殺せるもの

「ああもう……うるさいわね。」

枕元の携帯電話を無造作に開き、アラームを止める。

ああ、今日は校外学習か。



殺せるもの



「はあ……気が重いわ。」

校外学習、って言ったって、要は社会科見学な訳で、つまりは遠足と同じ。小学生じゃ有るまいし、そんな。

「バナナはおやつに入りますかー、センセ。なんちゃって。」

昨日、クラスの馬鹿男子がふざけていった一言を呟く。と同時に、気になるあの子の声も再生された。

『バナナって実は野菜なんだよ。だから、厳密に言うとおやつではないんじゃないかな。』

「ふふ、やっぱり、変わってる。」

気になるなあ。

下の階から、御影ー、早く起きてきなさい、遅刻するわよ、と母の声が聞こえた。

今行くわ、と叫び返して、私はようやく腰を上げた。



「_____遅い。」

遅々として進まない。きっと今の速度なら、徒歩の方が速いだろう。

ここは高速なんじゃなかったっけか。いくら渋滞だからって……これじゃ低速じゃないか。改名したらどうだろう。

(まあ往々にして、名は体を表さないものだけど。)

真理とは逆なのに、それらは堂々と看板を掲げる。

まいったまいった、降参だ。従うよ。

「僕だって、いつもいつも高速であり続けろなんて無茶、言うつもりないしね。」

「はあ?何言ってんだ所木、さっきからブツブツ。」

「独り言。気にしないで。ただ、名と相反する現状に降参しているだけだから。」

「____変なヤツぅ。」

隣りの男子はそう呟くと僕からお菓子へ目を移した。変、ね。そうかなぁ?

その時御影が僕を見て、くすくす笑ってたことなんて……当時の僕が知る由もない。



綺麗な空と澄んだ空気。あーイラつく。

「このイラつきはアレだな、慈善事業とか、募金活動とか、エコロジーとか、そういうことやってだらしなく笑ってる奴らを見たときとなんか似てんな。」

うんうん、と一人うなずいて空を見上げる。俺はまだ、そういう色々を突っぱねていたい年頃だ。

悪く言うと、中二病。

(だから不良なんてやってんだな、俺は……)

かっこ悪ぃ。

分かっているならどうしてやめないんだろうか。

元々、ガキの頃に空手習ってたせいか(今もやってるが)俺は喧嘩が強かった。だから不良の世界に入るのも、不良達のリーダー格になるのも、あんまり難しいことじゃなかった。でもそうなっても、和弘や市羽目の俺への対応は、昔通りだ。もとから、ワルなところはあったから?でもそれだけじゃないだろう。

和弘の場合は、何故だか大体想像がつく。

興味ないのだ、俺に。

俺だけじゃなくて、多分市羽目にも。

変わろうが変わるまいが、俺は俺で市羽目は市羽目。表面の変化にはなんの興味もない。

本質まで変わったら、どうなんだろう、アイツは。それでもいつも通りな気がする。

だが、市羽目は……

「アイツは読めねぇ。」

俺は髪をかきあげつつ言った。

和弘が俺と一緒に居る理由、親友である理由、それは「なんとなく」だ。波長が合うから?一緒に居ると心地いいから?そういうの全部ひっくるめて「なんとなく」だ。

けど、市羽目は……アイツにはその「なんとなく」に似たなにかの他に、きっちりとした利害が伺える。

その利害には、アイツの中の『正義』が有るような気がして。

俺はアイツが、何となく好かない。



「んーっ……やっぱり車の中に長時間って、居心地悪いな。」

トイレ休憩って、なんで全員出なきゃならないんだろ?でもまあ、新鮮な空気を吸ってみるのも、いいかもしれない。

「あーそうだ、輪払のヤツ何してるかな……ちょっと、探してみようか。」

どうせトイレの裏とか、そういう、不良っぽいところに居るんだろーな、あの中二病。

「さてと……ん?あれ?」

急いで木陰に隠れる。トイレの裏に、見覚えのある影が二つ。

(あれは……確か同じクラスの。)

ああ、そうだ甘木だ。甘木御影。

手前に居る男子は、なんて言ったっけか。

(思い出した、榎市一、だ。あれ、バス隣りじゃなかったっけか。)

それどころか、教室の席も隣りだった気がする。

案外僕、他人に興味がないんだなあ。

そんな自分に若干引いていると、甘木が口を開いた。

「ごめんなさいね。私、あなたに一欠片の興味もないの。別に嫌いなわけでもないし。かといって、好きなわけでもない。それでもいいならお付き合いしますけど、それじゃああなたもイヤでしょ?」

うわ、あの子結構言うな。普通告白してきた相手にあそこまで言うか?嫌いって言われるより、キツいぞきっと。
あれ?バスも教室も隣りだったヤツの名前忘れるのと、どっちが酷いのかな?

まあいいや。僕、人を好きになったことないから、こういうのよく分かんないし。ああでも僕、告白された時にこんな酷いこと言ったことないな。告白されたことなんて、ほんの数回、数える程度だけど。

でも、一番酷いのは。

「……ぜえったい、輪払だ。」

普通あんな対応しないよ。



「わ、わ、輪払君っ!」

後ろから女子の声がした。

「ああ?なんだ、何の用。」

振り向くと、そこには見覚えのある女子。確か、同じクラス。緑川だっけ?ああもういい、女子Aでいいや。

「あ、ああの、その……」

「んだよ、言いてェことがあんなら、はっきり言いやがれ。」

少し凄むと、女子Aはヒッ、と身をすくませた。

「あの、そのね、その……」

次の瞬間、女子Aは俺が最も恐れている一言を言った。



「私、輪払君のことが、好きですっ!」



「……っ」

瞬間、こみ上げてくる嘔吐感。駄目だ、さすがに、本人の前で吐いたらマズい。

俺は手を口に当てて、聞いた。

「何で?」

「え?」

「何で清純派お嬢様が、俺みてぇな不良を好きになったんだ?」

「えと……その……輪払君は確かに、不良だし、悪いことも沢山してるけど、でも道理が通らないようなことはしないじゃない。カツアゲもパシリも、しないじゃない。徒党を組んで悪さをしたりは、しないじゃない。卑怯じゃないじゃない。小さなところで、優しいところが見えたりして……だからその、なんというか、かっこいいなあって、思って。」

吐き気が増大した。

ああチクショウ、せめて見た目だけで……見た目だけで俺が好きって言ってくれたなら。そこに正しさがなかったなら。そういう浮ついたヤロウ相手なら、俺も吐き気なんて感じずに済んだのに。

コイツの『好き』に、濁りはない。あるのは正しさ。『正義』。

「やめてくれよっ……」

「え?何か言った?輪払君。」

女子Aの問いには答えず、俺は乱暴に女子Aの腕を掴み、引き寄せ、キスをした。思いやりも好意も籠ってないディープキス。純度100%の悪意を注ぎ込む。

「ぷはっ、はっ、うう……」

口を放すと、女子Aが潤んだ瞳で俺を見上げた。

今のがどういう意味だったか、分かってるみたいだ。

グイ、と口を拭う。

「はっ、ふっ、はあ……はい、手切れ金な、今の。」

「ふえ?」

「今ので、この告白は、なかったことにしてくれ。」

女子Aをその場に置き去り、逃げる。卑怯者、と誰かの声が聞こえた。俺の中から、聞こえた。



「うっ、おえっ……げほっ、がはっ」

思い切り吐いた。トイレで。間に合わなかったから、洗面台で、だけど。

黄色い胃液と、大量の唾液が、ぼとぼとと、びちゃびちゃと洗面台を汚す。掃除する人、ごめんなさい。的外れにそんなことを思った。



「あーもう、また吐いてんの?だらしないな。」



パッとトイレの出口の方を向く。やっぱりと言うかなんというか、声の主は和弘だった。

「……うるせぇよ。」

ジャー、と水で洗い流して、口を洗って、起き上がる。

「なに?また告白されたの?まさか、本人の前で吐いたりしてないよね?」

はあっ、とわざとらしくため息をついて、和弘が言った。

ムカツク野郎だ。

「さすがに吐いてねぇよ。耐えたんだよ、偉いだろ。」

「告白されて吐き気をもよおすなんて、どこが偉いんだよ。酷いヤツ。」

僕だってそんなことしないのに。

和弘はそう呟いた。

「大体、人に好きって言ってもらうことの、何が嫌なのさ。吐き気がするなんて、やっぱ君って中二病?あー痛い痛い痛い、痛いよーお母さーん。絆創膏持ってきてー。出来るだけ大きな、人一人包み込めるぐらいのー。」

そのネタは、無表情で言ってもなんも面白くねえぞ。忠告して、和弘に歩み寄る。がっ、と壁にひじ付いて、和弘を見下ろした。

「前にも言ったことあるだろが。」

「そうだっけ?」

和弘は腕組みをして、壁に寄りかかった体勢のまま、顔だけ上げる。無駄に整った顔の、大きな目が、興味なさげに俺を見る。

「じゃあ逆に聞くけどよ、ムカつかねえのか?お前は。」

「は?」

「勝手に好きになられて、いきなり好き何て言われて。」

俺は、何か、ムカツクんだよ。んなの理不尽だろうが。

はっ、と笑って誤摩化した。本当の理由は、言いたくない。まだ。今は。

「_____まぁ覚えてるけどさぶっちゃけ。お前が愛されたくない理由。」

でもさ。でも、考えすぎだよ、お前。

呆れたように和弘は言った。

「病院行った方がいいんじゃない?」

「お前だろ?本当は病院行かなきゃなんねぇのは。」

「は?僕は正常だよ。」

「はいはい、そーですね。」

首を傾げる和弘の肩を叩いて、俺はさっさとトイレを後にした。

教えてやろうか?お前が人の変化に興味がない理由。お前、どうせ気付いてねぇんだろ?

お前はなあ、生きとし生けるものみんな『物』としか捉えてねぇんだよ。

お前が人を見るときは、いつも値踏みするような目で見てる。

普通のヤツがそれに気付かねぇのは、大富豪とか、政治家とかがするヤな感じの『値踏み』とはまた違うからだ。

人の価値を『値踏み』してるんじゃねぇんだ。生まれとか育ちとか家柄とか、そういうものを査定してるんじゃねぇんだ。

言葉にしてみようか?



「どうやったら最短で殺せるかなあ、この人。」



……びっくりしただろ?お前、こんなこと思ってたんだぜ?

生憎、俺は殺意に敏感でな。びっくりしたよ。コイツ、なんて目ぇしてやがる、って思った。初めて会った時。

お前が他人に興味ないのは、他人の変化に興味ないのは、常に別のことに興味向けてるからなんだよ。ある意味てめぇは、好奇心旺盛なんだ。

人のこと、

「『殺せるもの』としか見てねぇくせに。」



やっぱり和弘も、御影ちゃんと同じです。

ちなみにBGMは林檎さんのあの名曲。序盤の所木の台詞で、分かる人は分かりますかね。何にも〜いいと思えな〜い♪