Chapter.3-2




冬は嫌いだ。耳も手も足も全部、冷たくなりすぎて取れそうになる。
クレさん達みんなが暮らす部屋にはエアコンが全部で三台と、それからストーブも二台くらい置いてある。俺はいつもその中の一台のストーブをまるで自分専用のように占領していた。

「ホスケ足寒いんでしょ。これ貸したげる」
りんさんが俺の隣に座って、分厚いタオルみたいな生地の靴下を俺に差し出した。白とピンクの縞模様のそれには、得体の知れないキャラクターのイラストが大きく印刷されている。
「…俺がこれを履くんすか」
「うん、そうだよ」
りんさんは隣でストーブにあたりながら嬉しそうに笑った。強く拒否する理由もないので仕方なく自分の足にそれをはめる。
「あはは可愛い」
りんさんは俺のことを可愛いとよく言う。言われてもちっとも嬉しくねーんだけどな。特に何も反応を返さないでいると、りんさんは俺の方へ体を寄せてゆっくりともたれかかってきた。
「…なに」
「えへ、ホスケで暖とってる」
りんさんは、デクさんが外出している時だけこうして俺に触れてくる。けど彼が居合わせている時は決して俺に視線を送ったり可愛いと言ってきたりしないので、おおよそ、俺は暇つぶしがてら遊ばれているんだろう。別に、それに対して嫌悪感がある訳じゃないけど、特別いい気もしない。どうでも良い。
「…さむ」
「そ?私は今あったかいけどなぁ」
100均の灰皿をストーブの上に置いて、俺は煙草に火をつける。今日はもうこれで4箱目だ。

「メゾさーん!明日成人式だからスーツ貸してくれさーい!」
その夜、そう言いながら玄関の扉を開ける人がいた。
彼はバイクのメットを外して下駄箱の上にそれを乗せドタドタと中へ入ってきた。辺りを見渡し、俺に気づくと「よっす」と片腕を上げる。
彼の言葉に、奥の部屋でゲームをしていたメゾさんが(メゾさんは部屋の中に引きこもってることが多い。ゲームが好きらしい)リビングに出てきて「いいけどもうちょっと前もって言ってよ」と苦言をこぼした。
「ホントごめん!すんません!お礼に今度なんか奢るんで」
「いやいいけど。…あれ?キーが成人式ってことはホスケもじゃない?」
メゾさんが俺に尋ねる。そう、キーくんと呼ばれた彼はこの仲間内で唯一、俺とタメだったのだ。
「…あー」
頭をかきながら返事を濁す。勿論俺は行くつもりなどなかった。だって会いたいと思う人が一人もいないのだ。
「ホスケもしかして会場○×?俺が行く会場の途中だから乗せてってやろっか!」
キーくんが歯を見せてニッと笑った。
「…や、いーよ。俺行かない」
新しい一本に火をつけてソファに座る。テレビを適当に流し見していると、キーくんが隣に座って俺の肩を抱いた。
「いや悪いこと言わんから行こう?一生に一度よ?後悔あとを濁す、よ?」
「…後悔先に立たず、じゃない」
「それ!」
キーくんが肩をバシバシ叩いて笑う。その勢いがあまりに強いせいで、俺は煙草の灰を灰皿から少しズレたところに落としてしまった。
「まあ、行きたくない人もいるだろうしさあ。無理に行かなくてもいんじゃないの?」
メゾさんが満充電になったIQOSにヒートスティックを差し込みながら言う。先端から発せられる煙を見つめながら、紙タバコと違ってあれは副流煙じゃなく蒸気なんだよなと、どうでもいいことをぼんやり考えた。
「でも一生に一度っすよ!」
「ん〜、まあ確かにな〜…。そういや俺も行ったなぁ、中学の時に好きだった子に会いたくて」
「ね!そうっすよね!俺も会いたい奴メッチャいるんすよ!」
キーくんとメゾさんの会話を横で聞き流しながら煙草の灰を落とす。ジャージのポケットの中でスマホが震えているので見てみると、親父からの着信が来ているようだった。いつものように無視していると、今度は立て続けにラインが送信される。
「今どこにいる」
「金はどうしてる」
「どうやって食ってんだ」
「返事しろ」
通知のバイブが鬱陶しくて、鳴り止ませるために「へーき」とだけ返信した。すると今度は明日の成人式のことについて連続送信される。
「なになに…明日はどうすんだ。成人式だろ。ちゃんと出とけ。連絡しろ。…ほら!親父さんだろコレ!一生の記念だよ?出てやろうぜホスケ!」
キーくんが勝手に俺のスマホ画面を覗き込んでそう言った。
「あ〜…。そうだよなぁホスケの親御さん心配してるよなぁ…。うーん、そうやって言ってくれてんなら、やっぱ出といたら?」
メゾさんも少し困った顔をしながら、けれど諭すようにしてキーくんと同じことを言う。俺は強く突っぱねることも出来なくなって、仕方がないので頭をかきながら黙って俯いた。

結局、成人式には行くことになった。
メゾさんから、いつもとは違う黒いスーツを上下借りて、面倒だったので髪と髭はそのままで、俺はキーくんのバイクの後ろに乗った。

「これ、こずえのメット」
そう言ってキーくんは、自分の彼女さんのヘルメットを俺に貸してくれた。借りた赤いヘルメットは、キーくんの黒と色違いだ。
二人はいつもあの部屋に、バイクに二人乗りでやって来る。キーくんとこずえさんは、俺が起きる時間帯に大抵いつも左奥の部屋で寝ていることが多いので、普段はあまり話す機会がない。特に彼女のこずえさんとは、俺はまだろくに会話をしたこともないと思う。
キーくんはバイクが大好きらしい。時たまリビングでバイク雑誌を開いてウンウン唸っているところを見かける。隣に座ってチラリと雑誌を覗き込むと、キーくんはすぐさまそれに気づいて「お前もバイク好き?」と聞いてきた。高3の頃、そういえばバイク好きな男が主人公の漫画を読んで一時だけバイクに興味があったことを思い出し、頷いてから「詳しくはねーけど」と付け足した。
キーくんは今乗っているオンボロを買い換えて、憧れの車種に跨るのが夢らしい。その為にコンビニの早朝シフトとパチスロの朝番シフトを頑張っていると言っていた。
夜の仕事の方が楽に金が貯まるんじゃないかとも思ったが、それは彼女さんが許してくれないのだと後から聞いた。唇を尖らせて、メゾさんやクレさん、それから俺の仕事を羨ましがっているようなこともあったが、キーくんは彼女さんとの約束を決して破ったりしない。二人は凄く仲が良い。直接言ったことはないが、俺は二人がいつも奥の部屋で仲良く寝ているのが、なんとなく好きだった。

「実はこずえにさー!成人式ちゃんと行けって言われてさー!」
俺を後ろに乗せたキーくんが、ハンドルを握りながら話し始めた。
「写真もちゃんと撮って、かっこいいとこ親に見せてあげなって言うからさー!最初は俺も出る気なかったんだけど、なんかそう言われたらそうしよっかなって気になってー!」
キーくんの声は風にかき消されることなくしっかり俺の耳まで届く。
「俺の親ねー、俺がちっちゃい頃に離婚してて、俺は親父に貰われたんだけどさー、親父が子持ちの綺麗な人とすぐ再婚しちゃったから、俺だけなんか家族ん中で浮いちゃってさー!あっちの連れ子がそん時二歳くらいだったから親父もつきっきりになっちゃってさー!」
「…うん」
「でもねー、家出てから普通に喋れるようんなった!あっちの連れ子もかわいーんだこれが!バイクの後ろ乗るー!っつって!いつも!」
「…うん」
「さすがにあっちの人のこと、お母さんとは呼べないんだけどさー!たまに家行った時「ただいま」は、やっと言えるようになったんだよねー!」
「…うん」
俺の返事は、多分キーくんには聞こえていないだろう。それでも俺はキーくんが一区切りつける度、その隙間を埋めるようにして相槌を打った。
「でさー、せっかくだから今度家に行く時は、親父とその人に成人式の写真持っていこっかなーって思ってさ!そんなんでもちょっとは親孝行になるかなーって!まあ全部こずえの受け売りなんだけど!」
キーくんは赤信号の前で止まると俺の方を振り返って笑った。
「な、だからホスケも親父さんに写真見せてやんなよ。喜ぶぞーきっと!」
「…」
胸の中のどこかが、何故だか苦しい。
テメーは今何をしてんだよタコ、と、俺の胸倉を掴む俺の声が聞こえた気がした。

成人式の会場に到着し、キーくんは俺をバイクから降ろした。
「んじゃーいってら!俺も行ってきまー!」
「うん、ありがと」
俺からヘルメットを受け取る笑顔のキーくんに、何か伝えたくて、でも何を伝えたいのかよく分からなくて、俺は「えっと…」と言葉に詰まった。
「ん?」
「…バイクの後ろ気持ちよかった。ありがとね」
キーくんはダハハと大きな声で笑ってから「また乗せたる!」と言ってくれた。





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