偽りの恋物語 1


仕事は真面目にやっている。
それなりに充実した生活をしている。

……だが、何かが足りない。

原因がわからない怠さと苛立ちに、不機嫌な顔になる。
それを見た部下達が、いちいちビクついているのを見るのも……拍車を掛ける。

(……悪循環、だな)

気分転換が必要だ……と、書類を投げ出して執務室を出た。
ハンジに用は無いが、モブリットの淹れた紅茶が飲みたいと思い、目的の扉を開けた。

「相変わらず汚ねぇ部屋だな……」
「……何か用なの?」
「いや、てめぇに用は無い」
「はぁ? 用も無いのに来て、文句言ってくれちゃうの?」
「……モブリットは居ねぇのか?」
「奥に居るけど、モブリットに用なんて珍しいね」
「……旨い紅茶が飲みたいだけだ」

思わず、声が小さくなってしまった。仕事では無く、紅茶が飲みたいだけだと言ってから変だと気付いた。

「……調子でも悪いの?」
「良くわからねぇが、気分が晴れない」
「ふぅん……ま、いいや、私も飲みたかったし。モブリットー! お茶飲みたい!」

奥の部屋から顔を出したモブリットに、「俺にも頼む」と言えば、にっこりと笑って「お待ちください」と言って簡易キッチンの方へ向かった。

「ねぇ、あれじゃないの?」
「あれって何だ……?」
「ほら、あの、あぁ……お見合い!」
「……忘れていた」
「あれ? 違うのかぁ……でも、忘れてたって」
「興味が無いからな、断るだけだ」

そうだ、面倒な事があったな……と、思い出して舌打ちしたが、断るだけだ……問題無い筈だ。

「いや、そうも行かないんだ」
「エルヴィン?」
「ノックはしたぞ? 返事が無いから入ったんだが……」
「そうも行かないとはどういう事だ」

気分は下がる一方じゃねぇかと、エルヴィンを睨んでいたが、そこにモブリットがちゃんと3人分の紅茶持って戻って来た。本当に良く出来た奴だ。

「先方がとても乗り気なんだ。結果によっては、今後の資金提供にも影響が出かねない」

取り敢えず、目的の紅茶で落ち着こうとしたが、ハンジの一言で俺は固まった。

「じゃあさ、リヴァイを売るの?」
「出来ればそんな事はしたくないんだが、恋人や婚約者が居る訳では無いから、断る理由が無いんだ」

(資金のために……俺は売られるのか?)

「え? それって……」
「ああ、特定の相手が居れば断る理由にはなるんだ。相手はやはり、その辺を気にしていたからな」

結婚した後でトラブルになるのは避けたいんだろうが、それにしても、恋人だの婚約者なんて……興味の欠片も無かったから、居る筈も無い。

思い出した様に紅茶を飲み、嫌な方向に進みそうな会話に参加した。

「他にはねぇのか? 理由になりそうな事は」

エルヴィンとハンジは首を捻り、考えている様だが、顔は険しい。

「誰かにお願いするとか、雇うといった事でなんとかならないですか?」

黙ってハンジの横で聞いていたモブリットがそう言うと、2人の顔がパッと明るくなった。

「それいいんじゃないかな、流石モブリット! 冴えてるねぇ」
「成程、それならば何とかなるかも知れないな」
「相手に信用して貰うために……」

パーティーで同伴してもらったり、休日に高級な店に連れて行って噂を立てたりと、ハンジは鼻息荒く語り出した。

「だが、女はどうするんだ?」

一瞬でまた、険しい顔に戻った。

「気になる娘なんて……」
「居ねぇよ」
「昔の彼女とか……」
「居ねぇ」
「頼めそうな人は……」
「……居ねぇな」
「だよね。 訊いた私がバカだった」
「だな」

はあぁ……と、大きな溜め息を吐いて机に突っ伏しているハンジに、溜め息を吐きたいのは俺だと思った。

(どうにかならねぇのか……?)

エルヴィンも考え込んだまま、何処かへ行っちまってるみたいだ。

紅茶も無くなり、沈黙の続く部屋に……漸く思考の旅から戻って来たらしいエルヴィンが口を開いた。

「リヴァイ、探しに行って来たらどうだ?」
「は? 探すってどうやれと?」
「いや、それは……だが、1日2日で終わる事じゃ無いからな、リヴァイが気に入らなきゃ困るだろう?」

まぁ、いくら振りとは言え、気に入らねぇ奴と居ても無理がある。

(言いたい事はわかるが、あれだけ考えていてそれたけか、エルヴィン……)

伝わったのか、ばつが悪そうに顔を背けやがった。

「此処に居たって見つかる訳じゃないし、終わったら飲みにでも行く?」

結局、モブリットも連れて、3人で飲みに行く事になった。

俺は、来た道を戻りながら、来た時よりも不機嫌な顔になっているとは気付きもしなかった。




「何処にする〜?」
「私は何処でも構いません」
「リヴァイは?」
「任せる」

折角だから知らない店にしようとなり、店に入った。
普段あまり好まない、騒がしい店だったが……

「当たりだ!」
「どこがだ……クソ眼鏡」
「どこ……って、女の子ばっかりじゃないか!」
「そ、そうですね、取り敢えず座りませんか?」
「…………あぁ」

まるで、休日のカフェを思い出させる様な雰囲気だ。
酒と料理を注文して、辺りを見回したが、どうやって探すのかすらわからねぇ。

「ねぇ、何で地下に居る時も彼女とか居なかったの?」
「ぶ、分隊長……それは……」
「だって、絶対リヴァイならモテモテだったと思うじゃないか。知りたくないの?」
「そ、それは……でも……」
「興味が無かっただけだが、他にも理由はある……」

言い寄る女が居なかった訳じゃねぇが、力を持てばそれだけ狙われる事も増える。手段を選ぶ必要など無い世界だから、当然身内や女が捉えられたり殺られたりして、潰される奴も居る。

「……だから、俺には必要無かった。弱点など自ら作る気が知れねぇ……」
「……そうだったんだ」
「あぁ、ひとりが気楽なだけだ」

話しながら、向かいに座ったモブリットの後ろに座っている女が見えた。仲間は楽しそうだが、浮かない顔をしている。

「ねぇ、じゃあさ、好みとか無いの?」
「……考えた事もねぇからなぁ?」

俺はまた、さっきの女を見ていた。

「店の中に目についた娘は居ない?」
「モブリットの後ろの女……笑ったら悪くねぇと思うが……」
「えっ? どれどれっ?」

ハンジはひょいと首を伸ばす様にして、モブリットの後ろを見た。モブリットも気になる様だが、あからさまに振り返って見る事も出来ずにそわそわしていた。

「結構綺麗な娘だね、うん、ドレスとかも似合いそうだし、いいね」
「だが、どうやって頼むと言うんだ」
「出る時に声掛けてみようか?」
「だが……」

その時、俺の言葉を遮る様に、隣の声が聞こえて来た。

「え? 仕事無くなっちゃったの?」

隣の女の言葉に、浮かない顔をした女は頷いた。

「これは……チャンスかも知れないね」

ハンジの目がきらりと光る。不幸だろう事がチャンスとは、コイツもどうかしてると思ったが、モブリットも頷いていた。

(何がチャンスだと言うんだ……)

わかってないのが俺だけというのも、気に入らねぇ。眉間の皺はかなり深いだろう。

「意味がわからないって顔してるよね?」
「あぁ、何がチャンスだ」
「仕事してたら頼みにくいし、仕事を探すなら、次までの食い繋ぎにもなるじゃないか!」
「短期で、それなりに払えば……引き受けて貰えるのでは無いでしょうか?」

成程、そういう事か……そう思ったが、相手は俺だ。怖がられたりしないかと心配になった。

「いや、やはり……」

ガタッと鳴った椅子の音に、またもや俺の言葉は遮られた。

隣では、次の仕事が無いと困ると話していたところだった。

「ちょっとごめんねっ! 聞こえちゃったんだけど……仕事探してるの? 私達は人を探してるんだけど、話だけでも聞いてもらえないかなぁ?」
「え、あの……」
「怪しい者じゃないよ。私はハンジ・ゾエ、調査兵団で分隊長をしているんだ」
「調査兵団……ですか」
「あぁ、人を探していると言っても、兵士を探している訳じゃ無いから、危険な事ではないよ?」

ハンジの対人スキルは高い。真似しようとは思わないが、あっという間に警戒を解いた女は表情が変わった。

「でも私……雑貨屋の店番しかやった事無くて、掃除や炊事は出来ますが、お役に立てるとは……」
「大丈夫、そんなに難しい事じゃないんだ。詳しい話を聞いて貰えるかな?」

にっこり笑ったハンジに、女は頷いた。

モブリットを俺の隣に移動させて、正面に女は座った。

「こっちがリヴァイで、あっちがモブリットで……ええと……あ、ごめん、まだ名前聞いてなかったね」
「ナマエです」
「ナマエさん、改めて宜しくねっ」

俺は、正面に座らせたのは間違いだろうと思った。
俺を見た女……ナマエはやはりと言うか、俯いてしまった。だが、隣に座らせるのはもっと怖いかも知れない。段々と俺の視界も下へと向いた。

「宜しくお願いします」

心地好い声だと思った。

「……でね、仕事の内容は……」

表向きは雑用という事で……と、説明していたハンジの声に顔を上げた。

「リヴァイの恋人……婚約者の方がいいかな……その役をやってもらいたいんだ」
「……えっ?」

驚いた顔が俺を見た。
そしてすぐに目線はハンジへと移動してしまった。

「リヴァイさんって……兵士長さんですよね?」
「あぁ、そうだ」

その問いには、俺が答えた。
戻って来た視線が困惑の色を見せている。

「そ、そんな方は沢山いらっしゃるのでは……?」

ハンジが爆笑して、モブリットも口元を押さえた。その様子をまた、驚いた様に交互に見ている……

ハンジの足が俺に何か言えと、爪先を突っついた。

「どんなイメージかはわからねぇが、俺にはそういった相手がひとりもいねぇから、こうして頼んでいる」
「すっ……すみません、あの……」

失礼な事を……と、泣きそうな顔になった。

「気にするな、その程度の事で何とも思わねぇよ」
「でも……」
「気にしなくていい、色んな噂があるのも知っている」

フォローしているつもりだが、雰囲気は悪くなっていく気がした俺は、ハンジの向こう脛を蹴った。

「ま、まぁ、今すぐ決めなくて大丈夫だから、楽にしてよ。あ、でもさ、ナマエさんに恋人が居たら……こんな話は良くないかな?」
「私も、そういった相手はいません」

困った様に笑ったナマエに、雰囲気が少し和んだ。
主な仕事はデートやパーティーの同伴だと言えば、自分で大丈夫かと心配そうにしたり、報酬はこんなもんかと提示すれば、おろおろして見せた。

(表情が色々変わる奴だな……)

返事は明日、午後1時半に兵団へ来てもらって聞く事になった。仕事の内容は極秘事項と説明して、周りに聞かれた場合は兵士長の雑用係という事にして欲しいと頼んだ。

「……引き受けてくれるかなぁ」
「雰囲気は悪くなかったと思います」
「だが……」
「ん? どうかした?」
「俺の方を殆ど見なかった……」
「えっ? なに? リヴァイ落ち込んでるの?」

そうじゃねぇよと足を蹴ったが、実際よくわからねぇ……

「良い返事が貰えるといいですね」
「そうだね、まさかこんなに都合良く見つかるとは思わなかったよね。リヴァイの好みもわかったし」
「……好み?」
「そうでしょ? 沢山居るなかで、気になったんでしょ?」
「……」

そうなのか? と、考え込む俺に、2人は呆れた笑いを見せたが、たぶんね……と、ハンジが言った。

帰りに歩きながら、忙しくなるねと楽しそうなハンジの横で、仕事の心配をしているだろうモブリットは額に手を当てていた。
俺はと言えば……明日が気掛かりで、落ち着かない気分だった。


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