(忍足侑士×天文部員)
7月がやってきても未だ梅雨の余韻を残して、じめじめとした天気が続く。太陽やら湿気やらでじとりと滲んだ汗を、忍足は忌々しげに拭った。
と、窓縁からぼんやりと空を見上げるクラスメートが口を開く。
「今年は晴れるかな、七夕。」 「おー、急にどないしたんや?」
ううん別に、と呟くと薄く笑みを浮かべ、彼女は首を振る。それがなんだかとても切なげに見えて、胸がざわめく。
視線の先の空はどんより曇り空だ。
七夕の日の朝はあいにくの雨だった。ここ数日憂いげだった彼女を思い出すと、どこか自分も憂鬱な気分だったから、忍足は自室の窓辺にそっとなにかを吊り下げた。
「おはよう」 「おはよ、忍足くん。」
教室へ向かう途中に会った彼女はいつもよりも重装備だ。恐らく天体望遠鏡だろう。天文部員である彼女は部活動である天体観測のある日にはこの重装備で嬉しそうに星について語っていた。……そういえば、はじめの頃は変わった奴だと苦笑いしか返せなかった。なんて思い返していれば、頼りなさげな笑顔で彼女は口を開く。
「……今夜、ほんとは天体観測があったんだ。七夕の夜に、夏の大三角を見ようって。」 「ほんなら今日は……、」 「ん、みんな今日は行かないって。」
そういうと、また切なげに笑う。忍足は、自宅の窓辺に吊り下げたものを思い出す。確実ではなかったけれど、今の忍足には彼女を笑顔にすることが最優先だった。
「俺と見ればええやん。」 「でも天気……。」 「晴れるかもしれんやろ。雨もまだ小雨や、望みはあるで。」 「……忍足くん、」
放課後の屋上には、一人たたずむ女子生徒の姿があった。空を見上げては、少し晴れ間の見え始めた様子に小さく笑顔を浮かべる。
と、屋上の扉が開き、その音に彼女は振り返る。
「待たせてもうてすまんな。ほら。」
腕にコンビニのレジ袋を提げてやって来たのは忍足だ。「先に行っといてくれんか」とだけ聞いていた彼女は、差し出されたココアにぱっと瞳を輝かせた。忍足はさり気なく、そういう心遣いができる男だった。彼女の隣に腰掛けると、自分の分のココアの缶をあけて飲み始める。それを真似るように、彼女もひと口飲んだ。
日没までまだ時間があるため、忍足が買ってきたスナック菓子を食べながら世間話に花を咲かせた。ふと、忍足の隣で膝を抱えて座る彼女が、ぽつりぽつりと語り始める。
「七夕に見る星空はね、なんだか特別に感じて好きなの。1年に1度の逢瀬……、切ないけどロマンチックだよね。」 「せやからか。」 「え?」 「ここ最近雨続きやから、えらい落ち込んでたもんなぁ。」 「!?なんでわかったの……?」 「いや、ばればれやで。」
うそ、なんて恥ずかしそうに顔を覆う相手に思わず忍足は吹き出してしまうが、それもまた恥ずかしかったのか「もう!」と怒られてしまった。
今年度初めて同じクラスになり、お互いの存在を認識したのであるが、物静かな者同士(初対面こそ変わった奴だと感じていたものの)苦手意識はなかったが、こんなに話したのは初めてだ。なんてぼんやりと考えていたら、彼女は目の前に設置した天体望遠鏡を覗き、また調整し、覗き……という動作を繰り返し始めた。
空はまだ、ほんのり曇っている。
「……やっぱり曇ったまんまやなぁ。アレが足りんかったか。」 「アレ?」
ピントを調節しながら、彼女が聞き返す。
「……、」 「ね、アレって?」 「…………てるてる坊主や。」 「え」
レンズから目を離すと、ぱちぱちと目を瞬かせた後、彼女は笑った。視線の先では心なしかほんのりと頬を赤らめた様子の彼。
「ねえ、もしかして私のために?」 「〜〜!!」 「ねえねえ。」 「……あれだけ沈んでたら嫌でも気になってまうやろ。そんだけや、そんだけ。」
早口でまくしたてる彼にふっと微笑めば、再びレンズを覗きながら口を開く。
「私、忍足くんって変人だと思ってた。」 「…………は?」
思わず間抜けな声が出る。突然何を言い出すのだろう。
「伊達眼鏡だし、関西弁だし……、」 「いや関西弁関係ないやろ。」 「あはは、ごめんごめん!……でも優しいよね。すごく。」
「今日だっててるてる坊主作ってくれたみたいだし」と付け加えるその声はとても嬉しそうだ。と、そんな横顔を覗き見ていた彼に手招きをする。レンズを覗くと、うっすらと星空が見えた。
「曇ってても星は見えるんやなあ。」 「今日は大気が澄んでるから見えるんだよ。誰かさんがてるてる坊主作ってくれたおかげかなあ。」 「……えらい引きずるなあ。」 「嬉しかったんだもん。」
笑顔を浮かべる彼女。しばらくレンズを覗き楽しんでいた忍足だったが、ふと目を離すと申し訳なさそうな表情を向けた。
「……ほんまに堪忍な。無理やり誘うかたちになってしもて。」 「……?何を謝ることがあるの?」
きょとんとする彼女に続けた。
「正直なとこ、星空が見たかったやろ。ほんまなら帰るところを、俺が引き留めてしもたから。」 「……意外と気にしいなんだ。」 「真面目に言うてるんや。」
女性を無責任に夜に連れ出すような事をしてしまったと、ひどく反省しているようだった。晴れたなら別だったのだろうが、曇り空がより一層罪悪感を募らせたのだ。
ふと、くすりと笑う声が聞こえて、忍足は其方を見遣る。優しく微笑む彼女が、見て、と星空を見上げていた。
「忍足くんは“催涙雨”って知ってる?」 「催涙雨?」 「そう。7月7日に降る雨の事をそういうんだよ。」 「へえ、物知りやな。」 「星にまつわるお話は好きでよく読むから。」
言って楽しそうに笑った彼女は、それでね、と続けた。
「いろんな説があるんだけど、七夕の朝に降る雨は、二人が会えないことを嘆いた流した嘆きの雨だって言われてるの。」 「ほんなら今朝の雨は嘆きの雨、っちゅう事やな。」 「ふふ、そうだね。……でも今は止んでる。」
隣にはいつの間にか、憂い気な彼女の面影は無い。
「きっと、織姫と彦星は今出会えてる頃なんじゃないかなって思うの。……なんて都合よすぎかな?」
心から今の景色に、気持ちに満足しているのだろうと彼女の表情から伺えた。
それは忍足の罪悪感を拭うには充分すぎる程で。
「……俺もそない思うで。」
なんだかどうしようもなく彼女が綺麗に映って、なんとか絞り出した言葉に「やっぱり忍足くんは優しいね」なんて、また綺麗に笑った。
笹の葉さらさら
(笹の花言葉は) (ささやかな幸せ)
(2017.7)
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