「そろそろ大佐に電話する頃じゃないの、二週間おきっていうけど、あっという間に来るもんだね」
「……そうだな」
「電話しないの?兄さん」
ちょうど角のところに電話ボックスがあるよとアルが指し示す。夕暮れ時で辺りにいるのは帰りを急ぐ人間。ボックスの中は空いていて、誰も使っていない。沈む夕陽に染められ、石畳までがオレンジ色に見えた。
「明日する」
「昨日もそう言ったよ。どうせすぐ終わるんだから、電話掛けちゃえばいいじゃない。報告も軍部の仕事の内なんでしょ?」
そりゃそうだけどと、口の中でもごもご言うと、何がそんなに嫌なの?大佐ってやっぱり厳しい人なの?と心配をされたので、違うと慌てて首を横に振った。
「だって……だって俺、忙しいんだ」
言い訳に窮して、おかしなことを口走ってしまう始末だ。


一体、何を持って忙しいというのか。そう聞き返される前に足を速める。待ってよ、兄さんと弟の声を背に受けながら、エドは宿まで逃げ帰った。
電話を掛ける時間もないほど、忙しいわけがない。
これといった収穫もなく、今日も図書館で時間を潰すだけになってしまった。
大佐のところに行けば、何か良い案を教えてもらえるだろうか。ここから東部までなら列車で半日もかからない。
しかしどう頼めばいいのかがわからない。

二週間に一度電話するという約束でさえ守っていないのに。いや、違う、少し期限が過ぎてしまっただけだ。
明日、する、明日、大佐に電話する。
夜更け過ぎ、エドは宿の堅いベッドに潜り込みながら胸の内で繰り返す。三日遅れたのは何故だとロイに尋ねられたら、電話の通っていないところにいたと言えばいいだけの話だ。ものすごく田舎にいたんだと言い張るんだ。
書簡を出すようにという命令の方は守った。何を報告したらいいかわからなかったので、滞在していた街でポストカードを買い、生きてるとだけ書いて投函したのだ。
俺は間違ってない。

大佐のことだって相変わらず信用してない。
それなのに受話器越しに声を聞いただけで心臓が騒ぐのはどうしてなんだろう。


軍部内でのお仕置きについて 1



翌日は起きた時から気が重かった。ロイに電話を掛けるのを延ばせないからだ。窓の向こうからは朝を知らせる小鳥の声が聞こえ、やけに耳に障った。
冬の終わりが近いことを喜んでいるようだ。俺は喜ぶことなんて何もないのに。
「朝からぴいぴい言いやがって! どっか行っちまえ」 
「兄さん、小さい相手には優しくしないと」
窓は嵌め殺しになっているので開かない。部屋の中から鳥に対して文句をぶつぶつ呟いていると、弟に止められたが、小さいという言い方に引っかかった。
何だよと問うと、別に何もと首を横に振ってくる。アルと喧嘩をしたくないので追求はしないでおこう。



宿の一階に降りて朝食を片付けて、兄弟揃って外へと出かける。
まずは図書館に行って昼過ぎに司令部に電話をすると言えば、駄目とあっさり首を振られた。
これ以上先延ばしに出来ないとのことだった。昼過ぎになったら夕方電話すると言うに決まっていると正論を喰らい、逆らいようがない。
これではどちらが兄で弟なのか。

電話ボックスに押し込められて、僕はしばらくそこら辺を歩いて来るから、大佐とゆっくり話すといいよと気を遣われる。
二十七の男とゆっくり何を話せというのか、いっそ教えて欲しい。
狭いボックスに一人立ち尽くしていてもどうもならない。これではまるで拗ねているようだ。


エドは唇をぎゅっと結び、右手に受話器を取り、左手をのろのろ持ち上げて直通のコードを回していく。
大佐、留守にしてるとかねぇかな。そうしたら電話したんだけど大佐いなかっただろと言い訳が使えるのに。
ここまで来て、往生際の悪いことを考える。祈りは空しく、しばらくするとロイの声が耳に聞こえて来た。
誰かと問う声に答えなければいけない。
「……俺だけど」
国軍の将官に対して、この物言いはさすがにないと思う。しかしロイはそれに関して何も言わなかった。厳しいのか甘いのか。信用していいのか、気を許しては駄目なのかわからなくなるからやめて欲しい。
「久しぶりだな、鋼の。私との約束を守って。感心だ」
「そういう子ども扱いやめろよ」
ロイは一瞬、息を飲むように黙った。これは笑いを堪えているに違いない。子どもが何を言うのかと思っているのではないか。
「気に障ったなら謝ろう、ところでそろそろ司令部に来る気はないかね」
何をしにとは問い返せなかった。手詰まりなのを気づかれたのかもしれない。
銀時計という大きな力を与えられても使いこなせるだけの経験がなかった。まだたったの十三なのだから。
この男の元へ行けば、何からの道を示してくれるのだろうか。信用できないと思いながら、困った時にすがろうとするのは都合が良すぎる気もする。
でも図書館にばかり通ってもどうにもならない。
大佐のところに行くと、ここで素直に頷ける性格ならば苦労はなかった。行ってもいいと言うわけにもいかない。
黙り込んでいると、鋼のと低い声で銘を呼ばれる。

「この間のことを私はまだ覚えているぞ。可愛らしい悲鳴を上げるような真似をされたくなければ早く来るといい」
「なっ……!」
何だよ、それ。
まるで昨日の天候を話すかのような心安い口調で男は脅迫してくる。
熱い舌で頬を舐められたことがまざまざと甦って、慌てて手の平で擦った。
「バカなこと言ってんじゃねぇ」
声が上擦る。動揺を表に出せばつけ込まれるだけなのに、上手く隠すことが出来ない。真鍮の受話器を握る手に力を篭めた。顔がやけに熱い。春が近いとはいえ、まだ暖かいわけではないのにどうして。
「馬鹿なこと?悲鳴を上げたのは私ではなく君だろうに」
この男には口では勝てない。そして眼前の赤い電話を睨みつけても無駄だ。これ以上、他のことを要求される前に従った方が利口というものだ。
「……っわかった、もういい。行けばいいんだろ、行けば!」
悲鳴なんて上げていないと言いたいところだがそれでは嘘になる。ひいっとか、ふぎゃっとかいう情けない声を立てたことは記憶に新しい。
ここは男の望みを聞き入れるしかなかった。脅迫という手段を使ってきたのだから、それは望みというより命令と言っていいかもしれない。
「イーストシティで待っている。逢いに来てくれ。鋼の」

それを潮に会話は終了。大佐の馬鹿、アホ、間抜けと心の内で罵りながら、エドは電話ボックスを出る。十分くらい経った頃、鎧の騎士が角を曲がって、こちらに戻ってくるのが見えた。
「あれ、もう終わったの?僕、早く戻ってきちゃったと思ったのに」
「大佐と話すことなんてねぇよ……それよりイーストシティに行くことになった」
アルは本当に俺が大佐とゆっくり話すと思ったらしい。アルなら大佐と十分でも二十分でも話せるのかもしれないけど俺は無理だ。
「いいんじゃない、大佐きっと助けてくれるよ」
僕らじゃどうにもならないもんねとあっさりと弟は認める。

力や経験がないことが悔しい。己の非力を、大佐に八つ当たりすることで埋め合わせしよう。
宿を引き払い、駅に向かうまで、大佐の馬鹿と五十回は繰り返した。執務室で抱き上げられ、頬を舐められたことまでその都度、甦ってくる。
相手のペースに嵌っては駄目だと戒めても、結局、ロイの思う通りになってしまった。
せっかく軍の力を借りられるようになったのに、どうやって賢者の石の手がかりを探していいかわからない。俺が困ってるのを見透かされたことが悔しくてたまらない。
十四も上の男にはやはり敵わない。
自分の態度は最悪なのに、それに怒りもせずに逢いに来てくれと願うその真意は読めなくても、信用できないと思い込むのはそろそろ無理があることにも気づき始めていた。





イーストシティまで逢いに来て欲しいと望むと、苦虫を潰したような声ではあったが、わかったと返答が受話器から聞こえた。二、三日の内にやってくるだろう。
軍部はある種、閉鎖社会だ。皆が同じ服を身に着け、規律を持って仕事をこなしていく。あの子どもはそれを破ってくれる存在であった。
受話器を置いた後、ロイは窓の向こうに視線をやる。
やってくるまでに、机の上にたまった書類を少しでも片付けておかなければ。なるべく長く時間を取ってやりたい。
前に訪れた時、腕に抱き上げたことを思い出す。あれは少しからかいが過ぎたかもしれない。警戒して距離を縮めて来ないのではないか。
まあいいと思い直す。逢ってエドの態度を見てから考えるとしよう。
一年前、東部の端まで迎えに行ってよかった。
イシュヴァールにほど近い区域へ近づくことに嫌悪を覚え、行くべきかどうか迷ったが、質のいい錬金術師を手に入れるべく向かったのは正解だったわけだ。


二週間に一度の電話の他には、一か月に一度、書簡を送るように命じたが、届いたものには驚かされた。
報告書の態を取ってくるかという予想は外れ、滞在した街で買い求めたのだろう、湖の絵が載ったカードには生きていると一言だけ。
そっけなさに、エドらしいと苦笑が湧く。
住所が定まっていたら返事を出せるのに残念ですねと、副官は小さく笑った。例え送ったとしても受け取ってくれないはず。
警戒心に満ちた態度から、自分はまだ信用に値する男ではないのだと伝わってくる。
やはり舐めたのはまずかったか。子どもらしい白い頬は舐めたら美味そうだと思い、他意はなかったのだが。柔らかい皮膚は囓れば簡単に痕がつくに違いない。

親友の娘は別として、今まで子どもなどうっとうしいだけだと思っていたというのに。
あの錬金術師は本当に特別だった。
ああまで年の離れた子どもと知り合うことは、この先ないだろう。だからこそ出来る限り守り、助けてやりたいと願う心とは裏腹に、泣かせる行いばかりをしていくことになる。

子どもの相手に慣れていない大人の男はつくづく厄介だった。


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