Fight 8



エドは憎しみを覚えたかのように、男を睨みつける。その程度で怯むような男ではないとわかっていたが、せめても。
俺のことを軍人だなんて。口だけだろう。露ほども思っていないくせに。大佐がここまでやるとは予想していなかった。そう考える俺の方が甘い。いつまでたってもこの男には敵わない……。
「じゃあ、どうなるんだよ。これから先」
「私の旗下に入ってもらうことになる」
息を吐くように、エドの口から嗤いが漏れた。
「今でも、あんたの狗みてぇもんだろ……いいじゃねぇか、俺がどこにいたって」
自分のことを、誰もがロイの間諜だと思っている。
それに総統府でロイが共に散策していた女性。自分は彼のものだが、彼は自分のものではないのだ。黒い髪も、昏い両眼も。整いすぎた顔も。静かな笑みも。掠れた声も。いつか、ああやって他の誰かの物になる。
俺を故郷に帰して、それで家族になってくれるとか、違うだろ。そんなの。嘘だろ。

そばにいたい。
束縛を好む己の性根、閉塞した世界を望みたがるのは錬金術師の性質ゆえか。そんなものにロイが縛られるわけがない。
「狗と言うなら、何をしようと私の自由だろう」
一歩、一歩ロイは距離を詰めてくる。背後は壁だった。逃げる先はなかった。
「……俺のこと、どうするつもりだ」
幕僚に置くなど形だけ。彼が自分を使うはずがない。だからこそ直轄府に身を置いていたのだから。
問いつめる声が震えた。
「東部に戻ればいい。リゼンブールに行くのもいいと思うが。随分帰っていないんだろう?懐かしくないかね」

弟の体を取り戻した時、ロイのそばにいる為に軍に残ろうとした。
だって俺言っただろ。大佐の錬金術師だから、そばにいるって。けれど彼は軍は辞めた方がいいと否定した。
どこにいても、君は私の錬金術師だ。弟と共に故郷に帰れ。許してくれるなら、逢いに行こうと。
そんなのは家族とは言わない。十三の頃は何もできなかったけれど、今なら役に立てるのに。
「俺に、そこに行って何しろって言うんだよ。あんたは」
東方司令部なら彼を慕う下士官も多い。いわばロイのホームグラウンドだ。あそこなら守れると思ったんだろう。
帰ったところでどうなる。彼のそばを離れて、逢いたいと望んだ時に逢うこともできない。声も聞けず、顔も見られず、それが一生、続くのだ。捨てないでくれと、すがればいいのか。ただの子どものように泣いてしまえば楽になれるのか。
ロイの意思を翻す術が自分にはなかった。想いも、身も、行き場を失くしたくはないのに、喪失を埋める手段を知らない。
「直轄府に身を置く以外だったら何だろうと構わんよ、鋼の」
嘘だ。何もわかっていないのはロイの方だ。この声で呼ばれる、銘。それだけでいいのに、どうしてたった一つを奪おうとする。
「返してもらおうか、銀時計を」

ロイはエドに向かって腕を伸ばす。自分が与えた印を、こういう形で奪うことになろうとは思ってもいなかった。
強引過ぎる、このやり方は間違えている。けれどエドを囚われたままにしておくより、余程ましだ。子どもの身を自分の手に返してもらう。
人を人とも思わない、錬金術師をただの戦場の駒として見るような、直轄府の奴らに好きに使われるのは我慢できない。
昔はもっと違う在り方を考えていた。今もそう願っている。慈しむように護れたら、どれだけいいだろうと。

エドは口を閉ざしたまま、制服の胸元をあさり、銀時計を取り出した。鎖が繋がれた留め具までは外せない。掌の中に隠すよう握った。彼の決意が変わることはないと知りながら、自分からはどうしても渡せなかった。
ロイは庇うように、エドの肩を抱く。そうして留め具をエドの制服から外してやる。鎖が瀟洒な音を立てた。それは解放の音ではなかった。
エドの手を包み開かせれば、古びた銀時計が現れる。幾らコーティングされているとはいえ純銀だ。表面には随分と傷がついていた。
「なぁ……俺やだ」
彼が聞き届けることはないとわかっていても、請わずにはいられなかった。
「……嫌だ。頼むから」
たった一つ残された自分の場所を、奪わないで欲しかった。
眼前に立つロイの肩を見つめる。昔とは違う肩章。遠くない未来、獅子の旗下に立つ姿を見たかったのに。

情を切り捨てるよう、ロイは受け取った銀時計を床に投げ捨てた。硬質な音が、残響を伴って木霊する。エドは目線で音の先を追う。
ロイは背をかがめ、高い襟口を乱暴に緩めながら、子どもの首筋に口づけを施していった。柔らかい肌を傷つける為に。
抗うエドの腕に力はなく、簡単に囲えた。制服を剥ぎ取るように脱がせていく。
早く東部に戻ればいい。あそこなら誰からも守ってやれる。故郷にはお前の弟と幼なじみがいる。それを拒むなら、自分のそばに囲ってしまおうか。誘惑が心の隙をついて襲い来る。閉じ込めて、好きになぶって。飼い殺しと何ら変わらない状況に陥れようか。
下卑た考えに反吐が出そうになる。ロイは口元に自嘲の笑みを刷いた。独占も拘束も、昔からこの子ども一人に働くものだった。
体を開かせてもまだ足りない。どこまでが相手の身を考えたことで、どこまでが自分の欲なのかわからなかった。

口づけを与える為、頬を傾ければ、エドは顔をそむけ避けようとした。金の髪を掴んで、無理やり唇を合わせる。こじ開けて、歯列を舌でなぞってやった。
奥に逃げ込もうとする舌を探り出す。唾液が絡まり、粘着質な音が立った。喘ぐ呼気に腰が重くなる。
「私が満足するまで抱かせてくれないか?聞いてくれるなら……そうだな、東部に戻すのは考えてもいい」
誘いの言葉に代えて、脅迫を声にする。
エドは何を言われているのかわからないというように、呆然と目を見開く。子どもの笑みを久しく見ていないと今更、気づいた。
薄く開いた唇がわずかに震える。どんな声を聞かせてくれる。嘲りか、罵りか。
エドは口の端を歪めるように上げた。笑おうとして失敗したらしい。泣き出す寸前の顔にしか見えなかった。
「……俺、それしか使えないのか」
涙まじりの声であっても、決して泣かない。
きつく瞑られる両眼。それを了承と取って、もう一度口づけた。エドも抗っては来なかった。
これは情交でも愛撫でもない。暴力に近しい陵辱だと知っていようと、体をあさることをやめられなかった。

直轄府に飼われるようになったエドが旅立っていく度に、思い出すのは親友の死だった。あの時は何も出来なかった。失われゆく命に気づかず、自分はのうのうと東部に在ったのだ。
あれから大切な人間を幾度も失い、嘆いてきた。わかっているのは、この子どもまでも今の状態であれば、失うということだ。

掴んだ手首は決して離さない。奪われるわけにはいかなかった。ロイは骨が折れるほど、力を篭めた。いっそ腕でも足でも折ってやろうか。
次に逃げようとすれば、そうしてやろう。そばにいてくれと請うても叶わないのだから。エドが痛みの声を上げようが、情に流されて逃がすような真似はしない。
イシュヴァールで犯した罪業の報いは親友の死だ。滅するとしたら今度こそ自分だろう。死にたいと言うなら、その時に終わってくれ、道連れは、この子どもだ。
だがそれ以上に、共に生きたいと思っている。鋼の、君は私の願いを叶えてはくれないだろう。

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