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ベスト姿の雲雀さんにドキドキしながら駆け寄ると、彼はちょっとだけ口角を上げてあたしを迎えた。
「やぁ」
「こんにちは、雲雀さん!
わざわざ教室まで来るなんて珍しいですね。何か急用ですか?」
「用があるから来たんだよ」
み、身も蓋もない…。
バッサリと返されあたしは苦笑いを浮かべてしまった。
でも雲雀さんらしいや。
クールというか、マイペースというか。
雲雀さんに出逢った頃の自分だったら、怖くて腰抜かしてたかも。
そう思うと不思議だよね。
今はあんまり怖いと思わないんだから。
気を取り直して再び質問をする。
「それで、御用は何でしょう?」
「例の話どうなったの?」
「へ?」
「オーディションの話だよ。両親に了承は得られたのかい?」
「あ、はい!お父さんも並プロに行ってくれて、エントリーシート貰って来てくれました」
にっこり笑って答えると、雲雀さんは「そう」と呟いた。
あれ?ちょっと怒ってない?
いつの間にか彼の口元から笑みが消えている。
雲雀さんは小さな溜め息を吐く。
「…全く。僕が骨を折って調べてあげたのに、報告がないってどういうことだい?雅」
「ご、ごめんなさい!」
あたしは少し焦った。
重要な報告はちゃんと自分の口で言えって言われたばかりだった!
肩を竦ませて謝ると、雲雀さんはもう一度小さく溜め息を零した。
「…まぁ、いいけど。それでエントリーシートの記入は終わったの?」
「まだちょっと残ってます。
でも放課後までに書き上げて、学校帰りに提出してこようかなって」
「ふぅん…」
あたしを見下ろしていた雲雀さんは、ほんの一瞬教室の中に視線をずらした。
ん?何だろ。
釣られてあたしも振り返ろうとしたけど、雲雀さんの言葉がそれを遮った。
「制服であまり繁華街うろつかないでね。風紀が乱れる」
「あ、はい。提出したらすぐ家に帰ります」
「うん。じゃあね」
雲雀さんはいつもの不敵な笑みを浮かべてポンポンとあたしの頭を軽く叩くと、クルリと背を向けて階段の方へ歩き出した。
彼に気がついた他の生徒達が慌てて道を譲り、廊下の真ん中に出来た道を堂々と歩く雲雀さんの後姿を見送る。
雲雀さん、一応応援してくれてるのかな。
―――――そうだったら嬉しいな。
これは何が何でも頑張らなくちゃ!
まだ少しドキドキしている胸に大きく息を吸い込み深呼吸。
エントリーシートの僅かな空欄を埋める為に、あたしは自分の席に戻った。
***
「はい。確かに受け取ったよ」
オーディションに誘ってくれた倉元さんは、封筒を受け取るとにっこりと笑った。
封筒の中には一生懸命書いたエントリーシートが入っている。
あたしはガチガチに緊張して身体を直角に折り曲げて頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします!」
「はは、今からそんなに緊張しなくていいよ。
僕が推薦するから一次選考は通ったも同然だし、君ならきっと二次選考も通過出来ると思うよ」
「だと良いんですけど…」
二次選考、つまりオーディションは審査員の前で課題曲を歌うコトになるらしい。
しかも公開型なんだって!
緊張もするけどワクワクもする。
やっぱり誰かに自分の歌を聴いてもらえるのはすごく嬉しいから。
「ま、ドーンと大船に乗ったつもりでいてよ。
それよりも次の審査に向けて喉の調子万全にしておいて。
緊張し過ぎて風邪なんて引かないようにね」
「はい!頑張ります!」
どうして倉元さんがこんなに自信満々なのかあたしにはちっとも分からなかったけど、彼の言うとおり風邪なんて引いたら元も子もない。
夢を実現する為の大切な一歩だもんね。
そう思って元気に返事をしたら、倉元さんは困った顔をしながらもクスクス笑った。
***
はぁぁぁ…エントリーシート提出しちゃったよ!
あたし本当にオーディションに出るんだ。
まだ実感が湧かないなぁ。
やっぱり審査会場で歌うまではリアルに感じないかも。
そんな風に思いながら並プロの事務所を出ると、少し離れた路地から見覚えのある人物が現れた。
「ひ、雲雀さん?!」
「やぁ」
え?えぇ?!
何でこんな所に雲雀さんがいるのー?!
嬉しいハプニングにあたしの胸はドキドキと高鳴った。
もしかして様子見に来てくれたとか?
…て、そんなコトないか。
巡回の途中かな。
雲雀さんは並プロの看板を一瞥すると、口を開いた。
「用事は済んだの?」
「はい」
「そう」
すぐに立ち去るのかと思った雲雀さんは、何故かあたしの前に立ったまま動かなかった。
気まずい沈黙が流れる。
ど、どうしよう。
落ち着かなくてギターのストラップを胸の前で意味なく弄る。
こんな所で逢うなんて思わなかったから、ビックリしちゃって何話していいか分からないよ…!
兎も角何か話そうと息を吸ったけれど、先に言葉を発したのは雲雀さんだった。
「…そこらで茶でも飲んで行くかい?」
……へ?お茶?
思いがけない彼の言葉にあたしはきょとんとしてしまった。
また沈黙。
決まりが悪くなったのか、雲雀さんは視線をあたしから外して口をへの字に曲げた。
怒ってるというより、照れてる?
あたしと雲雀さんがお茶?!2人きりで?!
それって…
「もしかして…デートのお誘いですか?」
「!!そんなんじゃないよ。バカじゃないの」
「で、ですよね」
あっちゃー、調子に乗り過ぎた。
一瞬切れ長の目をこれでもかと見開いた雲雀さんは、あたしの言葉を一刀両断すると瞼を閉じてプイッと横を向いてしまった。
うぅ、折角雲雀さんとお茶出来るチャンスだったのに怒らせちゃった…。
ちょっぴり残念に思っていると、彼は横目でこちらを見た。
「…君がそう思いたいなら、そういうことにしてあげてもいいけど」
心なしかふわふわの黒髪から覗く雲雀さんの耳が赤い。
え…?それじゃデートって思ってもいいの?
ひ、雲雀さんとデート…!!!
そう思ったら、自分の顔に一気に熱が集中するのが分かった。
う、嬉しい…っ
「行くの?行かないの?」
「あ!勿論行きます!待って下さいよー!」
答えを聞く前にさっさと歩き出していた雲雀さんの後を慌てて追う。
恐れ多いけど隣に並んで彼の顔を見上げると、そこには優しい笑顔があった。
きゅぅっと胸が狭くなる感覚に襲われる。
苦しいけど全然不快なんじゃなくて。
…この笑顔があたしに歌う活力を与えてくれる。
一次の書類審査が通れば、二次の実技審査が待っている。
初めてのチャレンジで分からないコトだらけだし、すっごく不安だけど…この気持ちを歌に乗せたら上手くいきそうな気がする。
―――――どちらもあたしには大切で、大好きなモノだから。
2010.1.22
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