Don't remind me. 2



シェスカの元から戻ってくると、廊下でハボックに行き会った。午後から演習が始まるから、向かう途中だったんだろう。自分に気づいた彼は笑いかけてくる。
知り合いに今日はこれ以上会いたくなかった。嘘をつく事になるからだ。

少尉は笑ってくれたんだから、俺も笑い返せと言い聞かせて、エドは口元を上げる。
廊下には自分達二人だけだった。お互い、昔の口調に戻る。それが少しだけ、気分を和ませてくれた。
一週間何をしていたのかと、ハボックに尋ねられ、故郷に帰っていたと嘘をついた。セントラルにずっといたと答える事はできない。
この街で一週間も一人でいたなど、それこそ嘘に聞こえる。本当は、ロイと一緒にいた。夜の間ずっと腕の中に囲われていた。

「故郷はいいよなあ、大将、リゼンブールに帰ったの久しぶりなんだろ?」
久しぶりというより、数年戻っていない。
目をそらしたらハボックにおかしく思われる。顔を上げて、笑みを浮かべて、生意気な口を叩く。それがいつもの自分だ。
「すげぇ久しぶり。向こうは天気も良くてさ。気持ちよかったよ」
嘘をつく事には、いつまでたっても慣れなかった。罪悪感が少しずつ胸に降り積もって、それが重い。さすが嘘は七つの大罪の内の一つに挙げられるだけある。最後には自分のついた嘘で身動きが取れなくなるに違いない。
「そりゃ何よりだ、アルは元気だったか。幼なじみもいるんじゃなかったか。ほら、金髪のかわいい子。大佐が何年かしたら綺麗になるなんて言ってたけどな」
あの人らしいよなと、ハボックは冗談を口にしてくる。それに答えるようエドも笑いながら、アルは元気だったよと答えた。
体もすっかり元通りに丈夫になったんだと、見てもいない事を嬉しげに語る。こうやって本当の言葉を口にする方が少なくなっていく。

「金髪のって。ウインリィっていうんだ。あいつはラッシュバレーにいる。あそこ機械鎧の街だから。そこで修行してるんだ」
その彼女にも連絡を取っていない。さぞかし薄情だと思われているのではないか。ずっとエドの機械鎧を見てあげると幼なじみがくれた優しさを、踏みつけにしているようだった。
「そういえば、こっちもニュースがあるんだ。聞いて驚くなよ、ファルマンの結婚が決まったんだ」
皆で何を贈ろうか話していたところなんだ。一緒に祝ってくれるかと問われ、もちろんだと頷く。アルにも教えてやらなきゃなと、エドは声を浮き立たせた。そう心がけたつもりだった。
偽りの笑みと同じく、相手にどういう風に自分の声が聞こえているか、もはやわからなかった。

「少尉も早く結婚した方がいいんじゃねぇの」
その時は祝いでも何でも奮発するぜ、こんだけ世話になってるしと混ぜ返す。運命の相手がいないんだと、ハボックはぼやいた。
「そんな事言ってたら、皆結婚しちまって少尉が最後になるかもしれない」
「いいや、まだ大佐がいる。あの人が一番、気配ねぇからな。まあ、それも時間の問題だって言われてっけど」
やっぱり俺が最後になんのかと言ってくるものだから、少尉は最後じゃねぇよ、俺が最後にいるから安心してくれと返した。
自分のような人間を好きになってくれる相手など現れるわけがないし、それに彼がずっと好きだから。
ハボックと別れ、エドは一人廊下に残った。

午後の柔らかな日差しが入り込んでくる。影が少しずつ長くなっていく。
夜になるのはきっとあっという間だ。
けれど今夜は彼に逢わなくてすむ。それを喜んでいるのか、悲しんでいるのかもわからなかった。おかしさもここまで来たか、最後は狂って終わるのだろうか?
嗤う気も起きなかった。早く席に戻らなければ。
ロイが手を取る相手は、どんな人間なんだろう。総統府に移ってから、彼の醜聞が影を潜めたのは、決まった相手がいるせいだと噂を聞いた事がある。
俺は何も知らない。

どれだけ夜を共に過ごしても、逢わない間、ロイが何をしているか聞いた事もなかった。彼の不名誉になる事をしていなければ、それでいい。
自分のできる事は少しでも早く、本当の彼を取り戻す。
そうして彼が、誰の手を取ろうとも祝福してみせる。できるに決まっている。
それを信じなければいけない。


ハボックには言わなかったが、まだ旅をしていた頃に一度ロイへ聞いた事があった。
大佐もいつか結婚するんだろうと。
あれは確か自分が十五になってからの事だ。春だったか、夏だったか。季節までははっきりと覚えていないが、東方司令部を訪れた時、彼に聞いてみたのだ。
ロイの時間が空くのを待つ間、どこにいようかと廊下を歩いていると、すれ違った下士官二人組が、あいつも大佐に彼女を取られたって話だ、これで犠牲者は五人目。何人になるか賭けようぜと冗談めかして話していたのを聞いたせいだった。

大佐、そんな事ばっかしてるのか。
そういった類の噂話は自分の耳にも入ってくる事があった。
彼の評価は常に二つに分かれている。将来を期待された才能と、それに相反するような爛れた醜聞。
醜聞なんて偶然でもない限り、聞きたくはない。頼んでもいないのに、わざわざ教えてくれる下世話な人間がたまにいた。
整った外見に地位と名誉が揃っているのだから、何もせずとも女は寄ってくるだろう。
あれだけの男を手に入れれば、自慢にもなる。そういった言葉も聞いた事があるが、自分にはよくわからない。人を手に入れるとか、自慢できるといった発想が。

俺だって大佐が好きだけど、そういうのは違う気がする。
俺が男だから。子どもだからわかんなくてそう思うのかな。

こればかりは、ロイに尋ねるわけにいかなかった。わからない事は聞けば、何だって教えてくれた。
けれど甘い意味を含む話を彼に振るのは照れくさかったし、自分が何も知らないと思って、ロイがからかってくる可能性があった。
大佐が何やってても、どうせ俺には関係ねぇし。早く食堂に行こう。それで何か温かいものを食べよう。
顔なじみの少尉が、食堂で待っていたらいい。大佐は会議中だけど大将が来てるってのは聞いてるはずだから、終わったら会えるだろ。大佐の時間空いたら、誰か呼びにやるからそこで待ってろよと言ってくれたから。
一時間待ったが、誰も自分に声をかけてこなかった。どうやら会議が押しているらしい。

こうやってロイを待つ事には慣れていたし平気だった。約束も取り付けないで、やって来るのは自分だから待つのは当然だろう。
相手は司令官の地位にいる男だ。
ロイはいつも司令部に来る前に電話をするようにと、言ってくれる。
君が来るなら時間を空けて待っていようと。
電話で話して、おかしな態度を取ってこの気持ちが知れてしまうのが怖かったから、必要に迫られた時しか電話はできなかった。
耳元で声を彼の声を聞くなんて、無理だ。二時間近く経った頃に、声をかけられた。

執務室までの廊下を行く。突き当たりが彼のいる部屋だ。再会は三か月ぶり、ロイは変わりなかっただろうか。
重い扉を叩くと、ロイの方から扉を開けて出迎えてくれた、待たせたなと声がかかる、肩を抱かれ中に入るように促された。
これだけ距離が近いと、彼の匂いや体温が感じられて、心臓の鼓動が早くなるのを止められなかった。顔が赤くなっていないようにと願わずにいられない。

だって、こんな風に迎えてくれると思わなかったから。今日はすげぇ緊張する。
顔が赤くなっていたとしても俯けば、ロイにはわからないはずだとエドは思って、床ばかり見つめていた。すると彼は待たせたから怒っているのかと背をかがめて、わざわざ顔を覗き込んできた。
頬がかっと熱くなる。きっと自分は耳まで赤いはずだ。そんなんじゃねぇ、怒ってなんかねぇからと彼の肩を押し返した。
大佐が謝る必要なんてないのに、子ども扱いされているようで悔しかった。そして彼の胸元くらいまでしかない、この身長が嫌になる。
だからいつも自分の顔を見る時、ロイは背をかがめてくるんだ。

ロイとは腕の長さ、足の長さがまず違う。子どもと大人の体格では比較する事が間違っているが、それでも悔しくてたまらなかった。後十年したら、彼のようになれるかと考えても、想像ができなかったから、おそらく無理なんだろう。
こんな男はめったにいないという言葉の意味だけは、わかった。
エドはまとめて来た報告書を、ぶっきらぼうに差し出す。
ロイがそれを咎める事はなく、先に見てしまおう。その方がゆっくり話ができると言ってきた。自分は彼のこういう顔を見たくて、わざと意地の張った態度ばかり取るのかもしれない。
俺は大佐に甘えてるんだ。それに気づくと余計に恥ずかしくて、顔が熱くなった。


椅子に腰掛け、書類を捲っていくロイの表情、伏せた目元。関節の浮き出た手の平、長い指先を、エドはそばに立ってじっと見つめた。
どうにか頬の熱は引いたから、こうやって顔を上げて見る事ができる。

視線に気づいた彼が顔を上げて、どうしたと、穏やかに問いかけてくる。知っている、これは彼の癖だ。自分が黙ったり頼みづらい事があったりすると、いつもそう呼びかけてくる。
「何でもねぇよ」
見てただけ、とエドは首を振った。
「隠し事はよくないぞ、鋼の」
からかうような口調、ここでいつも言い返してしまう。隠し事なんてねぇとか、大佐には秘密だとか。今日は言い返す代わりに彼を見つめた。その彼女はどこが良かったんだろうと思って観察する。
見られるのは苦手だけれど、こうやって見るのは平気だ。
どこがって、全部良かったんだろうな。研ぎすまされた頬のライン。鋭く怜悧な目元。黒髪も暗色の両眼も、よく濃紺の軍服に映えていた。

「あまり見られると照れくさいんだが」
ロイは苦笑を浮かべてくる。途端に鋭い雰囲気が滲むように和らぐ。これには、自分も弱い。手に入れるって、そういう事なのかな。
この笑みや眼差しが自分だけに注がれるという事。好きだって言ってくれたり、キスをくれたりする事を独占できる。 だったら欲しがる気持ちもわかる、俺も欲しい。
俺の全部をやるから、くれよって言ったらどうなるんだろう。彼にとって自分がそういう対象であるわけがないから、築いてきたた信頼関係は、一瞬で壊れてしまう。
拒まれて、軽蔑を受ける。そばにいたかったら、好きだなんて言ったら絶対に駄目だ。
「何か頼みでも?難しい事なのかな」
「違う、そうじゃねぇよ」
どうやらロイは自分が頼みづらい事があって口篭っていると思ったらしい。

俺だって色々考える事あるんだと返すと、私に教えてくれないかと請われて内緒だと答える。言えるわけがない。
「つれない事だ。私は寂しいよ」
「じゃあ、ちょっと教えてやる。見てて思ったけど……大佐って、かっこいいのな」
突然の言葉に、ロイはいぶかしげに眉を寄せて来た。これは怪しんでいる顔だ。知りたいっていうから、考えていた中で言える事を言葉にしたのに。
「君に褒められるとは光栄だが、目的がわからん」
「目的って別にねぇよ、そんなん。大佐、今日文句言われてたぜ。人の彼女取ったって。しかも五人もなんだろ。そういうのよくないんだからな」
顔だけはかっこいいから、そうやって皆騙されんだよと嫌味を混ぜてやる。一年に一度あるかないかの褒め言葉を疑った罰だ。

「部下の文句は聞き慣れている。しかし私の言い分を聞いてくれ。他人の彼女を五人も知らんぞ」
ロイは髪をかきあげて、ため息をついてきた。どうやら自分以外の人間にも何か言われたらしい。
「……信用できねぇ」
私が?と問うてくる。頷けば、酷いなと笑う顔。もう少し近くで話をしよう、来てくれと、ロイは腕を伸ばしてくる。
しかたねぇなと言いながら、彼に近づいた。
「君の耳にも噂は入るだろうが、あんなものは全部嘘だ。私の方を信じてくれ。それに他の男に取られる方が悪いと思わないか」
「取られる方が悪い?」
「取ったのは私ではないがね。手に入れたと思って油断しているからだ」
私ならそんな下手な事はしないと告げてくる。

じゃあ大佐ならどうするんだと尋ねれば、誰にも見せないよう大切に隠しておく、それが一番だとロイは答えた。
隠しておくなんて、そんな事できるわけないのに。自分が子どもだから、大佐は冗談ではぐらしてきたんだ。そう感じて、ロイを軽く睨みつけた。
そんな顔をしないでくれと言う彼の態度。そっちがその気ならとエドは意地になってしまう。
「じゃあ、大佐が結婚する時はこっそりしなきゃいけねぇな。誰にも見せないように」
「結婚か。私はしない」
たった一言。既に決まっている事のように、静かな声で。

数瞬、二人の間には沈黙が落ちてくる。
冗談ではぐらかした上に、こんな嘘つかなくてもいいのに、大佐。俺が子どもだからって馬鹿にしすぎだ。エドは半ば意地になってするだろ。しないわけないだろと言い募った。
こんな言い方は拗ねているみたいだ。いつだってロイの前では態度を上手くつくろう事ができない。
このままではいつか胸に隠した気持ちも知られてしまうかもしれない。

ロイは口の端を歪める。底の知れない笑みを浮かべて、先程の言葉をもう一度繰り返してきた。
「君が寂しがるから、しないんだ」
「何だよ、俺がいつ寂しがったんだ。嘘言わないでくれるか」
そうしてロイは鋼のは子どもだなと、自分の心に火を注ぐような事を平然と言ってのける。
こういう台詞を聞くと、彼ほど皮肉の上手い男はいないと思う。嘘が上手いのかまでは知らなかったけれど。
だって自分の願いを叶えてくれなかった事なんてないから。それにずっと前に、君に嘘はつかないと約束してくれたから。それも大佐の手なのかな。俺が子どもだから、簡単に騙されるんだろうか。

結婚するならいつでもしろよ。アルと二人で祝ってやるぜという文句を、エドは胸の内にしまいこんだ。
本当にそうなったら困るから。
少しでも遅い方がいい。
でなければ彼の全ては、その相手のものになってしまって自分とこんな風に話す事もなければ、顔を見る事もなくなってしまう。
代わりに違う言葉で反撃してやる。大佐が黙り込むようなものがいい。そう考えるが、皮肉の応酬に勝てた試しはなかった。
エドの口から言葉がこぼれる前に、ロイが手を上げてくる。
降参だ、君のそんな顔には弱いと。
自分が子どものように、彼は大人だから引いてくれたんだ。機嫌を直してくれ、君をからかったわけじゃないと甘い言葉が与えられる。
いつだってその繰り返しだった。


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