03
あの娘との出会いは最低最悪だった。
風紀を乱すあの娘は僕にとって咬み殺す対象でしかないはずなのに。
声を聞いた瞬間、酷く胸がざわついたんだ。
***
今朝は校門で風紀検査をした後、何となく校内の見回りをしていた。
校舎裏で煙草を吸っていた草食動物の群れを咬み殺して、処理を草壁に任せる。
風紀の乱れを正すのは風紀委員の仕事だからね。
こんなことはいつもと何ら変わらない日常だ。
―――退屈な日常だ。
退屈凌ぎに書類整理でもしようかと応接室に向かって歩いていた時、突然頭上に気配を感じた。
初めは鳥かと思った。
でもこんなでかい鳥がいるわけがない。
逆光でそう見えたのはギターを背負った少女だった。
目が合ったのはほんの一瞬。
いつもならぶつかるなんて不覚は取らないのに、その時の僕は何故か動けなかった。
気が付けば降ってきた女子に押し倒されていた。
僕が背中に土をつけられるなんて、不名誉極まりない…!
問答無用で咬み殺す…!
学ラン下のトンファーに手が伸びる。
けれど「ご、ごめんなさい…!」というその娘の凛と澄んだ声に手を止める。
……綺麗な、声。
素直にそう思った。
何だ、この感じ。何処かで聴いたことがあるような…。
―――――胸がざわざわする…。
だけど遅刻してきた上にこっそり塀をよじ登って登校。
その上僕を押し倒すなんて許せない。
睨みつけると彼女は「す、すみませんでした!」と勢い良く立ち上がって頭を下げ、校舎に向かって脱兎の如く駆け出した。
呼び止めたけどその娘は足を止めること無く、スカートの裾を翻してそのまま走り去ってしまった。
なんて逃げ足の速い。
……スカートの丈短いよ。
校則違反だらけじゃないか。
あんな女子を放っておくなんて、風紀委員達は何をやっているんだ。
短く溜め息を吐いて立ち上がり軽く土を払っていると、今の騒ぎに気が付いた草壁がやってきた。
「どうかしましたか、委員長」
「遅刻者だよ。ギター背負って登校してくる女子、早急に調べてよ」
草壁は了解の返事をすると踵を返して調べに行った。
ギターを背負って登校する女子なんて、特徴があり過ぎてどうせすぐに見つかる。
僕から簡単に逃げられると思ったら大間違いだよ。
案の定、草壁はすぐに目星をつけて報告してきた。
2−A、音ノ瀬雅。
かなりの遅刻常習犯のようだ。
今月に至ってはまともに登校している日数より遅刻している日数の方が多い。
それなのに検査に引っ掛からなかったのは、今朝のようにこっそり登校しているからだろう。
さて、どんな罰則を与えてやろうか。
僕はあの娘を呼び出すために放送室に向かった。
***
キーンコーンカーンコーン…
4時間目終了を告げるチャイムが鳴る。
風紀委員長直々に呼び出しの放送をしたんだ。
きっとあの娘は飛んでくるはず。
厳しい罰則を与えようか、今朝の腹いせにトンファーで何発か殴るのもいいかもしれない。
自然と口が弧を描く。
綺麗なあの声でどんな風に啼くんだろう。
僕は書類に目を通しながら憐れな獲物がドアをノックするのを待った。
……遅い。
昼食を食べてから来るのかとも思ったが、もう間も無く昼休みも終わる。
そのうち5時間目の始まりを告げるチャイムも鳴る。
何で来ないの…。
今まで僕に呼び出されて来なかったヤツはいない。
苛立ちから僕はバンッ!と手にしていた書類を机に投げつけた。
音に驚いた見張りの風紀委員が慌ててドアを開けて覗いてきた。
「どうなさいましたか!委員ちょ…!かはっ!」
「入る時はノックしろっていつも言ってるだろ」
言いつけを守れない風紀委員の鳩尾に投げつけたトンファーが突き刺さる。
彼はそのまま伸びてしまった。
どいつもこいつも僕をイラつかせる。
音ノ瀬雅…いい度胸じゃないか。
こうなったら直接教室に乗り込んで捕まえる。
授業中ならあの娘だって逃げられない。
椅子の背凭れにかけておいた学ランを羽織って、僕は2−Aに向かった。
授業中の廊下は静かで誰もいない。
すぐに2−Aの教室に着いた僕は、ガラッと音を立てて教室のドアを開けた。
突然の僕の来訪に教師を始め授業を受けていた生徒全員が、脅えた表情を浮かべる。
「音ノ瀬雅、いるかい?」
「あ、あの…音ノ瀬は出席してませんが…」
恐る恐る教師が答えた。
ざっと教室を見渡すと見覚えのあるギターが置かれた空席がひとつ。
鞄も置かれたままだ。
ふぅん。今度はサボりかい?
僕の学校の風紀をどれだけ乱す気なんだ、あの女子。
「……邪魔したね。授業続けてよ」
僕がドアを閉めると中から安堵の溜め息が聞こえてきた。
ギターと鞄が置いてあったということは、まだ校内にいる可能性が高い。
……さぁ、狩りの時間だ。
それから僕は並盛中のあらゆる場所を回った。
女子トイレさえ女子生徒に見に行かせた。
下校時刻に鞄を取りに戻るかもしれないと思って、もう一度2−Aまで見に行った。
それでも彼女は見つからない。
ここまで来るともう、学校外に出たと考えた方がいいかもしれない。
まだ探していない屋上への階段を上りながら、僕はそう思っていたのに。
ドアを開けた瞬間頭上に気配を感じた。
ま、まさか…!
今朝の光景がフラッシュバックする。
見上げれば、あれだけ探しても見つからなかったあの娘が驚きに目を見開いて。
「「!!!」」
何の因果か。
僕はまた上から降ってきた彼女に押し倒された。
2008.8.16
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