楽しみがあるというのは実にいい。正直、女性に逢うよりも、数日の内に子どもがやって来るという事実の方が気分を浮き立たせてくれるものがあった。
面倒が少ないせいだろう。
なるべく長く面会の時間を取ろうと決めても、せいぜい一時間程度で終わる。特別だと感じ、どれだけ心配しようと、ずっと想っているわけにもいかない。
そんなつもりはなかったが、あの頃はまだ暇つぶしの領域を出ていなかったのかもしれない。
数年後の自分に言い聞かせたい。幼い態度や言動に惑わされ、振り回され、目を離せなくなっていくのだと。

それから二日後、執務机の電話が音を立てる。昼も過ぎた頃で何か面白いことはないかと思っていたところだった。涼やかな副官の声が知らせるのは、待ちに待った錬金術師の来訪だ。
一つ片付けなければいけない件があったが、後に回してまずは機嫌を伺うとしようか。
銀時計を使用すれば記録が残るが、それを照会してみるとほぼ痕跡がなかった。
まだ十三の子どもだ。賢者の石を探すとはいっても、どのように行うべきかわかっていないのかもしれない。国内に点在する文献の探し方、他の錬金術師に面会を取り付ける術。通常であれば不可能なことを叶えるのに、有用なのが軍の力だ。

助けを望まれれば、手を貸すつもりはある。
しかし相手が声にしてくることはないだろう。まだ数度しか逢っていないが意地を張ったあの態度。この間はからかうのが楽しくてつい抱き上げて、頬を舐めてしまった。
あれがまずかったことはわかっている。それでも悲鳴は可愛らしかった。また聞きたいと、ろくでもないことまで浮かんでしまう。

手を上げるような真似をしないでくれと願った部下の言葉は、軍隊らしいきつい仕置きを取らないようにという意味だろう。
もちろんそんな非道な行いはしない。

助言を与え、その後少しからかって遊ぶだけだ。



軍部内でのお仕置きについて 2



ホークアイに連れられてやってきたエドは不機嫌そうな表情を隠そうとしない。副官に対しては素直に礼を言っているのだから、自分に対してもそういった態度を見せて欲しい。
目付役である彼女は後でお茶を持って来ましょう、今日は私がと付け足す。
子どもを苛めるなと釘を差されたに等しい。苛める気は欠片もない、可愛いだけだと言い訳を打とうと無駄だろう。
ハボックでは自分の行いを止めるのに無理だと思われたようだ。可哀想にとわずかな同情を覚える。気のいい部下はここぞという時に運がない。

副官が去り、二人きり。エドは視線を合わせるのを避けるかのように俯きがちだ。
「よく来てくれた、嬉しいよ。鋼の」
「だって大佐が言ったんだろ。来いって」
むくれた口調が可愛い。
「そうだな、鋼のに逢いたかったんだ。変わりなくしていたか。何か困ったことは?」
「ねぇよ、全然」
あんたの手借りるようなことなんて全然ねぇんだからと言い張るが、あると言っているようなものだ。しかしここで笑ってはいけない、表情を変えず、そうかと頷くだけにした。

「そんなに離れていては声が届かない。ここまで来てくれ」
立ち上がってそばに行ってもいいが、身を翻して逃げるような気もする。久しぶりに顔を見ることが出来たのだから、ここで逃がしては何の意味もなかった。
こちらから距離を詰めようとすれば手の届かない場所まで離れる猫を思い出す。子どもというのは猫に似ているんだなとたわいないことが浮かんだ。
エドに向かって右腕を差し伸ばした。この手を取って欲しいと笑いかけてもやった。


「そう言って俺に変なことするだろ」
エドは両手でコートの裾をぎゅっと握った。幼い仕草を目の端にとどめながら問い返す。
「変なこととは?」
癖でもう片方の手を机に置き、指で表面を叩いてしまう。コツコツという音に、エドの細い肩が跳ね上がる。

なるほど、これもまずいわけか。
子どもの反応を目にして、音を立てるのをやめる。
「……自分の胸に手当てて聞いたらわかるんじゃねぇの」
俺のこと脅したくせにと睨みつける金の両眼は濃く甘く、まるで迫力がなかった。
可愛らしいものだと思うのは、これで何度目か知れない。
「東部に来て欲しかっただけだ。それに約束を破るのはよくない。二週間に一度と言っておきながら三日も遅れただろう」
約束とは守る為にあると告げれば、エドは眉間の皺を深めた。だって電話通じねぇような山の中にいたからとよくわからない言い訳を途切れ途切れ、声にする。
この子どもは嘘が下手だ。それで誤魔化し通せるなら世間はもっと生きやすいと皮肉が浮かんだが、口にはしなかった。
「それについては後で話そう。まずは旅の経過を聞こうか。さあ、鋼のからおいで」
距離を縮めなければ、どうにもならない。

エドは嫌そうに一歩、一歩足を重く進める。どこまでと問われるので、私の手が届くまでと答えた。
そばまで来るのを待つ内に、再び扉がノックされる。応えると、副官がトレーに紅茶と菓子を載せて現われた。
キャンディではなく菓子店で売っているような立派な菓子だった。子どもの為に用意しておいたことは間違いない。
仲良くしているようで結構なことですと何故こちらを見てくるのか。
打って変わった声をして、美味しいわよとエドに菓子を勧めている。座って食べたらどうかしらという言葉に従う子どもの様子を見て、ホークアイと自分の違いは何かと考えもした。
彼女は退室する際、一時間半後に軍儀ですからとわざわざ声にしてきた。
構い過ぎるな、苛めるなと重ねて釘を差される謂われはない。心当たりがあるとすればハボックだ。あの部下が自分の副官に、前回のことをどう報告したのか。
お前は誰の狗なんだと問えば、もちろん大佐の狗に決まってますよ、何言ってるんすかとへらへら笑いながら言うに決まっているが。


エドは目の前の菓子を片付けて、息をつく。
「美味かった……」
食べ終わった子どもはごちそうさまと呟いた。
「ホークアイ中尉が聞けば喜ぶ。君の為に用意していたらしい」
「俺の為に?」
「そう、私の部下も、私も君がやってくるのを待っていたのだから」
ポストカードを送ってくれて嬉しいと付け足す。
思っていた書簡とは違ったものの、言うことを聞いただけましだろう。自分の望む通りに動かせる相手ではない。
「嬉しいって本当かよ」
あんなんで怒ったんじゃねぇのと言ってくるということは、一応気にしていたようだ。怒っていないとエドに返す。子どものすることに腹を立てているほど暇でもなかった。
「これからも送ってくれ、君の居所が知れて安心出来る」
もっとそばに、腕を伸ばして促せば、菓子を食べて腹が膨れて気が緩んだのか、エドは目の前まで歩み寄ってくる。
小さな体だ。囲うには片腕で事足りるだろうが触れてはならない。

「電話を掛けるように私は言っただろう?守らなければ駄目だ」
椅子に腰掛けているせいで自分の方が目線が低く、下から顔を覗き込んでやった。どうやら不満のようで口を強く結んでいる。
「……わかった、次から大佐の言う通りにする。それで、今日は何だよ」
「何だよ、とは。どういう意味だ」
今後、銀時計をどう利用していくべきか教えようと思って呼び出したのだ。使用した記録がほとんど残っていなかったから子ども二人で困っているのだろうと思って。
「だって約束破ったから罰則ってのが下るんだろ。軍だから鞭で叩いたり、そういうの」
鞭?
そのおかしな知識はどこで仕入れてきた。

胡乱げに目を眇めると、変なことされるより俺は痛い方がいいからと言い募ってきた。
二人きりの場所で良かった、そしてホークアイがいなくて良かった。どれだけ蔑まれたか想像に難くない。
「叩けよ、大佐。俺のこと。この間みたいに驚いたりすると思うなよな」
先月、呼び出した時、抱き上げて頬を舐めただけで、ふにゃふにゃした悲鳴を上げて逃げていったが、その件を指しているらしい。

怯える様は面白かった。子飼いの錬金術師として好きにさせてはやるが、それが『際限なく』と思われては困る。少し脅しておこうと思い、ついでにどうすればもっと怯えた可愛い様を見せてくれるか考えて、頬を舐めたのであって他意はない。
だがここで誤解を解くより、勘違いをさせたままでいた方が楽しめそうだ。

「自分からそんなことを言って後悔しないのか」
試しに右腕を上げると、細い肩が強張った。力加減を誤れば、歯が折れるかもしれない。歯だけではなく骨さえも。傷つけるつもりはないというのに。エドは反応してしまったのが悔しいらしい。
「しねぇよ、絶対しないから。早くやれよ」
意固地になり、何度も繰り返してくる。
「君を叩けば私の手が痛む。罰則を科して欲しいなら、他のことにしよう」
「……他のこと」
エドの中で怯えは拡がり、視線が一つ所に定まらなくなる。
「ただし、約束を破ったことを反省するというなら止めておくが。どうする?」
腕さえ伸ばせば囲える距離だ。幼い顔立ち、金の髪、赤いコート、小さな手と全てが見える。この年頃でも小さい部類に入るだろう。叩くなど論外のことだと改めて思う。
「大佐の言うこと聞かなかったのは悪かったけど……止めておくとか、そういうのは違う」
情けをかけてもらう謂われはないと言わんばかりだ。
俺は子どもじゃねぇよ、甘く見るなとまで言うが、子ども以外の何であるのか聞きたい。
「では手を私の前に出してくれ」
舐めるのはエド曰く『変なこと』に当たるなら、他を試したい。今日は囓ってみようか。どんな風に嫌がってくれるか興味深い。
もしもハボックがその行いを知れば、あんた何て真似をしてるんですかと止めただろう。
しかしここは執務室という名の密室。止める者は誰一人としていない。主たる男は子どもに無茶を強いることに夢中だ。


頬は囓れないな。どこがいいかとエドの頭から爪先まで検分した結果、指先にしたのだ。まさか服を脱がせるわけにもいくまい。服から露出している部分でなければ難しい。
紙一重の行いをしていることに気づかなかったのは、女好きゆえに。それを幸運と取るべきか、不運と嘆くべきかはわからない。


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