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フラーテル広報日記7
"RE"birth"!覚醒の2012"
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2012年03月28日(水)08:51

あいづっこ宣言

「あいづっこ宣言」



一 人をいたわります

二 ありがとうごめんなさいを言います

三 がまんをします

四 卑怯なふるまいをしません

五 会津を誇り年上を敬います

六 夢に向かってがんばります

やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです

(会津若松市公式サイトより)
※掲載した写真は誰でもダウンロードできるポスターとして会津若松市の公式サイトにアップされています。

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会津藩の藩祖は名君として知られる保科正之。
無類の勉強好きで、その知性や知識は学者たちも舌を巻くほどだったそうです。

会津藩には江戸時代を代表する特筆すべき教育施設"会津藩校「日新館」"がありました。

「日新館」は日本全国に大小300近くあった江戸幕府の諸藩の中で、藩の教育施設としては最大のもので
享和3年(1803)会津若松城を望む西側の敷地を整備して設立・建設されました。

以降、会津藩士子弟は義務教育としてこの日新館に10才で入学、16才までの多感な6年間をここで学ぶことになります。

日新館は当時の各地の藩校とは一線を画した「ハイレベル教育」が行われたことで知られています。

その施設も敷地面積8000坪に2000坪近い校舎が立ち並ぶ大規模なもので、校内には他藩に先駆け日本初のプール(水練池)まで作られました。

また武士の子弟として武芸の鍛練に励む武道場、星や雲や気象を観察するり天文台、馬術を学ぶ馬場も整備され
文武両道を目指す子供たちが競い合って学んでいたそうです。


残念ながら日新館の歴史は戊辰戦争による焼失で幕を閉じ、
卒業生たちはやがて白虎隊の悲劇に巻き込まれていきます。

一流の講師陣と恵まれた環境、そして最高水準の学習内容。
厳しい道徳概念を背景に武士道のあらゆる要素を与えられ育まれた卒業生は
江戸末期から幕末の動乱期において様々なシーンで登場し、重要な役割を果たしていくことになるのでした。


この「日新館」、
なんと!
昭和60年代に再建されており、今もその面影を見ることが出来ます。


さて、冒頭の「あいづっこ宣言」は子供の教育を大切にしてきた会津の教育方針を現代に伝えるものであり
子供のための指針や規範という形式をとってはいますが、読めば読むほどこれは大人の心にも響く。

会津若松市を訪れてこの「あいづっこ宣言」を目にすると、藩祖以降、変わらず受け継がれている何かを感じずにはいられない。

その言葉は、殆どが現代風の内容と表現に置き換えられていますが



ならぬことはならぬものです



という結びの言葉だけは200年の時空を越えて少しも色褪せることなく
圧倒的な迫力で胸に響いてくるのです。




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