ」と俺の背中を叩いた。
「キャッチであんだけ打率良かったんだからいけるよ、ホスケは絶対いける。俺の勘」
「…」
メゾさんの言葉になんと返していいか分からず黙っていると、入り口のドアがゆっくり開かれた。店に入って来たのは五十代くらいの、毛皮のコートを羽織った女だった。
「いらっしゃいませ」
メゾさんが笑顔でお辞儀をし、丁寧に客を迎い入れる。その身のこなしは流石、長く勤めているだけあって様になっていた。
「△△くんいらっしゃる?」
客の問いにメゾさんは笑顔を崩さぬまま「さっき休憩に行ったところです」と答えた。
「呼んできましょうか?」
「お願い」
「かしこまりました」
メゾさんが頭を下げ、それから裏へ行ってしまった。俺は必然的にその場に取り残され、何をどうすれば良いのか分からないまま突っ立っている羽目になった。
「あなた、新しく入った方?」
毛皮の客が俺の顔をちらと覗きながら言った。
「…はあ。…や、はい」
「…」
視線が刺さる。俺の態度が良くないのだろうか。接客のせの字もわからず困り果てて頭を掻く。すると客は煙草に火をつけながら「今日が初日?」と言った。
「…はあ、まあ」
「そう。これから先輩方にしっかり教えてもらうことね」
客は冷めた様子でそう言って煙を細く吐き出した。俺の接客態度がよっぽどなのだろう、その目は完全に俺を舐め腐っていた。
「…」
腹が立ち、このババアと内心罵る。カウンターの中で隠れるようにして、右手の中指をそっと立てた。自分は相変わらず短気だ。呆れるくらいに。
それから少し経ち、メゾさんともう一人顔の知らない男が裏から出てきた。どうやらこの男が客の目当ての男らしい。
「××さん!会いたかったです外寒かったでしょ!最初の一杯は何にしますか?」
男はカウンターから身を乗り出して客に満面の笑顔を振りまく。客の顔は途端に綻び、まるで久しぶりに会えたことを喜び合う恋人みたいに、二人は楽しそうに話し始めた。
俺とメゾさんは少し隅へとずれ、その様子を数歩離れた所から見る。
「…メゾさん」
「ん?」
「俺あんな接客できねーすけど」
メゾさんは笑ってから「いーのいーの」と手を横に振った。
「ホスケの持ち味はまたちょっと違う感じじゃん、だいじょぶだいじょぶ」
「…キャッチのがまだ良かったす」
「まあまあ。ぜぇったい二、三回以内にホスケにはお客さんがつくって。そしたら連絡先聞いちゃってさ、次に店で会う日を決めちゃえばいいじゃん」
「…」
メゾさんの、さっきからまるで根拠のない発言に溜息が出る。だからさ、こんな愛想のねー奴を選ぶ客なんていねーってば。
結局その後、数十分バーカウンターの中で立ち尽くしたが客はまばらで、勿論俺がテーブルに移動することもなかった。
暇で仕方ないから裏に煙草を吸いに行こうとすると、メゾさんが同じタイミングで裏口へ続くドアを開け「今日はこれで切り上げますかぁ」と、緩く笑った。

それから一週間ほど経った頃、憂鬱な気持ちのまま二回目の店内勤務に就いた。もしも今日二時間くらい働いて収穫がなければ、もう一度キャッチに戻してもらおうと俺は考えていた。それが無理なら、いっそここを辞めてしまえばいい。去ったところで追われない事を知っている。きっとクレさんならここ以外にも割りのいい職場を斡旋してくれるだろう。
今日は雪が降っていないので前回よりは客足が伸びているように感じる。一時間に三、四人の客が来店していた。
俺はバーカウンターの隅の方で、革靴の中の足の指を上下に動かしながら、ただ突っ立っていた。暇な時にやる仕事も特にないのだろう、メゾさんにそういったことは何一つ教わっていない。欠伸を噛み殺し退屈を持て余す。あと五分くらいしたら煙草を吸いに裏へ行こうと俺は思っていた。

「あの」
不意に、カウンターの向こうから声をかけられた。欠伸を隠すため俯いていた顔を持ち上げると、見覚えのある黒髪が視界に映った。
「…あ」
「えへ、こんばんは」
黒髪の女は小さく会釈をして照れたように笑った。キャッチの時に話しかけてくれた女の人だ。
「お店の前にいる人に聞いちゃいました。この前までここに立ってた人、辞めちゃったんですか?って。そしたら中にいますよって」
「…マジか…」
純粋に嬉しくて、顔を片手で覆った。するとカウンター越しに女は「一杯頼んでいいですか?」と笑いながら首を傾げてみせた。
「うん、いいよなんにする?」
「マンハッタンお願いします」
「おー、まってて」
女にそう言ってからカウンター奥のバーテンに声をかけ、酒が出来るまでの時間を女と話しながら過ごす。両手を体の前で軽く組んでいると「もっと楽にしてください」と言われたので、俺はその言葉通りカウンターに肘をついて体重をそこに預けた。
「うん、こっちの方が話しやすいです」
「そっか、じゃーこれで」
女は嬉しそうに笑った。店内の薄暗いオレンジ色の照明が女を遠慮がちに照らす。髪が、相変わらず今日も綺麗だった。
「こっちの業務には慣れましたか?」
「いや全然だめ、向いてない。あんたが声かけてくれなかったら多分今日で辞めてた」
「ふふ」
女が笑うのと同時にカクテルが出来上がる。バーテンからそれを受け取り女の前に出すと、グラスの華奢な首を両手でそっと握り、女は言った。
「…あっち、行きませんか?」
女の目が一瞬、後方のテーブルを見る。ストレートな誘いに少し動揺しながら、俺は「いいよ」と頷いた。
メゾさんに言われた通りスーツのジャケットを羽織ってカウンターの中から出る。メゾさんの予言は外れなかった。まさか、数分前の俺には想像もできなかっただろう。

隣り合ってソファーに座ると、女はすぐにメニュー表を開いて「どれにする?」と俺に聞いた。
「お好きなの、どうぞ」
女の、メニュー表を持つ手の華奢な指をじっと見てしまっていたため答えるのが数秒遅れた。
「…あ、そっか俺も頼んでいーのか」
「ふふ、うん」
「じゃあビール」
料金は、居酒屋なんかで見る値段と桁が一つ違っていた。ビール一杯に1500円。見間違いではないかと思い、俺は言った後に思わず二度見をした。
「すみません、ビールを」
女が近くにいたボーイを呼び止めてそう頼む。
「…なんかさあ」
俺が呟くように言うと女が黒髪を耳にかけながら答える。
「はい?」
「…慣れてるね。緊張してないって言うか」
女は「ああ」と頷いた後笑った。
「私、お昼の時間にホステスしてるんだ。昼キャバってやつです。だからこういう雰囲気には割と慣れてます」
「……そーなの」
「ふふ、結構顔に出るんだね。ビックリした?」
女の柔らかい笑い顔を見つめながら、ああだから話しやすいのだと納得した。ウマが合うからとか、そういう事ではなくてこの女の話し方や聞き方が上手いのだ。
「…うん、ビックリした。あんた超モテそう」
「ほんと?ふふ、嬉しい。でもそんなこと全然ないですよ」
ほどなくして頼んだビールがやってくる。女はマンハッタンのグラスを持って「乾杯しよう」と俺を誘った。
「うん、乾杯」
よく冷えたビールを喉に流し入れる。三口ぶん一気に飲んでグラスをテーブルに置くと、女も同じタイミングで、俺よりひとまわり小さなカクテルグラスをテーブルに置いた。
「お名前聞いてもいいですか?」
女に聞かれ、そういえばまだお互いに名乗っていなかったのだと思い出す。…こういう時は本名を隠すものなんだろうか。けれど源氏名など俺にはない。考えた試しもなかったので何も思いつかない。顎を指でさすりながら、俺は仕方なく「穂輔」と、本名を名乗ることにした。
「ほすけ?うん、覚えました。ほすけくん」
女の声は耳触りがよく、自分の名前が優しい音になって聞こえたような気がした。
「あんたの名前は」
尋ね返すと、女は「とーこです」と答えた。
「うんわかった。とーこさん」
女の容姿は「とーこ」という響きによく似合っていた。遠子なのか、透子なのか、それとも東子なのか、それかもしくは藤子、瞳子かもしれない。思いつく漢字を頭の中で並べて、どれもイメージに合うなと思った。
「ほすけくん、前に上で会った時吸ってたよね。いつでも吸ってね」
とーこさんがテーブル中央に置いてあった灰皿を俺の元へ寄せる。けれど何故だか今は煙草を吸いたいと特に感じない。だから俺は煙草をポケットから取り出す代わりに、とーこさんの目を見つめた。
「今は煙草いーや。…いらない」
「…」
「…髪触っていい?」
とーこさんは俺の言葉に少しだけ驚いて、けれど数秒後にゆっくりと頷いた。伏せられた瞳の横をすり抜けて、首の近く、内側の髪の毛を人差し指と親指でそっと撫でる。指を動かす度に艶が揺らいだ。
「…あんたの髪、好きだな俺」
感触を確かめながら毛先へ滑る。とーこさんは俺の指の動きを目で追いながら「ありがとう、嬉しい」と、少しだけ顔を赤らめながら言った。
「…私も、ほすけくんの手、好きだよ」
「口説くのやめてよ、どきどきするじゃん」
「ふふ、ほすけくんの方が口説いてるよ」
「俺は口説いてんじゃなくて本当に思ってんの」
「あはは、そっか」
とーこさんは嬉しそうに笑った。それからゆっくりと俺の肩に頭を預けて、体をこちらに寄せる。
「…私も本当に思ってるから言ったよ」
「…うん」
とーこさんの髪の毛は良い匂いがする。これが何の匂いか俺には分からないが、綺麗な黒とその匂いは一緒になって五感に届き、俺を心地良くさせた。
髪を触りながら、とーこさんの華奢な体と体温を感じる。少しだけ心臓がうるさくなって、ああこういうのすげえ久しぶりだと、一人静かに思った。

これが、恋愛とかそういう類の感情なのかよく分からない。俺はいつも、ただ漠然と感じるだけだ。ああこの人のことが好きだ。とても好きだ。
そうやって俺は、いつも人を好きになる。いつもそれしか見えなくなって、際限なく欲しがって、追い詰めて、大好きだと思う人を傷つける。

思い出して、それから目を瞑った。
…人は変われないのかな。俺はこのまま、変われないままなのかな。





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