2011年10月28日(金)23:16
ある女性の訃報
その女性はある方の奥さんです。ある方、とは私が父のように慕う大変お世話になった先生です。
先生と奥様は家が近所で幼なじみ。小学校も中学校も高校も大学も同じ。
大学を卒業して仕事が落ち着いた23才でご結婚され昨日まで幸福な毎日を送って来られたのだった。
6年前奥様のガンが発病してからは数回の手術を乗り越え、共に闘って来られた、周囲にはそんな素振りを微塵も見せることなく。
だから私たちは先生ご本人から訃報をお聞きしてビックリしました。
先生の愛妻家ぶりはあまりにも有名であり、毎日お昼ご飯を自宅まで食べに帰るとか、
新婚時代から…いやもっともっともっと前から毎朝健康のためにお二人で散歩をされているとか
仲睦まじい逸話には事欠かなかったというお二人。
いい加減にしろよと笑われても先生は
女房は生まれたときからの女房だからねー、いつからこうなったのか覚えちゃいないよ!
とニコニコして話しておられたのだった。
先生61才
奥様61才
お付き合いは60年
奇跡のようなご夫婦に永遠の別れが訪れたのだった。
親友で女友達で奥様で、一番の理解者で、人生のどのシーンを切り取っても互いの存在があり
幼稚園の庭にどんな花が咲いていたか、小学校3年の夏休みに何をして遊んだか、中学校の行き帰りに寄り道した場所も高校時代の大嫌いな先生の名も大学受験に合格した喜びも
全て全て
共有してきた方を亡くされたのだった。
どんな慰めも役には立たずただただ絶句する。
何も言葉にはならず、励ましも無意味だ。
先生は自ら訃報をお知らせ下さり、告別式と葬儀の時間と場所を伝え、
忙しいとは思うけれど別れに来てもらえたらなと思ってこんな時間だけど電話させてもらったよ!
…って、先生悲しすぎます!
運命に結ばれたお二人の人生はまさに大河ドラマのようで、けれどこんなお二人にでさえ、いつか必ず避けられない別れの日がやって来るのだという現実に私たちは呆然と立ち尽くすのです。
この世に生きる今の瞬間は幻のようなもので、当たり前だと思っていた平凡な毎日こそ本当に大切なのだ。
失わないと人は気づかず、いなくならないとその人の大切さも分からない。
朝起きて、行ってきます、の声に行ってらっしゃい、の返事があり、電話を掛ければ相手が出て、並んでテレビを見たり、向き合って食事をしたり、小さなすれ違いで喧嘩して口をきかなかったり、
どんな高級ホテルに泊まろうが世界のすごい観光地をぐるぐるしようが、
ただいまって言ったらお帰りって答えてくれる人がいる家が一番落ち着くのだ。
ああやっぱ家がいいわ
って言いながら。
でも家が家なんじゃなくてその人がいる場所が家なんだと、そんな大事なことにも気づかないまま日々は過ぎるのだ。
別れの日が近づいてきても気づかないでいる、年を取りそれが加速しても気づかないでいるんだ、きっと。
何かうまく言えないけれど、胸が苦しい。
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