エドは迷いながらも手を差し出してくる。短く切られた爪、黒炭がついたのか指の先が汚れている。このまま手の甲に口づければ、忠誠を誓うようではないか。
その手を握り締めると、触るなと腕を引こうとする。
手さえ握らせてくれないとは気位の高い淑女か何かのようだ。とどめる声は無視して、ロイは唇を開く。
飴を噛み砕くように強くではない、痛みを与えないように、甘噛み程度なら構わないはずだ。反応が面白くてたまらない。


口の端から覗く糸切り歯を見れば、子どもの怯えは高まっていくばかりだった。牙があるだけではない、表情はまさしく狼のそれだった。
内にある怯えは怖れに取って変わる。
腕を引いたくらいでは離してはくれない。舐められたのはやはり味見だったんだ。指を噛み千切られる。俺は喰われるんだ。叩いたら大佐は手が痛むと言った、自分が傷つかない方法で俺をいたぶるつもりなんだろう。
やめろと怒鳴りたいのに、浅い呼吸を繰り返すだけ。嫌だ、嫌と浮かぶのにどうにもならず、男の唇に指が喰われるのを見ているしかないなんて。



軍部内でのお仕置きについて 3



子どもの手は思っていた以上に小さかった。やはり見るだけではわからないものだ。何事も触れて確かめる必要がある。
抱き上げた時、体は服の中で泳ぎ、機械鎧の手足を負っていると感じさせないほどだった。
唇に当たる指も細い。肉がついていて柔らかい。
大人と子どもの差を、こうして些細な部分から知っていく。
口内に迎え入れ、舌先で爪と指の間をくすぐってやる。指の腹は滑らかで、囓るのは可哀想だと考えを翻した。軽く吸うと、ちゅっと音が立つ。
その音に合わせるようにエドは声を漏らす。見上げれば頬が赤いだけではなく、眦には涙が浮かんでいた。
「……っや、あっ……」
名残惜しかったが指を抜く。唾液で濡れてしまったので唇でぬぐってやった。何も痛いことはしていないだろう。
「やだ、や……っ大佐」
離して欲しいとばかりにエドは手を震わせる。声は前に聞いた悲鳴とは違う類のものだった。
息を乱しながら、嫌だと小さく零す、その様子を見て、ようやくやり過ぎたと気づいたが、遅い感は否めなかった。
まずいと思いながら手を離すと、何故か更に傷ついた顔をエドは見せながら、慌てて手を背中に隠した。

苛めてからかうことは出来ても、慰め方までは知らない。
部下達がくれた忠告は届かなかった。軍に所属する人間とは違うのだからやり過ぎるなとハボックもホークアイも言葉は違うが伝えて来てくれたではないか。


「も、もう……っ来ねぇ、あんたが酷いことするから、俺もう来ねぇからな」
「それは困る」
言い募る声は涙を含んでいた。顔を歪めて金の眼には水が張り、色を濃くしている。
大佐のところに来るのをやめるとエドは言う。前回のように逃げていかないところを見ると、これは本気らしい。逃げていくということは、またここに戻ってくるという可能性がある。しかし踏みとどまって、来ないというのはまずい。
少し遊びたかっただけだと本当の理由を告げるは止めた方がいいだろう。反応が面白く可愛かった。今も可愛い。
「君が来てくれなければ困るんだ。私の方からは探しに行けないのだから」
他の軍人の元へ流れては盗られてしまう。東部の端で見つけた時から、この錬金術師は自分のものだ。

銀時計の有効な使い方を教えてやろうと思ったものを何故こうなる。子どもが罰則がどうこう言ってきて、それに乗ったのがまずかった。
おかしな声を出してしまったのが余程恥ずかしいようだ。エドが怒鳴ることはない。混乱しているのか同じことを繰り返す。もうここには来ないと。

「困るって大佐は言うくせに。俺に変なことする……」
殴られた方がましだ。こんなものは罰にはならないと。
手を上げる気は元よりないのだと、そこから説明すべきなのかと東方司令官こそ頭を抱えたくなった。
総統府の奴らに、若造と裏で嗤われているが実際そうかもしれない。子どもの機嫌を直す方法を知らず、困り果てているのだから。
触れてもいいものか迷いながら、エドに向かって腕を伸ばす。腕に触れると肩が跳ね上がったが、振り払われることはなかった。それに内心、息をつき、自分が悪かったと謝る。
椅子に腰掛けてエドを見上げるこの姿勢には飽きている。しかし立ち上がれば、余計に脅かすことになるだろうから我慢しなくては。
「約束を破ったからといって殴るような真似はしない、君は子どもだ」
子どもという言葉にエドの眉間に皺が寄り、俺は子どもじゃないからなと不思議なことを言い出す。そのおかげで、声に勢いが戻って来たようにも感じた。
「……電話掛けるの、遅くなったのは俺が悪いけど。俺にこういうことする大佐もよくない」
酷いことをするなと睨みつけられる。

エドにとっては舐めたり、指を咥えることの方が暴力よりも酷いことに当たるわけか。からかって遊んだだけのつもりが、相当やり過ぎだったらしい。少しくらい味見をさせてくれてもいいだろうと浮かび、何を考えているのかと己を戒めた。
泣かれて困るのは私の方だ。

可愛い悲鳴を聞くのが楽しくとも、酷いことと取られて嫌われては敵わない。挙げ句、余所へ行かれては何の為にリゼンブールまで足を運んだのかわからなくなる。
腕に触れていた手を柔らかい頬へと移動する。指先に返ってくるのは、あたたかい子どもの体温。
「私は良くない男か」
その通りだとエドは頷く。当然じゃないかと言わんばかりだ。
「だって大佐、俺の指、噛み千切るつもりだったろ」
「……いや?」
子どもではないという発言に続いて、今おかしなことを耳にした。否定すれば、じゃあ何で舐めたんだと問い返されるが、構いたかったからだと答えたら怒るだろう。
指を噛み切られると思い違いをしていたなら、殴られた方がましと感じるはずだ。
指先で頬をなぞると、くすぐったそうに顔を振る。触りすぎだ、俺のこと喰おうと思ったってそうはいかないんだからなとまで言う。
……喰う?

訝しげに目を眇めると、そんな顔したって怖くねぇよと睨み返されるが、別に怖がらせようと思ってやっているわけではない。
目の前の錬金術師こそ、どこまで本気だ。獣ではなく人なのだから、司令部内でそんな真似をしようものなら、十三階段を上る羽目になる。
「待て、君は思い違いをしている」
そんなことはないと間髪入れずの否定。エドの勢いは止まらず、制することは出来ない。怖がった分だけ言いたいことを言ってしまおうという気ではないか。
怯えではなく、興奮ゆえに頬が赤くなっていく。
「この間、舐めたのだって味見じゃねぇのか。人間って旨くねぇんだからな。雑食だから、肉もくせぇんだからな!」
あっけにとられて返す言葉もなかった。
「俺の指がなくなろうと大佐には大したことじゃねぇのかもしれないけど、駄目だ」
やらないからなと言われてもどうすればいい。
発想の凄さを思い知った結果、目を見開くこととなった。腹筋が引き攣り、口角が上がる。ここで笑ってはいけないというのに抑えられない。
「……は、は。く」
自分だけではなく、誰が聞いても同じようになるはず。

声を止められたのは、笑うなんて酷いというようにエドが再び顔を歪めたからだ。そろそろ静めなければと唾を飲み込むと喉が鳴る。タイミングが悪い。
これでは本当に子どもの肉を欲しがっているようだ。
罰則として指を噛み千切るなど、下手な暴力より怖ろしいことをよく考えつく。つまりそんな真似をする人間に見えているということか。
「笑うなよ……何なんだよ、大佐は」
呟く声に対し、どう答えよう。

確かにこれは自分が悪かった。やり過ぎてから反省しても遅いのだが、今回だけは許してもらえないだろうか。
エドが軍人というものを誤解しているように、子どもの扱いには慣れていない。むしろ初めてといっていい。
「笑ったことについては悪かった。指を千切るなど、そんなことは決してしない」
これから先もと付け加えると、じゃあ何でと、もう一度同じ問いかけを落とされた。構いたかった、からかいたかった、可愛くて遊びたかった。どれも正しいが、答えとしては不適切だろう。

椅子に座ったままでいることに飽きというより、限度がきているので、立ってもいいのかと尋ねると、駄目だと拒まれた。
まずは答えてからだと手厳しいことを言う。子どもの心を解きほぐす答えを口にしなければ腰を上げることも許されないらしい。
「そうだな、私は寂しかったんだ。電話をくれと言っても鋼のは嫌がっただろう」
寂しい?と疑わしげにエドは眉を寄せる。寂しいなど嘘ばかりと思っているようだ。
「銀時計を持った以上、軍の規則に従わなくてはいけない」
連絡をするのは当然だが、その声を聞きたいという気持ちがある。寂しくさせてくれるなと請う。
「俺の声なんて聞いたって、意味ねぇだろ」
大佐は忙しいんだからというエドに、君とのことは別だと返した。
「君は私の錬金術師だ、この部屋で言っただろう?」
忘れたかと、今度は自分が問い返す番だ。すると、忘れてないとエドはそっと答える。

薄く開いた唇、金の睫毛、こぼれそうな眸。頼りない肩を見れば、この腕に抱き上げたいと浮かぶ。小さく柔らかい体の感触を確かめたいが、今日のところはやめておかなければ。これ以上、無茶をしてはならない。
二週間に一度の電話、一か月に一度、書簡を送るように命じたのは心配しているからだ。四六時中想っているような余裕はなくても、一番に気にかけている。遊びで済む女性とは違い、この子どもは特別だった。
その不器用さゆえに、心配しているという一言で済むことを気づかない男は頬を傾け、エドの顔を下から覗き込む。
気まずそうに視線をそらす仕草が可愛い。

指を噛み千切られると、思い違いをしたことには恐れ入った。世間知らずなのは、リゼンブールのような場所で暮らしていたせいか。もしくは錬金術以外のことを学んでいなかったせいか。
まだ十三だ。
世間の汚いことなど知らなくていい。私の錬金術師になるなら庇護を約束しようと銀時計を渡す時に伝えた。言葉の通りにそれを実行していく義務がある。からかうのはほどほどにと思っても、次に訪れた時、自制できるかはわからない。
「酷いことはしない、傷つけるようなことは絶対に」
「……嘘だ。大佐の言うの嘘だ。俺のこと脅したろ」
俺の指、好きにするつもりだっただろうと責められる。この程度で傷ついた顔を見せる子どもを好きに出来るわけがなかった。
「ではどこまで許される」
わずかでも触れてはならないと戒められるのはきつい。


何故触れたいのかと反対に問われたら、どう答えるべきか。明確な回答は浮かばなかった。望みがどんな感情によって起因するものか、この時はまだ考えられなかったのだ。
エドは迷うように唇を開いては閉じる。早くその声を聞きたかったが、焦らせてはならない。瞬きする度に睫毛が揺れる。甘い金の両眼で何を想っている。

腕を伸ばし、エドの左手に触れる。
「大佐の手って冷てぇの」
この体温の高さなら、そう感じるかもしれない。
嫌かと問うと、嫌じゃないと睨みつけてくる。幾ら睨んで来ようと可愛いだけなので止めてやった方が親切ではないか。これで怯む人間がいるなら見てみたい。
余計なことは口にしない方がいい。嫌ではないとせっかく言ってくれたのだから。
「この程度なら許してもらえるのか」
重ねて問うと、大佐がどうしてもしたいならという意地を張った返答が与えられる。
「……舐めたり囓ったりするのは嫌だ」
食い千切られるって俺、本当に思ったんだからなとまで言われる。抱き上げるのも駄目だと禁じられ、理由を問うと、窓から落とされては敵わないからだとエドは言う。危うく笑いそうになったが、どうにか堪えることが出来た。


相手は十四も離れた子ども。笑えば馬鹿にされたと思うに違いない。そうではなく、可愛いさゆえにと理解してもらうのは難しいことだ。
「次からは私との約束を守らなければ、鋼の」
きつい声にならないよう努めて話しかけると、エドは首を縦に振る。
「……わかってる、あんたにきちんと電話するし、葉書だって送る」
葉書ではなく、軍部に対するものなら報告書の態を取るのが普通だが口にせずに置いた。一度にではなく、少しずつ教えていくべきだろう。

既にこの頃から子どもへの甘さは顔を出し始めていた。心を攫われる瞬間がいつなのか気づく人間などそうはいない。
幼さが珍しく、発想や言動が予想もつかず、それが楽しかった。出来る限り守り、助けてやりたいと願う心とは裏腹に、泣かせる行いばかりをしていくことになる。それもまだ知らないことだ。

「ではそろそろ立ち上がることを許して欲しい。肩が凝って限界なんだが」
哀れみの心を持っている者ならば、承諾を返してくれるだろうに、駄目だと拒まれる結果となった。曰く、大佐が何するかわからないからということらしい。よく動く口を見ていれば、また構いたくなっていく。
けれど今日ばかりはおとなしく従っておいた方が得策だ。話すべきことは多くある。本題にすら入っていない。
伝説に近い代物を探すのだから、軍の力を用いなければまず無理だ。試しに紹介状を書いてやるから他の錬金術師へ話を聞きにいくことを勧めてみよう。
行っても教えてくれるわけがないというエドは、軍部の大きさを知らない。相手の口を開かせる術まで私が教えていってやる。


軍部においての罰則は厳しい。訓告、降格、懲戒。裏では暴力が用いられることもあるが、子どもにそれを当て嵌めることなど許されない。
仕置きはせいぜい甘噛み程度。
東方司令官がその有様でどうするのかと言われるかもしれないが、執務室は二人きりの密室。誰にも知られず、気づかれる心配はない。そうして心を落とし、蕩かしていくのは男の方だ。


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