「贔屓ちゃんっ!!」

息を切らせて駆け付けてくれたのは、ソウシさんだった。

涙で滲む視界がソウシさんを捉えたはずなのに、すぐにその姿を見失う。

───ソウシさんっ!?

自分の置かれた状況を忘れてソウシさんを探すと、ゴキッと鈍い嫌な音だけが聞こえて、また静けさが戻った。急に戻った静けさにキーンと耳鳴りがしたと思った途端、私は意識を失った。



......あ......いた......いたい......イタイ......

「いたいよぉぉ」

夢を見ているのかと思った。間の抜けた自分の声で目を開けると、そこには白い天井。やたら綺麗で浮遊感に見舞われた。慌てて起き上がろうとしたけど首が起こせなくて、ああ、あれは夢じゃなかったんだと絶望する。

ソウシさんが来てくれたことが、夢だったんだ。

それにしたって随分清潔な空気で......これは消毒薬の匂い?そっか。ソウシさんといる時の匂いだから、ソウシさんに助けられる夢を見たんだ。目出度いな、私。

額が、固定されている。
ああ、両腕も纏め上げて、繋がれている。
脚は───動いた。脚だけは。
捻ろうとした胴体は痛みのせいで動かすのを諦めなきゃならなかった。
どうやら服も身に付けてないようだ。
寒くはないけれど、シーツの一枚も纏わないでいるのは心許なくて、ぶるりと震えた。

清潔な環境と、縫い止められた体。

チグハグな状態に混乱しかけた時、軽いノックに続いてガチャとドアの開く音がした。

「贔屓ちゃん入るよ」

あれ?

「ソウシ、さん......?」

声だけを頼りに視線を動かすけれど、横にすら僅かしか頭が動かなくて、上げられた自分の腕に遮られて、白い空間だけが広がる。

「ああ、起きた?大丈夫だよ、贔屓ちゃん。ちゃんと私はここに居るから。......広いでしょ、ここ。知り合いの診療所なんだけどね、今は珍しい薬草を採りに行くとかで誰も居ないんだ」

そんなことじゃなくて......

「街から随分外れた場所にある割に、設備の整った診療所でね、以前に何度か手伝ったことがあるんだ。人を雇えばいいのに人付き合いの苦手な人で、未だに奥さんと二人だけでやってるらしいよ」

「......ソウシさん?」

「贔屓ちゃん」

「はい」

「心配したよ」

「はい」

「ほんとに......本当に心配したんだ」

「ごめんなさい」

「心臓が止まるかと思った。君が居なくなったと知った時。君を見付けた時」

「......ごめん、なさい」

「私が見付けられて良かった」

ソウシさん......?

「腕だけはね、あまり大した傷ではなかったよ......だから逃げないように、ちょっと繋がせてもらったんだけど、それなら痛くないでしょ?なんと言っても包帯だからねー」

「逃げ......?」

「でも、暴れたんでしょ贔屓ちゃん。あんな奴に縛られた痕なんて残して」

───駄目じゃない。そう言いながらようやく私の視界に姿を現したソウシさんは、どこか恍惚とした笑みを浮かべていた。

「私が、ちゃんと手当てをしてあげるからね?ほら、滲みるよ」

足元から、茶色い小瓶を私に見えるように掲げてみせると、片足を弾力のあるものに乗せられた。きっと位置的に、ソウシさんの腿だろう。

「っ......!」

「ふふ。やっぱりいい顔するね、贔屓ちゃんは。船で怪我しても手当てさせてくれないから、悶々としたよ」

「ソウシさん?あの、助けてくれてあ......いッ」

「ほらほら。お喋りはいいから、大人しく治療させてね」

私が何か話そうとすると、必要以上に傷口を強く押さえられる。
相手はソウシさんなのだからすっかり安心してもいいはずなのに、どうしても奇妙な感覚が拭えない。それでも私には彼の言う通り、大人しくしているより他ない。

「イイコだね。ああ、リュウガ達には、贔屓ちゃんが目覚めたら連絡することになってるから、それまではゆっくり二人きりで居られるよ?」

「どういうこ......あぅっ!」

脹ら脛から始まった消毒は腿まで進んで、柔らかい肉の深い傷に触れられて、一際大きな声が出てしまった。

「贔屓ちゃん、可愛い」

じわじわと捉えた獲物をいたぶるような『治療』を受けながら、まるで愛撫のようだと思う私も、どうかしているんだろう。

「贔屓ちゃん、痛い?」

「あ、はい、でも」

「いいんだ。これだけ傷付けば痛いのは当然だから。でもごめんね?麻酔はしてあげられない」

「麻酔なん......っく、大丈夫、ですっ」

「人が善すぎるよ、贔屓ちゃん。なんでもかんでも頭から信じてちゃ、辛い思いをするのは君だっていうのに」

「どういういっ!......ぅぅ」

「私はね、人の体に傷を付けるのは嫌いなんだ。これでも医者だからね。でもね?こうして傷だらけになった若くて美しい女性を治療する時、得も言われぬ快感にうち震えてしまうんだ。痛みに歪む表情も、それを堪える声も、私の愛撫に喘いでいるようにしか見えない」

ああ、麻酔は、出来ないんじゃなくてしないんだなとこの時やっと分かった。
私に痛め付けられてよがる性癖はないけれど、確かに私の傷に触れるソウシさんの手からは恭しいようでいてどことなくねっとりとした厭らしさが伝わってきて、情欲を呼び起こさせる。それは、傷のない部分を絶えず往き来する手のせいかもしれないけれど。

「随分ひどい目に遭ったね......可哀想に。......可哀想で、愛しい。こんなに傷だらけになって、私にこうしてもらいたかったの?なんてね。フフ。気付いてる?贔屓ちゃん。君の白い肌に醜い傷のコントラストは、本当に美しいよ。特にこの、脇腹の醜悪さときたら......ああ、舐め回したいな。こういう時、つくづく自分の知識が恨めしくなるよ。唾液はそう綺麗ではないからね。あ、でも後で消毒薬をつければいいかな......ねぇ贔屓ちゃん?君はどう思う?」

そう言いながら、ソウシさんは、傷のない下腹部に舌を這わせる。ピクッと反応した私に気を良くしたのか、更に丁寧に、執拗に、臍の回りを舐め始めた。脇腹に、ひきつれるような熱いような痛み。

「ひっ......?ぐっ、ぅぅぅ」

「......君を初めて見た時から、私はこうしたいと思っていたんだ。君にだけはしちゃいけないって思いながら、私の欲の対象はね、贔屓ちゃん。君だけになってしまった。触れたい、舐めたい、閉じ込めたい、傷だらけの君を癒したい、笑顔が見たい、痛みに耐える顔が見たい、私の全てを捧げるから、君を独り占めしたい。何度も何度も、君の色んな姿態を夢想しては自分を慰めたよ」

「あ、つい......ぐっ、ううっ痛......熱い......い、んっ......んぅっ......ふ......」

「もしかすると、贔屓ちゃんならいい反応をしてくれるって、本能で分かってたのかもしれないね?ふふ。嬉しいな」

熱く湿った息が、少しかさついた唇が、腰にまとわりついたソウシさんが喋る度に私の性感を高めて行く。

「あ、あぁぁ......そうし、さ......」

痛いんだか気持ちいいんだか、決して同じではないのに、それぞれが互いを引き立てて鳥肌を立たせる。

「痛みと快楽は脳内でリンクするからね、別に異常ではないよ。ただ贔屓ちゃんにその素質があるだけ」

「そ、しつ」

「さ、取り敢えず酷い箇所には皮膚接合用のテープを貼ったし、後は発熱するかもしれないから様子見かな。脇腹だけは少し縫ったからね。さすがに腕上げっぱなしは辛いだろうから外しておくよ?でも絶対安静、動いちゃダメ!言い付けを破ったらお仕置きだからね?枕元のスイッチを押してくれたらすぐに来るから」

え......。

あんなに粘ついた触り方をしていたのに、あんなに自分の性癖を吐露していたのに、ソウシさんは私に薄いシーツを掛けると、あっさり部屋を出ていってしまった。




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