Think of Me 3



暗闇が自分に落ちてきたような気がした。
いいや、これは白昼夢だ。エドははっと我に返った。何をぼんやりしていると己を叱咤する。こんなにも明るい室内にあって、寝ぼける奴がいるか。

相手の目を見据えるように、顎を引き強く前を向いた。眼前のステイラーを、今この瞬間にも殺してやりたかった。
「鋼の錬金術師として相応しい結果を期待しているよ」
その声に、エドは頭を垂れた。胸の内にある殺意を押し殺す。今はまだ時期ではない。
さすが年の功だ。皮肉が上手い。錬金術師としての成果ときたか。
自分を脅迫した事を、後悔させてやる。
必要ならば跪いてもいい。必ずご期待に沿ってみせますと告げる自分の声は、他人のものであるような気がした。いつから、そんな言葉遣いを覚えたのか。
相手の背後には高い窓。白くたなびく雲に、青い空。手のかけられた芝生は目にも美しい。ここがどこか忘れてしまいそうだ。つかの間、自分の故郷を思い出した。軍部の一室で任務を受けている。現実味がなく夢を見ているようでもあった。
軍の狗に相応しい任務だろうと笑う相手は何を考えていたのか。せいぜい役に立ってから死ねとその目は物語っていた。

執務室から出ると、廊下には足が埋まるような絨毯が引かれていた。足が埋まるたび、泥のぬかるみに嵌って身動きが取れなくなっていく気分に駆られた。
大総統の勢力を一掃するには力が足りない。そして機会が満ちていない。千載一遇のチャンスを逸してしまった、次にそれが巡ってくるのを息を潜めて待つしかない。
あの時、全て片付けるべきだった。味方となってくれた女は北に閉じ込められたままだ。

廊下を何度か曲がって、向かうのは射撃訓練場だ。一日撃たなかったら、その分、腕が落ちる。
途中、運の悪い事に、この間殴りあった相手に出くわした。悪かったと改めて謝るべきか。それも面倒くさかったので無視して脇を通り過ぎる事にする。
始末書も書いたし、営倉にも入った。少佐相当官である立場でだ。影で散々笑い者にもなった。それで相手の気も晴れたのではないか。
案外粘着質な男であったらしい。
「綺麗なのは顔だけか、早くおっ死んじまってくれよ。錬金術師様」
背中越しにまた挑発してくる。もう乗るつもりもない。今はその気力もない。

そのままエドは振り返る事なく、まっすぐに背を伸ばして歩いていった。舌打ちが聞こえたが、それも自分の気のせいだったのかもしれない。安心するといい、今日受けてきた任務が最後と決めている。
それからまた見知った男に会った。内心驚いた。こういう偶然もあるらしい。しかし今度の出会いは歓迎すべきものだった。
「よお、大将」
声をかけてきたのは十二の頃から知っている、ロイの部下だった。エドはほっと息をつく。肩の力を少しだけ抜く事ができた。
「ハボック少尉」
先日はご迷惑をおかけしましたと言葉を尽くして頭を下げれば「やめてくれ、寒気がする」と混ぜ返してきた。
「この間はごめん」と謝れば、頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。殴り合いを止めてもらったばかりではなく、彼に言わないでくれなど無茶を言って困らせた。
ハボックの手はいつも優しい。人の心を慰める手だ。自分にないものだった。
「いやいや、強かったぜ。さすが大将だってあの後ブレダと話したくらいだ」
ハボックは冗談めかして、拳を構えてくる。
「少尉に褒めてもらえるなんて光栄だ」
「怪我さえしなけりゃいいんだ。ライナーもこれで手出して来なくなるだろ。大将がこんだけ強いってわかったからな」
自分は殴った相手の名前も知らなかった。見えないところでハボックがフォローしてくれたんだろう。衝動的な行動は何もならない。
「ごめん」ともう一度謝った。「もうあんな真似はしない」と言葉を続けた。
「おう、約束だ。絶対な?そんじゃ今度メシでも食いにいこう」
ブレダやフュリーも誘って。高級取りの錬金術師様の奢りでとハボックは笑った。
そんな事でいいなら幾らでも。彼らと食べたら、きっと美味く感じるだろうと思った。何を食べても味がわからない。いつからこうなったのか、わかってる。

ロイに嘘をついた時からだ。体が罪悪感に苛まれて、不具合が出始めている。睡眠障害、摂食障害。全て自業自得だった。ハボックの言う「今度」がいつになるのか、わからない。
ただ、そういった約束は心の支えになってくれる。叶わなくていいんだ。いつかと思っていられるだけで、俺はいいんだ。
こういった考え方が駄目なんだろう。先ほど投げつけられた言葉のとおりだ。自分のような人間は早く死んだ方がいいと心底思う。生きていたところで、ろくな事にならない。だがそれも後少しだ。
一緒に地獄に行ってもらう相手は決まったのだから。


夜も更けた頃、エドは官舎に戻ってきた。殺風景な部屋が自分を出迎えてくれる。
殺風景とは言っても、少しだけ私物を置いてある。
この私物も整理しておく必要があった。見られてまずいものがあるわけではないか、それでも人の手が触れる事は避けたい。
文献は全て片付けた。残っているものといえば替えの制服とシャツ。それに銃のカートリッジ。ナイフ、そんな細々としたものだ。
後は弟からの手紙。これだけは取っておきたかったが、仕方がない。
全部で十一通ある、自分から送ったのは一通だけ。金を送るからというそっけないものだった。他に何を書いたらいいかわからなかったし、検閲が入っている可能性があった。
手紙、焼きたくないな。
暗記するほど読んだ文面。せめてもと思い、再び目を通した。それから丁寧に手紙を折りたたんで封筒にしまった。最後に封筒に口づけを落とす。
俺みたいのに手紙をくれて嬉しかった、ありがとう。

心からの感謝と祈りを捧げる。神様なんていないとわかっているけれど、こうして祈りたい時がある。それが旅を終えて変わった事の一つだった。


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