Dear memory 1
〜愛しい記憶〜


長年住み慣れた地下街を離れ、俺は調査兵団に身を置く事になった。
離れようと思えば、離れられたかも知れねぇが……どうしても離れられなかった場所だった。

だが、もうそろそろ、諦めてもいいのかも知れないと思った……そんな時期でもあった。




「なぁ、アイツは何て名前だ?」
「あぁ、彼女はナマエ……彼女がどうかしたのか?」
「いや、見知った奴に似ていただけだ。別人だ」
「そうか、彼女も中堅……なかなか実力のある兵士だから、そのうち紹介しよう」
「……いや、別に要らねぇよ」
「まぁそう言うな、そのうち皆に紹介しなきゃならないからな」

自室から団長室まで、迎えに来たエルヴィンと共に歩いていて見掛けたナマエという兵士は、俺の記憶の中の女にそっくりだった。

まだ、ガキだった俺が……一年足らずだが共に暮らした女……




あれは確か……

食い物を盗んで捕まった俺を、助けてくれた事から始まった。

殴られ蹴られ……俺はこのまま死ぬんだろうと思っていたら、声が聞こえた。

「子供相手にそこまでやる事ないんじゃないの?」

その声に、俺をぶら下げて男は女の前に出した。

「それなら、お前がコイツを買うか?」
「生憎、人間買う程の持ち合わせはないわ」
「じゃあ、コイツが二度と盗みなんか出来なくなるのを見てるんだな」
「払うのは金とは限らないんじゃない? 体で払うってのはどう?」

男から俺を取り上げ、路地裏で服を脱ぎ去った女は……俺の目の前で男と連れのもう一人の男の二人にめちゃくちゃにされた。

「早く……帰りな」

服を着て、なんとか立ち上がった女は俺に言った。だが、俺は動かなかった。

「行く所が無いなら、一緒に来る?」

差し伸べられた手を……俺は掴んだ。

それから俺は、女と暮らした。
娼婦をしている女は、それなりに稼いでいた様で、俺を食わせる事に問題はなかった。
綺麗好きな女のお陰で、掃除が上手くなった。

仕事から帰った女はいつも、真っ先に風呂へ行き、暫く戻らない。やっと戻ったと思うと、そこで初めて「ただいま」と笑う。
掠れた様な声で「リヴァ……」と呼ばれるのが俺は好きだった。口は動いているのに、最後のイが音にならない呼び方が耳に残る。

女が寝ている間は、邪魔をしない様に外へ行くのだが、横になって俺を呼ぶ。

「リヴァ……無理に此処に居る事はないからね……」
「……」
「おやすみ」
「あぁ、起きる頃に帰る」

伸ばした手が、頭から頬、肩から指先へ滑り、俺の存在を確かめる様に動いた後、眠りにつく。
居なくなるなら、寝ている間にしてと言われている様だったが、俺は毎日帰った。

強く、なりたかった。
仕事は俺の見えない所でするから、まだ気にしないでいられたが、俺を助けた日の光景は忘れる事は出来なかった。

(強くなって俺が守る……)

暇な時間は体を鍛え、喧嘩で技術を覚え、磨き……俺は強くなった。
毎日の様に怪我をして帰る俺に、女は何も言わず手当てをしてくれた。地下街で男が生き延びるには、強くなくちゃならない事を知っているからだろう。

ある日俺は、どちらが勝つか賭けるバトルがある事を知り、参加した。勝てば金が貰える。負けてもただ、痛い思いをするだけだ。
最初は取り合って貰えなかったが、弱そうな男と戦ってみろと言われ、勝って見せた。

3回目は負けたが、2回勝った分の報酬が貰えた。盗んだりした金じゃない……
急いで帰った俺は、その金を女に渡した。勿論、ちゃんと説明もした。

……だが、受け取って貰えなかった。

「頑張ったんだ、それはリヴァ……あんたの好きに遣いなよ」

そう言って笑った女に……少し寂しくなった。俺の助けなど要らないのかと。

俺はその金を持って出掛けた。
露天が並ぶ市で、綺麗なペンダントを見つけ、それを買った。残った分は仕舞っておく事にした。

「……やる」

食事の支度をしていた女に、屈む様に言って、首に着けた。

「好きに遣えと言ったから、買った。もっと強くなったら俺が守る」

楽しみにしてると笑った女の頬に、約束だとキスをした。

……その夜、仕事に行ったきり、女は二度と戻る事は無かった。




あれから20年……俺も大人になっちまったと……今なら守れるのにな……と、団長室の窓から空を見た。

先程見掛けた女が、同じ人間な筈がないのは解っていた。俺より年上だった女が俺より若い筈がない。

だが、それ程までに似ていたんだ……




座学とやらを何日か続けて、巨人に対する知識を学んだ。
その次は……実技となった。

地下から来た俺は、訓練兵を経ていない。そんな奴が使えるのかと噂になっていた。いい機会だとエルヴィンに言われて、対人格闘の訓練に参加したが、当たり前だが、俺と組もうという奴など居なかった。
見かねたハンジが相手を募り、俺は言われるままに挑んだ奴等を全部倒した。

「まぁ、これで噂も収まるんじゃないかな?」
「……どうだかな」
「もうちょっとだけ、その無愛想がなんとかなれば……おっと」

振り上げた足を避けながら、笑っている……コイツは不思議な奴だ。

「ところで、立体機動は扱えるんだったよね?」
「あぁ、自己流だがな」
「じゃあ、明日はそっちをやろう。後で夕食を持って行くから、部屋で休んでいてね」
「……わかった」

正式な入団発表がされていないうちは、問題が起きても困ると言われ、食事も自室で食べていた。

部屋に戻った俺は、掃除をしてからシャワーを浴び、本を読んでいた。

(優雅なもんだな……)

壁外へ出なければ、命の危険は無い。地下とは大違いだ……
だが、安心と言うよりは物足りないとさえ思う自分は、此処には不似合いだろうと自嘲した。

食事を運んで来た……と、聞き慣れない声が聞こえた。
ドアを開けると、ナマエと言ったか……先日見掛けた女が立っていた。

ハンジにする様に、入る様に促したが、得体の知れない男の部屋に簡単に入る方が珍しいのだろう、食事を渡すと戻って行った。

(……やはり、似ている)

だが、別人である事に変わりはない。
あまり関わらない様にしようと思った。




翌日はハンジと共に立体機動の訓練に参加した。
ナマエが班長をしている班の兵士を俺が捕まえるという単純なもので、班長以外はすぐに捕まえられたが、エルヴィンの言った通り実力がある様で、なかなか捕まらなかった。

関わらない様にしたいと思っていても、そうはいかないのが辛いところだ。

後ろから追いながら、幻影を見ている様な錯覚に襲われる。

森の外れ迄追って来て、大きく森から飛び出したナマエが弧を描いて戻るつもりだったのだろうが、アンカーが外れ……横の湖に落ちた。
服を着て、フル装備の状態では、余程泳ぎが達者で無ければ溺れるかもしれない。

地上に降りた俺は急いで装備を外し、走りながら上着を脱いだが、上がってくる気配がない。

そのまま飛び込んで……探した。

懸命に上がろうともがく姿を見つけ、後ろから掴んで浮き上がろうとしたが、重くて上がらない。
判断ミスは命に関わる……俺は服ごとベルトを切り、装備を外した。

引き揚げた時、ナマエは息をしていなかった 。そうそう使う事も無いんだけど……と、ハンジに教わった人工呼吸というやつが役に立ち、派手に咳き込みながらも、呼吸と意識が戻った。

「す……みません……」

咳が治まると、寒さでガタガタと震え出した。服を脱がせ、代わりに俺の上着を着せ、装備を着けて抱いて跳んだ。
なかなか戻らない事を心配して探しに来たハンジに先導され、最短距離で救護室へ向かった。

状況を説明した俺は、今日はもう休んで構わないと言われ、食事の時間まで暇になった。
冷えた体を暖めるために、ゆっくりと風呂に入りながら思い出すのはナマエの事だった。

ある日突然姿を消した女と瓜二つなナマエ……気にならないと言えば嘘になる。だが、18歳だと聞いた。消えた当時はまだ、生まれてすらいねぇ。


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