草を食む馬を見ながら、俺はその先に居る女を見ていた。 先日憲兵団からの移籍で来たが、元々は調査兵団に居たのだそうだ。 淡いグレーともシルバーともつかない、不思議な瞳は色素異常か何かなのだろうか…… (何処かで見た気がするんだが……) しかし、いくら考えても、何も思い出さなかった。 「何見てんのさ、もしかしてナマエの事見てた?」 「……いや、何処かで会った事がある気がしてな」 「リヴァイ……口説き文句は本人に……」 そんな訳じゃねぇ……と、足で答えてやった。本当に、そんなんじゃねぇんだ。 「あー、よしよし……ったく、馬がびっくりしてるじゃないか」 「だが、逃げたりはしない。利口だな」 「まあね、かなり助けられてるよ」 「あぁ、そうだな」 「で、何処が気に入ったのさ」 「……もう一度蹴るか?」 「いや、遠慮しとくよ。ナマエはミステリアスな魅力があるよね、特に瞳とかさ」 チラッと俺を見るが、だから何だと言うんだ? 「浮いた話のひとつも無いんだよ、これが。あの容姿で不思議なくらい……」 「まぁ、確かに整った顔をしているが、性格に問題でもあるんじゃねぇのか?」 「……リヴァイがそれ言っちゃう?」 「……悪かったな」 驚いた顔のハンジに舌打ちをして、そろそろ休憩も終わりだと馬に乗った。 壁外調査中とは思えない、穏やかな時間だった。 次の拠点を目指すべく、馬を走らせていた。すると、前方に数体の巨人が見えた。 (避けきれねぇか……) 煙弾を撃たせ、指示を出す。俺の班の援護についたナマエの居る班が補佐に回ったのを見て、それぞれが項を狙いに行く。 一人が、タイミングを見誤った…… すかさずフォローに回った俺と、同じ様にフォローに回ったナマエが、俺が削いだ後に衝突した。接触なんて軽いもんじゃなく……アンカーが絡まり、揃って落下した。 咄嗟に下に回り、抱え込んだ。 「怪我はねぇか……?」 「大丈夫です。兵長は……」 「あぁ、大した事はねぇ」 「立てますか?」 「立たせて貰う趣味はねぇよ」 「そうですね、私も立たせてあげるほど優しくはないみたいです」 その時、地下で同じ会話をしたのを思い出した。 「お前っ……」 「あ……あの時の……」 互いに……その時を思い出した様だ。 あれは確か…… 地下街で暮らしている頃、俺は子供達の面倒を見たりしていた。生きる術を持たぬ、まだ幼い子供達…… 捨てられたり、拐われて逃げたが帰る事も出来ない。 ある日、傷だらけの一人が俺を呼びに来た。案内させたそこには、数名のゴロツキと傷付いた子供達の姿があった。 「待ってたぜ」 厭らしく笑うそいつの手には、首を握られた子供がぶら下げられていた。 「コイツ等の命が惜しけりゃ、黙って殺られるんだな」 「……」 動けない俺は、後ろから棒で殴られて座り込んだ。 (黙って殺られろ……?) そんな事をしても、俺を殺った後で……子供達も殺されるのが見えている。 他の男に捕らえられ、ぐったりとしている子供が生きているという確証も保証もない。 「本気だと分かって貰うか……」 ぶら下げた子供めがけ、ナイフを降り下ろした瞬間、その動きが止まった。 「子供にしか強くない大人は嫌いだ……」 ナイフの刃を握った……女が1発で男を倒した。だが、咄嗟にナイフを引き抜かれた手からは血が流れていた。 俺はその赤い滴りを呆然と見ていた…… ボスを倒された男達は、わらわらと逃げて行く、皆、自分の安全しか頭にねぇ。 スッと俺に寄った女……いや、深々とフードは被っているが、思ったよりも幼いそいつは俺に言った。 「守りきれないなら、余計な事はしない方がいい」 返す言葉も無かったが、俺の目は一点を見たままだった。 「手を貸せ……」 「生憎、立たせてあげるほどの優しさは持ち合わせてない……」 「あぁ、俺にも立たせて貰う趣味はねぇよ。……怪我してる手を貸せ」 忘れていたかの様に自分の手を見ると、顔をしかめたのを見て、このくらいしか出来ねぇが……と、ハンカチで傷を覆い、服を裂いて止血した。 「何か礼を……」 普段なら間違っても言わねぇが、不思議な瞳に魅入られた様に、口をついて出ていた。 「それなら……」 子供を拐う奴等の居所を教えてくれ……と、言われた。 知る限りの場所を教えたが、そのまま立ち去ったそいつには、二度と会わなかった。 数日後に、一番でかい誘拐組織が潰されたとだけ、噂を聞いた。 「あの子等は……」 「あぁ、立派に育った」 声を掛けられ、記憶の中から戻った俺は、ナマエの左手を引き寄せていた。あの時、怪我したその手を…… 「さ、触るなっ!」 握られた掌は見えなかった。バッと振りほどかれ、走り去るのを見ていた。 (そうか……あの時の女だったか……) 俺は……記憶の奥底に仕舞い込んだ、ほんのひとときの出逢いと、心惹かれた想いを紐解いてしまった気がした。 当時は、恋などという言葉すら知らず……己を煩わす想いを、ただただ無理矢理に忘れようと努力したのだ。 調査から戻り、痛む腹を診て貰うべく救護室へと向かっていた俺は、覗き見るつもりも無かったのだが、ナマエの声のする方を見ると、無事に帰った高揚感からか、告白されているのを見てしまった。 断っていたが、引き下がるつもりも無いといった様子の兵士は……必死だ。 (わからなくもねぇがな……) 止めてやるべきか……ほっておくべきかと考えていた。下手すりゃ、怪我するのは男の方だろうと思った。 「私は誰とも付き合う気は無い!」 「……」 襲い掛かろうとした……男の腕を掴み、俺の方へ引いた。 間一髪、強烈な蹴りは空を切った。 「その辺にしておけ、折角生きて帰ったんだ……命を無駄にするな」 「兵長……?」 「少し頭を冷やせ、力で手に入れるもんじゃねぇだろうが」 「……すみません」 男はナマエにも「悪かったな……」と言って、去って行った。 「邪魔したな……」 俺も立ち去ろうとしたが、後ろから声を掛けられた。 「何でアイツを助けた」 「無駄な怪我をさせる訳にも行かねぇだろう?」 「……」 「収まらねぇなら、俺を蹴ればいい……邪魔したのは俺だからな」 「何も知らないで……」 背後に殺気を感じて振り返った俺は、しまったと思う前に……腹に食らっていた。 「……言われた通りにしたまでだ」 そう言って去って行く後ろ姿を黙って見送り、両膝を着いた。 (……肋骨……やられたな……) 大した蹴りだと誉めてやりたいところだが、本格的にヤバイ……と、俺は救護室へ急いだ。 結果は予想通り、2本折れていたそうだ。 診断書を貰い、面倒だがエルヴィンに出しに行くかと、救護室を出た。 団長室にはハンジも来ていた。 厄介だと思いながらも……エルヴィンに出せば、困った顔をされた。だが、こればっかりはどうしようもねぇ。 「昼間の事故か?」 「あぁ……」 「え? 何それ……?」 「ナマエとリヴァイがぶつかって落ちた……そうだよな?」 「あぁ……」 「その状態で無理されても困る、取り敢えず明日から1週間は休んでくれ」 「……」 「急ぎの書類だけは頼むと思うが……少しでも早く、治す努力をしてくれ」 「……すまねぇ」 「ふぅん……でもさ、二人とも怪我したんじゃなくて良かったよね。まぁ、リヴァイは痛いだろうけどさ」 「大した事じゃねぇ」 「エルヴィン、大人しくして貰うために、世話係を付けるってのはどうかな?」 「……要らねぇよ」 「それはいい! リヴァイ、当面の君の仕事は治す事だ」 余計な事を言いやがってと、蹴りたいが……我慢した。ハンジもわかっているのだろう、ニヤリと笑っている。 (治ったら……覚えてろよ) 世話係の希望はあるかと訊かれたが、そんなもんある訳ねぇだろうと返せば、人選は任せろとハンジが言った。 嫌な予感もするが、すかさずエルヴィンがハンジに頼んだのを聞いて、俺は諦めた。 「部屋に戻る」 「ああ、無理はするなよ?」 エルヴィンに片手を挙げて返事をして、団長室を出た。 翌朝、起きるのも面倒だった俺は、また目を閉じて眠ろうとしたのだが、ノックの音に遮られ、ドアを開けた。 目の前に居たのはナマエだった。 「お、おはようございます……」 「お前が世話係か?」 「はい……あの……」 ずっと床を見たままのナマエに、自分のせいだと思っているのだろうと感じた。 「お前のせいじゃない。他の奴に代わって貰え……」 「……」 「嫌なんだろう? 無理はしなくていい」 「……違います。昨日は2度もすみません……ありがとうございました」 「気にするな、俺も悪かった」 じゃあ……と、ドアを閉めようとしたが、中に入られた。 「……何だ?」 「お、お世話を……私は何をしたらいいですか?」 「その前に……左手を見せろ」 「い、嫌です」 後ろに隠したのを見て、俺は思い出した。似た様な怪我をした奴の手を…… 「指がちゃんと開かねぇんじゃ……」 「何故、それを……」 「やはりそうか、見せてくれ」 バレちゃったものは仕方がないといった様子で、そっと出された手は、握る事は問題が無いが……開く事は殆ど出来なかった。 「辛い思いをさせたな……」 そっと持ち上げた手に、キスをした。 驚いた顔で固まってしまったナマエに……眉が下がった。 「断っていたのは、このせいか?」 「……それも、あります」 「他にも理由があるのか……?」 パッと手を引いて、横を向いてしまった。 「ずっと……好きな人がいて……」 「そうか……」 「もう、会う事も無いと思っていたので……」 「……そうか、俺にもそんな女がいる」 「それはどんな……」 訊いてから、すみませんと俯いた。もしかして……と、淡い期待を持ってしまった。 「不思議な瞳の色をした……強い女だ」 顔を上げたナマエの瞳を見つめた。 「鋭いのに、優しい目をした……一度しか会った事のない人……」 暫くそのまま互いの目を見ていた。 叶う事など無いと思っていた想いが、じわりと胸を侵食していくのがわかる。 目を見たまま、自然と顔を寄せ……唇を合わせた。 有意義な療養になりそうだ……と、俺は目を閉じた。 End [ *前 ]|[ 次# ] [ main ]|[ TOP ] |