26
シャワーを浴びて身体はさっぱりしたが、澱んだ気持ちまでは洗い流してくれなかった。
シャワー室から出ると多分雲雀さんが持って来てくれたのだろう、真新しい制服が一揃い置いてあった。
のろのろと着替えて鞄と壊れたギターを持って宿直室を出ると、廊下で雲雀さんが待っていてくれた。
彼はあたしの手から鞄を奪うと自分の肩に掛けた。
ギターにも手を伸ばしたが途中で迷ったように手を止め、ギターの代わりにあたしの手を掴んだ。
「…帰ろう」
誰もいない休日の校舎に雲雀さんの声が静かに響く。
彼がどんな顔をして言ったのか、俯いたままのあたしには分からなかった。
手を引かれるままに歩いて家路につく。
途中で言葉を交わすコト無く2人で歩く。
ただ繋がれた雲雀さんの手の温かさが、酷く切なかった。
あたしの家に着くと、雲雀さんは俯いたままのあたしに鞄を持たせた。
そしてあたしの頭を優しく撫でながら「…ごめん」と呟いた。
―――どうして雲雀さんが謝るんだろう。
「また明日」
こくんと頷くと頭を撫でていた手が止まって、ぽんぽんと叩いて彼は来た道を戻って行った。
雲雀さんを見送る気力もなくて家の中に入る。
両親は買い物に行っているようで、家の中はしんとしていた。
丁度いい時に帰って来たかもしれない。
父さんと母さんには買ってもらったギターの、こんな姿を見せたくなかった。
足を引き摺るようにして階段を上り、自分の部屋に辿り着く。
中に入ると手から鞄が滑り落ち、ドサッと音を立てて床に落ちた。
そのままベッドに倒れ込んで、あたしは壊れたギターを抱き締めた。
目の奥から溢れてきた涙を拭う気にもならない。
瞼を閉じても涙は止まらなかった。
その代わり全身を疲労感が襲う。
……きっとこれは悪い夢だ。
次に目を開けた時はきっとギターは壊れていない。
いつものように雲雀さんやみんなに歌を聴いてもらうんだ。
目を閉じているうちに、あたしは眠りについた。
***
「雅〜、ご飯出来たわよ」
母さんがドアをノックする音で目が覚める。
母さんと父さん、帰ってきたんだ…。
ハッとして自分の腕の中を見たが、やっぱりギターは壊れたままだった。
この姿を見られたくなくて、あたしはギターをベッドと床の隙間に隠した。
キッチンに行くと、しっかり瞼の腫れたあたしの顔を見た母さんは目を丸くした。
「どうしたの、酷い顔!何かあったの?」
言えるわけがない。
首を横に振ると母さんは怪訝そうにしながらもそれ以上は追求しないでくれた。
「顔を洗ってらっしゃい」と頭を撫でられる。
素直に頷いて洗面所で顔を洗い、黙って夕飯を食べた。
父さんも普通に接してくれていたが、母さんにきっと余計なコトを聞くなと根回しされたんだと思う。
いつまでも隠せるコトじゃない。
でも今はまだあたし自身受け入れられない。
何とも気まずい夕食になってしまった。
早々に部屋に引き篭もって、気分転換に五線譜を取り出して机に向かう。
何も、浮かばない。
暫くジッと線だけ引かれた紙を見ていたが、やっぱりダメ。
スランプ…?
そんなの今までいくらだってあった。
だけどそれは浮かばないというよりも沢山の浮かび過ぎて纏まらない…そんな感じで。
今みたいに何も浮かばないなんてコトはなかった。
雲雀さんのコトで悩んでる時だって、どう表現していいのか分からないだけだったのに。
何も書かれていない五線譜をぐちゃぐちゃに丸めて後ろに放り投げる。
そのままダランと椅子の背凭れに寄りかかり伸びをすると、逆さまの視界にベッドが映る。
あの下には壊れたギターがあるんだ。
雲雀さん…どうしてあたしに謝ったんだろう。
謝らなきゃいけないのはあたしの方なのに。
…悪いコトしちゃったな。
折角の休みなのにあたしの為に時間割かせちゃって。
あんなコトにならなかったら、今頃あたしはまた彼の為に作曲していたかな。
あのヒトの前で泣いたのは二度目だ。
どちらの時も彼はあたしを抱き締めてくれた。
冷たそうな見かけによらず、雲雀さんは温かくて。
雲雀さん…。
彼のことを考えると胸がモヤモヤして、苦しくなる。
でもそれは決して気分が悪いものじゃなくて。
山本のことを考えてもこういう気分にはならなくて。
「好きなんでしょ?」と言われて違うとは言えなかった。
山本も雲雀さんも、2人とも好きだから。
2人ともあたしの歌を好きだと言ってくれる。
だけどファンクラブの子にどちらが本命かと訊かれた時、真っ先に浮かんだのは雲雀さんの顔だった。
―――――山本への『好き』と雲雀さんへの『好き』は何だか違う気がする。
はぁ…やめよう。
ただでさえパンク寸前の今は頭を使いたくない。
答えが出たところでギターが元に戻るわけじゃないし。
のろのろとベッドに潜り込むとどっと疲労感が襲ってきて、深い眠りにあたしを引き摺り込んだ。
2009.1.22
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