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フラーテル広報日記7
"RE"birth"!覚醒の2012"
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2011年10月31日(月)13:35

大好きな自慢の叔母

母の妹で三重県に嫁いでいる叔母がキーホルダーを作ってくれた。
手作りの革のキーホルダーで名前が入っている。お揃いで生まれ年の干支のキーホルダーも作ってくれた。

叔母にはかなり長い間会っていなくて、その夫である叔父は長らく闘病中だ。

そんな叔母が私のことを生まれ年まで覚えていてくれたことに少し驚いた。

この叔母は母の姉妹の中でもひときわ華やかな人で、独身時代は当時の花形職業であった某老舗百貨店に勤務し、珍しいお菓子を買ってきてくれたり誰も持っていないような人形をくれたりする素敵なお姉さんだった。

お嫁に行ってしまうときは旦那さんを恨んだ(笑)でもいとこが生まれるとなぜか我が家に帰省?してきて、私は叔母が生んだ赤ちゃんを一生懸命世話したのだった。

昔と変わらず叔母はセンスがよい。私の好きなものをよく知っている。

大家族で華やかだった一族の雰囲気は時代と共に拡散し、いとこともあまり交流がありません。

年末年始に20家族以上が集まって餅つきをしたり、ぎっしり布団を並べ朝まで話したり、列を作って祖父に挨拶してお年玉を貰ったことも今では思いでになってしまった。

祖父の屋敷が取り壊されたときは、名古屋市博物館の学芸員の人がやってきて大量の農具や書き付けを持ち帰った。

そんな古い家だったのだ。

叔母はそういう家に生まれて、古い風習やしきたりを嫌って自由に生きた人でした。

子供だった私たちにそれはそれは魅力的に映った。

三つ子の魂百まで、という諺があるがうちの母が飽きれ顔でよく言うことがある。

叔母は「私は確かにあんたたちの叔母さんだけど、お姉ちゃまと呼びなさい」と甥や姪の子供たちをしつけていた(笑)

だから私の13人のいとこたちは実の息子を除いて全員がいまだに叔母のことを「お姉ちゃま」と呼んでいるのだ。


叔母の下の妹である叔母も「なんで年下の私が早々とおばちゃまで姉さんがいまだにお姉ちゃまなのかしら、まあよく先を見て子供を手なづけたものだわ!」と苦笑いしている。


この叔父と叔母の夫婦は、驚くべきことに誘ってもいないのにグリーンスタジアムにホッケーを見に来てくれたことがある。

フランス代表が来たとき、叔母が名古屋に来ていてうちの母が叔母にその話をしたら「フーン」と言ってその足でグリーンスタジアムまで来たのだった。


な・な・な・なんでお姉ちゃまがこんなとこにいるの!(驚愕)

叔母
別にぃ?帰り道に顔見にきたんだわ、イカンかった?(だめだった?)


どこが帰り道やねん!



そう、すごい行動力と自立心がある、この叔母は普通のおばさん(おばあさん?)ではなく、やっぱり永遠の「お姉ちゃま」なのだった。


キーホルダーは「どうしてるの、元気?なにしてんの?」と昔と変わらないあの口調で私に話しかけてくる(笑)


そして私は多分この叔母の影響を少なからず受けているのだ。
(いろんな意味で。)




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