Don't remind me. 1



夜更け過ぎに、エドは自分の部屋へと戻ってきた。

「今日で終わりだ、外に出せよ」と邸へ帰ってきたロイに向かってそう叫んだ。
七日目の夜で、この暮らしはおしまいのはず。そういう約束だった。明日からは総統府に戻って、そこに自分の日常が待っている。
もしかしたら拒まれるかもしれない。約束を守るかどうかは、男の気まぐれで変わるだろうから。
「何でも俺言う事聞いたろ。今度はあんたが聞く番だ」
言い募れば、ロイが静かに頷く。
「……そうだな」
何故こうやって共にいる事を望む。男が自分に見せてくる感情は執着とも言えるものだった。
自分が秘密を知っているからだけでは、説明がつかない程、深く、重い感情。まるでそれは夜のようだと思う。
送っていこうと、肩を抱かれて促された。


扉に手を伸ばすとゆっくりと開く。先には昏い空が広がっていた。ロイの手を振り切るように離れて、エドは外に出た。
お互い、何も言わない。
痣が刻まれようと、態度も声も全てが同じ。自分を抱く以外は何も違いはないロイ。そして彼が大罪の名を名乗った事はなかった。
数瞬、視線を合わせて、エドはロイに背を向ける。
ここで逃げなければ、また捕まってしまうかもしれない。自分は惑わされているんだ。

錆びついた門を越えて、街外れの道をエドは歩いていく。走っていきたかったが、体がだるくて思うとおりにまだ動かなかった
夜の空気は冷たくても、気にならない。頭を冷ますのにちょうどいい。いっその事、嵐が来てしまえばいいのに。激しい雨と風で、全てを壊してしまえばいい。
ロイが大罪の名を名乗った事はない。それが何だと言うんだ。あの印は刺青の類ではなかった。肌を漆黒に染め変えていた。肌ばかりでなく、ロイの心までも黒く。
だからあれは自分の見知っているロイではない。

正気に還れ。夜毎に抱かれて、甘くて酷い言葉を注がれて。男と二人過ごしてきたせいで、自分はおかしくなりかけているんだ。
七日で終わってくれてよかった。
これ以上続けば、しなければいけない事を全部忘れて、彼の言う事だけを聞くようになってしまったかもしれない。
本当に怖かった。


街中に戻ってくれば、ようやっと安堵の息をつく事ができた。ここまで来ればもう大丈夫だ。捕まる心配もない。そして自分の迷いも消えるはずだ。
一週間ぶりの自分の部屋。ずっと閉めきっていたせいで中は埃くさく、空気が淀んでいた。
部屋を横切って窓を開けると、重く湿った風が入り込んできた。喧騒の音も聞こえる。他の物音を耳にすると、ほっとした。
あそこは自分と彼しかいないような、閉ざされた空間だった。
それに、この部屋の有様を見ていると現実が甦ってくる。本棚に収まりきらず、床にも机にも積み上げられた文献、資料。どれも手に入れるのに苦労したものだ。
全てロイを想って集めたもの。彼を取り戻す錬成陣を構築する為に。手をこまねいている場合ではない、急がなければいけない。
そして決着をつけるんだ。

窓を閉めるとまた無音の世界が帰ってくるが、もう気にする事はない。
コートを脱いで、ベッドに投げ捨てる。借り物のシャツを取り替えたかった、首元も袖も合わない、彼のシャツ。脱ぐために袖を引っ張れば、ちょうど手首が目に入る。
縛られて赤くなっていたはずなのに。残された痕はいつの間にか消えていた。名残を見る事さえできない。
全部嘘か、夢みてぇだ。
エドの口元に自嘲の笑みが浮かぶ。ウロボロスの刻印も。彼に抱かれるこの状況も。
ロイがずっと好きだった。
だからこそ告白もせず、一生胸に秘めたままで終わるのだろうと思っていたのに。それが抱き締められて、口づけられるなんて。
シャツを着替えて、壁によしかかりながら床に座り込む。

まだ眠るわけにはいかない。明日にはシェスカに会って、資料を取り寄せてくれるよう頼まないと。その為にリストを作っておく必要がある。それに銃の手入れをしなければ。この分でいけば、きっと使う事になるのではないか。
後少しだけ休みたいと望み、エドは瞼を閉ざす。視界に落ちてくる暗闇。彼の姿が閃く
。一人でいると寒いもんだな。そんな考えがふと浮かんで打ち消す。

彼を取り戻したら、また一人になる。自分はずっと一人でいるだろうから、寂しがってはいけない。
だって好きだから。俺は大佐が好きでどうしょうもないんだ。彼が好きだと気づいた時、何を思ったか、はっきり覚えている。
絶対にロイに気づかれてはならないと。
ロイが優しいのは、自分が子どもだから。庇護すべき存在だと思っているから大切にしてくれているのだ。それを勘違いしてはならない。

もしもこの想いを知られたら、そばにはいられなくなる。もう笑いかけてはくれない。拒まれ、軽蔑を受けるだろう事はわかりきっていた。
それだけは絶対に嫌だった。告白しようかなど、一度だって考えた事はない。ずっと隠してきたのに、こんな風に触れられるなんて。
現実程、残酷なものはなかった。
エドは閉じていた目を、ゆっくりと開ける。立って、この間の資料を読み返さなければ。この研究も一人ではなく弟と分かち合えば、もっと進むのかもしれない。

ロイの痣について、弟に話そうかと思った事がある。自分たち兄弟の恩人である彼を助ける為なら、きっと協力してくれるだろう。
しかし大学に行きたいと言っていた弟の邪魔をするようで気が引けた。彼にどんな真似をされたか知られたらと思うと、言えないまま来てしまった。
秘密を守りたいなら、一人胸の内にしまって誰にも喋らない方がいい。ロイが戻った時の為に。
弟がやむをえない理由にしろ、ロイを拘束しようとしたり傷つけようとしたら、間違いなく自分は庇う。わずかでも彼を傷つける事はできない。
大佐を傷つけるなんて嫌だ。幾らでも祈るから、そんな事には絶対にならないように。
彼を護りたいと必死で願う夜があった。


翌朝、エドは総統府へと向かった。
珍しく空が澄んだ薄蒼を見せていた。地面に落ちる影が追いかけるようについてくる。髪を纏めるのも、制服を身に着けるのも久しぶりの気がした。
本来なら今日は休暇明けであるはず。疲れた顔をしているわけにはいかない。自分の席があった事にほっとした。さすがにあの男もそこまではしなかったか。昨夜は七日で自分を離すという約束も守ってくれたじゃないか。
そうだ、ロイは無駄な嘘をつかない。席につきながら思う。脅しをかけてくるのは、それを実行できる力があるからだ。
今日はここに来る事ができた。明日は、明後日は。一年後は?
不安が過ぎるのは、彼の言葉をまた思い出したから。

『軍部に残りたいというなら、期限を切ろう』
ロイが最初に言った期限が迫っているような気がした。多分そう長いものではないはず。気の長い性質ではない男が切ってくるとしたら二年、一年?
は、とエドは乾いた笑いをこぼした。一年だというなら納得がいく。
外に出してやるのも今の内だけだという言葉。初めての任務に都合がいいだろうと指揮を執らせてくれたのも思い出を作らせてもらったという事か。
気づいた事実に、心臓の脈が乱れる。髪をかき乱してしまいたい。それをどうにか耐えて、エドは目を瞑った。



昼休みをつぶしてシェスカに逢いに行った。
軍法会議所も総統府の敷地内だ。この辺りにいるかもしれないと目星をつけて探していると、彼女は同僚と連れ立ってやってきた。
三人か。
女の集団に声をかけるのは、勇気がいる。
陰口や敵意には慣れているが、自分を見ての密やかな笑いや小声にはどうにも慣れない。十七という年齢で分不相応の地位につく自分が物珍しいだけだ。好かれるような外見をしているとは思えなかった。

手を上げて合図すると、彼女が周りから抜けて、こちらにやって来てくれた。
時間をつぶして悪いと謝り、自分の欲しいものを手短に伝えた。彼女は何の為に必要なのかと尋ねては来なかった。
仕事の方で必要なんだ、何なら後で書類にして残す、できる限りの礼はすると自分が提示できる条件を伝える。
お礼なんてそんなのはいいです。ここにいるのはあの時助けてくれたからですよと笑いかけてくれる彼女。

ここには数少ないながら、自分の大切な人間がいる。できる限り演習に参加して、足りない経験を埋めようと努力もしてきた。
彼からすれば、それらも遊びのように見えるのかもしれない。
だったら何故軍部に残る事を、ロイは許した。
自分が彼を取り戻す為にそばにいたかったように、彼もまた自分を手の内に置いて好きにしたかったからか。軍属であれば、それが叶うから。

俺のやってる事は、もしかしたら意味ないのかもしれない。少しずつ大切なものが奪われていくようだとさえ思う。
それを避けたければ、彼の目の届かない所まで逃げるしかない。
けれど、決してできない。
ロイが本気で抑えつけてくれるまで、ここにとどまるしかない。あまりに分の悪い勝負をしていると、自嘲の笑みを浮かべるしかなかった。


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