Concubinage 1



次に目を覚ましたのは、そばで物音がしたからだった。
薄っすらと目を開けると、そこにロイがいた。起こしてしまったかと声がかかる。
シャツの釦を嵌めて、軍服を羽織っているところだった、支度を整えた姿を見ていれば、昨夜の事が嘘のようだった。情欲に駆られた目をしていた癖に、今は清冽さを纏わせて、嘘も欲も隠しきっている。

エドは言葉もなく、しばらくロイを見つめた。朝目覚めるとそばにロイがいる状況なんて、過去の自分なら想像もつかなかっただろう。
唇をそっと開いて、目の前の男に問いかけた。
「どこに行くんだよ」
声は小さく掠れていたが、ロイは聞き逃さず答えてくれる。
「仕事だ。総統府へ」
ロイの答えは聞く前からわかり切っていたが、素直にそれを見送るのも癪だった。自分を閉じ込めて、出ていこうとするなんてあまりに勝手だ。

「あんたこそ行くなよ、俺を残して一人で出てくなんて卑怯じゃねぇ?」
「悪いがそれはできない。他の事なら幾らでも聞こう」
昨夜と同じく、ロイは背をかがめて、頬に口吻けて来た。こんな真似をしなくていいと、肩を押し返すと、苦笑を浮かべる。
ロイの態度を真似るのが上手いなと、皮肉を口にしようと思ったができなかった。どんな言葉が返ってくるか怖かったからだ。

代わりに、もっとそばに来てくれと腕を伸ばす。夜とは一変した空気を持つ男に向かって。
飢えたように求められ、嫌だと泣きながら拒んでも、聞いてくれなかった。また夜になれば、求められるのだろうか。
整えた軍服の襟口を、エドは乱していく。ロイがそれを留める事はなく、エドの好きにさせたまま。襟の下にあるシャツの釦を一つ、二つと外した。あらわになる首筋、鎖骨。刻まれた漆黒の刻印。
朝の光に当たって融けてしまえばいいのに。
宿主を変えれば、ロイについた痣は消えるはずだ。彼の体を捨てて、自分に乗り換えないか。
なあ、俺になら何をしてもいいから。

エドは心の内で問いかけながら、そっと痣に触れる。口吻けたかったが、阻まれた。彼にその手を掴まれ、握られたから。痛みはない、柔らかい力。
ロイは自分の指に口吻けを落としてくる。目を瞑る男の顔を見つめた。整った顔をしているものだと思うのは、これで何度目か。
そうして門の辺りに車の止まる音が聞こえた。静かなせいで、外の音がよく聞こえる。離れていくロイの唇と、手。最後に髪を梳かれた。
ロイは、エドの乱した襟元を整えながら出ていこうとする。
きっと叶わない、そう思いながらも、彼に声をかけた。

「……ここにいるのは今日だけだ。夜になったら帰るからな」
要は一週間、総統府に行かなければいい話だろう。
ロイはエドの言葉に頷かず、ただ一言行ってくると答えて、背を向けた。今日も帰さないというわけか。だったらいつまで。
本当に一週間で済むかどうかもわからない。わかっているのは彼の気の済むまで、ここに閉じ込められるという事だった。
今までは夜が過ぎれば離してもらえた。だから逆らわずに、ここへ通ってきたのだ。抱かれるとわかっていながら。
暗黙の了解をこの一年で築いてきた。破るのは卑怯じゃないか?そんな理屈は通用しない相手なのか。

車の音が遠ざかっていくまで、エドは膝を抱え、じっとしていた。
朝陽が朧げに差し込んできたが、この光は何の助けにもならない。夜の暗色を前にすれば無力だった。

室内は変わらず静かだった。外に人の通る気配はなく、一人きりなのだと思い知らされた。何をして彼を待てばいいんだろう。
今まで空いた時間は、全て研究に充てて来た。忙しさに追われていないと不安だった。空白は怖い。余計な事を考えてしまいそうで。
ロイにはウロボロスが宿ったはずなのに、何故ああも変わらないのかなんて事を。だから他で頭をいっぱいにしておきたいんだ。

エドはソファに横たわって目を瞑った。
耳を澄ませると、時計の針の音が聞こえて眠りを誘われる。する事がないなら少し眠ろう。そうしたらもっと体が楽になるはずだ。
眠りはすぐに落ちてきてくれた。思ったよりも疲れているらしい。

昨夜の行為はいつもと違った。痕を残されたのと、二度目を求められたのと。
深く眠ったせいか、夢は見なかった。
次に目覚めて時計を見れば、もう昼に近い時刻になっていた。
時間を無駄に使っている気分になる。こんな風に過ごすのは久しぶりだった。
体はまだだるい。もっと休んだ方がいいと心の片隅で声がするが、いつまでも眠っているのも性に合わない。震えそうになる足をこらえて、立ち上がり窓際に寄る。



エドは窓硝子に手を当てて、外を見る。荒れた庭が映るだけだった。薄く雲のかかった中から陽が見える。朝なのか、夕刻なのかわからない淡い色。
壁によしかかったまま、ずるずると床に座り込む。視界に映るのは古い調度。貰い受けたというこの邸。内装を変えずに、そのまま使っているのか。
ものに執着する男ではなかったら、彼らしいといえる。けれど欲の名を持つ者はどうなんだ。
疑えばきりがない。

刻印という確たる証しがあるだろうに、それでも疑ってしまうのは、彼が自分をどうしたいかわからないからだ。
最初はちょうどそばにいたから遊び道具にされたと思ったが、暴力を振るわれるわけではない。執着を示され、腕の中に囲われて、抱かれる。

まるで両思いってヤツじゃねぇの。
エドは口元に自嘲の笑みを浮かべる。愚かな事ばかり考える。自分をどう想っているのかなんて、問題はそこではない。
彼の肉体が、別の者に支配されているというのが重要なんだ。
以前の彼との違いを見つけられなくても、心を折ってしまわないように。笑みも、物言いも、何もかも全て同じでも。

あれは自分を嵌める為の罠ではないかと思って、必死で違いを探しているのに。見つけられない。
エドは膝の中に顔を埋める。慣れていくのが怖い。そして疑いを抱くのが怖い。
もしかしたら、本当は。ロイがやっている事なのではないかなど。

頭に浮かんだ考えを打ち消したくて、慌てて目を瞑った。彼の名誉を傷つけているのと同じだ。
こんな時、助けてくれと願えば、ロイの手が差し伸ばされた。
だから今度は自分が彼を助ける番だ。
じっとしていてもしかたない。立ち上がって部屋を出ていく。廊下は薄暗く、少し空気が冷たかった。彼のシャツ一枚では肌寒いくらいだ。

外には出られないが、この家の中なら好きに動いていいらしい。そうだ、何か食べるものをと思って、キッチンに行ってみたがあるのは酒だった。普段どんな暮らしをしているか伺い知れる。自分も似たようなものだったが。
「俺を餓死させる気か」
旅をしていた頃、食べるのも忘れて弟によく怒られていた。

今もそう食欲があるわけではない。それよりもまた眠気が押し寄せてきた。ソファに横たわって毛布をかぶって目を瞑る。次に目が覚めると、夜の闇が室内に入り込んでいた事には驚いた。
こんな風に一日何もしないで過ごすなんて、いつ以来か。ロイが病院にいて、目覚めるのを待っていた以来だ。
あの時は食べる事も眠る事もできなかった。
部屋に響くのは時計の針の音だけ。車や人が通る気配もない。静かだった。だから、ここを選んだとロイは言っていなかったか。


静かな場所なら人を隠しても、見つからないから。そして飽きるまで、この場所に閉じ込められる。
もしロイが本気で自分を閉じ込めようとしたら、軍籍を抹消し、銀時計を奪ってくる。ロイの地位なら幾らでも可能だ。
彼の躯を盾に脅されれば、自分は結局従うだろう。
リゼンブールの弟や幼なじみ相手であっても、偽りを口にできる。

引き返せないところまで来ているのは、俺の方なのかもしれない。


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