Fight 7



思い出したところで、しばらくは逢えない。空しいだけだ。ならば今は忘れてしまえと自身に言い聞かせながら、ロイは軍靴の音を響かせ、執務室へ向かった。当直の兵士しかいない司令部は、いつもより静まりかえっている。他の音が聞こえず、思考を深い所に沈めていく。だから余計に君を思い出してしまうのか?
自分には愛しい相手がいる。聖堂を歩くこともなければ、神父の前で誓うこともできない。相手は幼い子どもだ。名と、その銘を思えば、純金の眼差しまでが甦ってきた。
好きだ。そして誰より愛しい。
好きだ、などと初めて恋を知った若造のようなことを思う、自分の溺れようはよくわかっていた。これは一生続く感情だろう。

家族になろうと告げて、あれからエドは十六になった。口づけて、躰までも奪ったが、許してくれた。
兄弟が望むものを取り戻せば、銀時計も必要なくなる。エドは年頃の少女を想い、十四も上の男と家族になるのは益体もつかないことだと考えるかもしれない。
北方に旅立っていくエドを見送る時、中央の街角で暖かな言葉をくれた。
「俺は大佐の錬金術師だから、そばにいて借りを返していってやる」と。
約束は繋がっているのだとあの時に知った。
けれどエドにとって、そばにいるというのは軍属として銃を取るという意味だ。
それくらいなら故郷で穏やかに暮らして欲しい。君が許してくれるなら、逢いに行きたい。それでは駄目か。鋼の。
その方法では駄目か。


夢はそこで覚めた。東方の頃の記憶と懐かしさが残滓となって脳裏に漂う。握り潰すようにロイは腕を上げ、頬骨に落ちた髪を掻き上げた。
喉が渇いていた。眠る前に呑んだ酒のせいか。

エドを直轄府に奪い取られたのは、たった一年前のことだというのに、随分と時が過ぎたような気がする。濃青の制服を身に着けた彼を初めて見た時、銀時計をくれてやったことさえ後悔した。
「俺のこと使ってくれないだろう」とエドは言う。銀の鎖が繋がっているのは直轄府だ。
あんたを誰にも跪かせないと。たった一つの望みだとでもいうように、エドは繰り返してきた。何度その言葉を聞いたか。
ようやっとあの子どもを取り戻せる。代償は少なくなかったが、構うほどでもなかった。
自分の手元から離れ、制服を纏い、硬い表情を浮かべたエドを見る度、この手の中に必ず取り戻すと決めていた。

ロイはソファから身を起こす。邸に帰ってきて、酔いもしない癖に酒を浴びるように呑んだ。チェストに制服と封筒がおいてある。封筒には六芳星に絡み取られた獅子の紋。直轄府からのものだ。書類を手に掴み、目で追っていく。
自分の希望どおりの事柄が記されている。時間をかけ、何とか剥ぎ取った。
直轄府からの除名。国家錬金術師の資格を剥奪。事実上の降格処分だ。これで手元に置ける。
エドはただの一般兵ではない。すぐに軍を辞めさせることは不可能だろう。折りを見て、東方司令部に飛ばして、除隊にする。ある程度の時間はかかるが仕方ない。性急に事を運んで仕損じるよりはましだ。
あの子どもが望むのは地位でも金でもなく、戦う為の立場。全て自分の為だと知っている。
命を捨てようとしないで欲しい。その命をいっそ与えてくれないだろうか。そして共に生きることができるなら。
だがエドは故郷に帰ることを承諾しない。銃を離そうとはしない。
ロイは片手で目元を覆い、隠した。伝える言葉を知らぬ自分が、酷く無力だと感じた。

邸に呼び出しても来ないかと思っていたが、予想に反してエドは抵抗も見せず、おとなしく従った。
扉の前で立ち尽くすエドは軍服を身に着けていた。いつまでたっても、その服装には違和感がある。赤いコートに、黒の上衣という姿をずっと見ていたせいで。
一つに纏めた金の髪が、濃青に散っている。暗がりでもわかるほど顔色が良くない。それが気にかかった。不自然な白さだ。どこか悪いのかと尋ねても言うわけがない。
昔から自分に本当の気持ちを告げてきたことなど、そうはなかった。意地を張るその心をどう解きほぐしていいか見当がつかず、甘やかして来た結果がこれだ。思えば、エドが心を明かしてきたのは、中央のあの街角が最後だった。
それが易々と直轄府に身柄を取られようとは。自分はもはや推挙しただけの存在であり、子どもへの命令権を奪われたに等しい。いつまでも手をこまねいているつもりはなかった。
唯々として従うのも、ここまでだ。軍服を纏った姿を見るのも、そろそろ終わりにしようか。




通された廊下。眼前の男の背を見ながら、エドは黙ってついていく。
部屋の空気は冷えていた。この男の住まいは人の住んでいる匂いがしない。自分が共に在っても、この空気を暖められないのではと思った。
話があるとのことだったが、決して良い方向のものではない、それくらいの予測はつく。聞きたくないと逃げても、一時しのぎに過ぎない。どうせ知るなら早い方がいいと考えて、この場を訪ねた。

ロイの宣告は、前触れもなく突然だった。エドが逃げ出す隙を与えないように。
「先に君に話を通しておいた方がいいかと思ってね」
薄く笑みを浮かべて口火を切ってくる。簡単に内心を読ませるような男ではない。何を告げるつもりなのか、まだこの段階ではわからない。
エドは続く言葉を待った。嫌な予感が胸中を走ったが、表に出さないよう努めた。隙をつくるな、そう言い聞かせ、ざわめく気持ちを抑える。
「直轄府から言われるだろうが。来月の末には『鋼の錬金術師』の任を降りてもらうことになる」
沈黙が落ち、部屋にはどんな物音もしない。自分の心臓の音が、ロイにも聞こえるのではないか。

彼は手にあった書類を全て、エドの前に落とし込んでくる。手を伸ばし拾うこともできなかった。白い紙片が一枚、一枚床に落ちていくばかりだった。
内示の段階だが、辞令はもはや決定事項だ。子ども一人が足掻いても覆せるものではない。
エドは落ちるにまかせた紙を、ただひたすら見つめる。どれだけ立ち尽くしていただろう、数瞬か、数刻か。時の流れすらわからなくなるほど、自失したことは久しくなかった。いつまでも、こうしているわけにもいかない。
動けと自身に命じ、エドは腕を伸ばして床に落ちた一枚を取った。
上質な紙には透かし紋。六芒星に絡まる獅子。間違えようない直轄府の印だった。彼の手から渡された以上、偽物であるはずがなかったが、内容をすぐに信じることはできなかった。

まだ利用価値のある自分を手放すなんて。嘘だと思う心がとっさに湧くが、証を突きつけられれば、否定する声は出なかった。喉と唇が、からからに乾いて痛いくらいだ。嫌な予感はこれだったのかと、ようやっと思い知る。
彼が何をしたのか、怖くて聞けない。自分はこの男にどんな無茶をさせた?
ロイは負った労苦を悟らせることなく、無造作に言い放つ。
「辞令だ。君も軍人なら聞き分けてくれるだろう?」


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