〜愛しい記憶〜 夕食はエルヴィン自ら持って来た。入っていいかと訊いてきたので、断る理由も無く迎え入れた。 二人分持って来て、断る奴も居ないだろう。 「昼間の件か?」 切り出しにくそうにしたエルヴィンに、自分から声を掛けた。 「ああ、それもあるんだが……」 「装備は悪い事をした……」 「いや、リヴァイの判断力に感謝しているよ。装備は代わりがあるが、命に代わりはないからな」 「そうか……なら、話は何だ?」 少し困った顔をしたエルヴィンに、俺は怪訝な顔をしたのだろう……俯き、顎に手を添えたエルヴィンが視線を戻すと、まっすぐに俺を見た。 「ナマエについてなんだが、知らないと言ったよな?」 「あぁ、よく似た別人だった。それがどうかしたのか?」 「救護室で眠っているナマエが魘されて……ハッキリしないんだが、どうもリヴァイを呼んでいる様だとハンジから報告が来たんだ」 「……俺を……?」 似てはいるが、同じ筈がない。 昨日と今日は顔を合わせているが、まともに話した事も無い。 「……どういう事か理解出来ねぇ」 俺は本棚から1冊の本を取り出し、間に挟まった写真をエルヴィンに見せた。 女の家にあった唯一の写真を、兵団へ来る時に持って来たのだ。 俺と出逢う少し前だろうか……丁度今のナマエと同じくらいの歳の物だろう。 「これ……は……?」 「俺を拾った女だ。もう、20年は会ってねぇ……」 古ぼけて、どう見ても最近の物では無い事がわかるだろう。エルヴィンも眉間に皺を寄せて考え込んでいる。 「ある日突然、仕事に行くと出て行ったまま……帰って来なかった」 「……そうか」 「あぁ、だから……あの日見掛けた時は驚いた」 「子供という可能性は……」 「俺のか?」 「それはわからないが……」 「いくら俺でも、それはねぇよ。その時俺が何歳だったと思ってんだ?」 「確かに……」 話しながらも、二人とも食事は終えていた。 一緒に救護室へ行ってみるかと訊かれ、俺は少し考えた後(のち)に立ち上がった。 「考えたってわからねぇ……行くぞ」 「ああ、そうだな」 食堂へ食器を返し、救護室へ向かった。 救護室には、ハンジと看護兵が居た。 「様子はどうだ?」 エルヴィンの問いに看護兵が答えている横を通り、眠っているナマエの横に立つと、ハンジが俺を見た。 「俺を呼んでいる様だと聞いたが……」 「間違いかも知れないんだけどね、最後のイが聞こえないから……」 俺は声が出なかった。 俺を呼ぶ呼び方……掠れて音にならないイの、あの声が聞こえた気がして、全身が震えた。 「リヴァイ、どうしたんだい?」 「……」 目を大きく開いたまま、動けない俺を下から覗き込む仕草が視界の中に入ったが、震える体を抑える事すら出来なかった。 片手を此方に伸ばして、体を横にして眠る姿まで、女と同じだった。 「熱が上がっている様だな……」 様子を聞いたエルヴィンが、座るハンジを挟んで反対側に立った。 「まぁ、仕方がないよ、濡れた後に風に当たったりしてる訳だからね。でも、溺れて死んでしまったかも知れないと思えば、良かったよ」 「そうだな、リヴァイのお陰だな」 「……」 「人口呼吸を教えておいた私も誉めて欲しいんだけどなぁ」 「ああ、良くやった」 ナマエから目を逸らす事も出来ずに立ち尽くす俺を気遣っているのか、二人は普段通りの声色で話している。 また何かあったら報告してくれ……と、エルヴィンが立ち去ろうとした時、ナマエが唸りながら身動ぎをした。 薄く目を開け、開いた口は俺を呼んだ…… 「……リヴァ……」 その声に膝を折り、伸ばされた手に擦り寄る様に頬を寄せた。 頭から頬、肩から指先へなぞる手に、エルヴィンとハンジの存在すら忘れて甘えた。 「リヴァ……帰れ……なくてごめ……」 「……ラフィー」 「ひ……とりにして……ごめ……ね……」 「もう、いい……いいんだ……」 パタリと手が滑り落ち、涙が零れていたが、ナマエは何事も無かったかの様に寝息を立てていた。 「ラフィーナ……」 ベッドの端を掴んだまま、床に座り込んだ俺の肩にハンジが触れた…… 「やっぱり……リヴァイを呼んでたんだね?」 「あぁ……」 俺は、捨てられた訳じゃ無かった……帰りたくても帰れなかった何かがあったんだと、それだけでもう充分だと思った。 居なくなる直前に、告白紛いの事をした自分は捨てられたんじゃ無いかという、不安が常にどこかにあった。 「どういう事なんだ……?」 「俺にもわからねぇよ。ただ、今のは間違いなく……ラフィーナだった」 殆ど名を呼ぶ事も無かった、忘れかけていた名前。口にすれば胸が苦しくなった。手の……感触すら愛しい…… 「ナマエが何か知ってるのかも?」 「それは、多分ねぇだろう」 「え?」 「コイツが生まれる前の話だ……」 「えぇっ? 余計わからない」 説明しようと立ち上がろうとした俺は、力が入らずに床に手を着いた。 「……っ、何だ……?」 体に力が入らない…… ラフィーナの事で気が抜けたのだろうか? 頭も重い、このまま床に寝ちまいたいぐらいだ…… 「リヴァイ、どうした?」 エルヴィンに引き起こされたが、全く力が入らなくなった。 取り敢えず、隣の空いたベッドに乗せられたが、起き上がる事すら出来ねぇ。 「お……れは……?」 どうしちまったんだ? と、自分で驚いていると、エルヴィンが額に手を当てた。 「リヴァイ、どうやら君も熱が上がった様だ、それもかなり高い」 「熱だと……?」 「もしかして、熱出したこと無いの?」 「あぁ……たぶん、記憶にはねぇ」 「リヴァイは全身びしょ濡れのままで戻って来たんだ、無事な方がおかしかったのかもしれないねぇ」 「部屋に……」 「戻せるわけ無いでしょうが、今夜は此処に泊まりだね」 病人は大人しく寝ていろとエルヴィンに笑われた。だが、面倒はかけたくねぇ。 「人に面倒は掛けたく無いって顔だね? だったら、さっさと治して戻ればいい。今無理をして、更に面倒を掛けるのとどちらがいいか……」 「……面倒を掛けてすまねぇ」 俺はそのまま目を閉じると、眠りに落ちた。 「……寝ちゃったみたいだね」 「ああ、疲れもあるんだろう」 「ところでさ、さっきの話……エルヴィンは何か知ってるの?」 先程の、まるで母親の様なナマエと小さな子供の様だったリヴァイ……あれは何だったんだろうか? エルヴィンも来る前に少し聞いただけだが……と、説明してくれた。 幼いリヴァイを助けて、一緒に暮らしたが、ある日突然帰って来なかった。それで「帰れなくてごめんね」だったのだろうと言った。 それから20年、リヴァイは探し続けていたのだろうと…… 「それって……」 「ああ、たぶんその時にはもう……」 「そうなると、何故ナマエがその事を知っているのかがわからないね」 リヴァイの方を向いて話していた背後で、ナマエが動いた。振り返ってみると、ナマエが泣いていた。 「どうしたの? どこか痛い?」 小さく首を振って、近付いた私の袖を掴んだ。 「ハンジさん、団長……今の話は……」 「聞こえてたんだ?」 「はい。ずっと……夢を見ていて……」 地下街で小さな男の子と暮らしていて、すごく幸せな夢だったと言った。けれども、仕事帰りに馬車とぶつかって川に落ち……帰る事は出来なかった……と。 「自分でも信じられないんですけど、私は生まれ変わりみたいです」 「ええっ? な、なんでわかるの?」 これ……と、ナマエが首から外したペンダントを私に見せた。 「これは幼いリヴァイさんがくれた物だったんです」 「それが、何で……」 「自分でも信じてなかったんですが、生まれた時に持っていたって……」 「……そんな事が……?」 普通に考えて、ある訳が無い! 「私も、両親が変な事を言っているんだと、ずっと思っていたんです。でも、夢の中で同じ物を着けて貰って……」 「そうなんだ……」 巨人並みに興味をそそる話だったけれど、詳しい話は後でいくらでも聞けると我慢した。 「まだ熱もあるから、今はゆっくり休みなよ」 目を覚ました俺は……目の前に居たラフィーナを抱き寄せた。 やっと捕まえた、今なら愛せると…… 「リヴァイ……さん?」 「すまない、人違いだ……」 慌てて離した俺に、ナマエがペンダントを見せた。 「人違いでは無いみたいなんです……」 「……どういう……事だ?」 「生まれた時から、私はこれを持っていたんです。ラフィーナの宝物」 「何故、その名を……」 「自分を売ってあなたを助けた……そして一緒に暮らして、あなたが初めて稼いだお金で買ってくれた。嬉しくて嬉しくて……早く帰りたくて、でも、帰る途中に事故に遭って……川に落ちたの」 ぼろぼろと泣き出したナマエはそこで言葉を詰まらせた。どうしていいかわからなかったが、もう一度……今度はそっと抱き締めた。 「子供の頃から、幼い貴方を夢で見ていたけれど、誰だかはわからなかったんです」 「……」 「さっき、夢を見ていて全部思い出して……」 リヴァ……と、懐かしい響きが耳を擽る。 「俺は……どうしたらいいんだ……」 「思うままに……」 フッと笑ったナマエがあの日のラフィーナに見えた。 そのままベッドに押し倒し、20年分の想いを全て注ぎ込むかの様に……夢中で抱いた。 我に返った俺は……とんでもない事をした事を知った。シーツを汚す赤い色に、爪の食い込んだ傷のある掌に……酷い事をした……と。 「すまな……」 「謝らないでください。汚れていない自分をあげる事が出来て嬉しいんです」 「ラフィ……」 「二人分の想いを叶えてくれてありがとうございます。リヴァイさん、どうか……自由に……」 「二人分? ナマエ……?」 そっと、服を着ようとしたナマエの手を止めて、再び押し倒した。確りと抱き締めて……実感する。 「もう……離したくねぇ……俺をひとりにするな……」 抱き締めたまま、俺は眠っちまった……その後色々と大変だった様だが、目を覚ました時に、腕の中で眠るナマエを見て、夢の中で小さな俺の手を引いて歩いて行く、ラフィーナが言った言葉を思い出した。 『迷子のこの子は……連れて行くね、リヴァ……』 耳に残る名を呼ぶ声……腕の中の女はもう、ラフィーナには見えなかった。 「ナマエ……」 ……そっと、額にキスをした。 起きたら、何と言えば良いのだろうか…… 愛しい記憶は胸の奥に仕舞って…… 愛しい温もりを……胸に抱く 俺の胸は……あの日から、お前が独り占めしたまんまだ。 そして……これからも…… なぁ、ナマエ…… End [ *前 ]|[ 次# ] [ main ]|[ TOP ] |