戦うという意味
夢の中で、ジロウは大きなため息を吐いた。
夢の中にしては、妙に意識がハッキリしているような気がするが、まあ、夢は夢。
所詮、目覚めたら忘れてるだろう、と、ジロウは思う。
夢の中、ジロウは見知らぬ場所…
一面緑しか無い草原に仰向けになり、空を仰いでいた。
(夢の中でも寝てるなんて、不思議なもんだな)
ジロウは英雄の剣を握った右手を青空に掲げる。
(なんで英雄の剣まで夢の中に出てくるんだか)
先刻、剣に嵌まった紅い石がキラキラと輝いていた。
(…それにしても、オレ、何もしてないなぁ)
ジロウは思う。
(ネヴェルもハルミナちゃんも戦う力があって。オレは…英雄の剣なんて大層なもんを手にしてんのに、ギャーギャー喚いてばっかで、何も出来てねぇ…)
目を細めて、かつて英雄リョウタロウが扱ったという剣を見つめた。
(リョウタロウは本当に消えちまったのか?ユウタ達が言ってたけど、あの占い師…レーツも本当に死んだのか?黒い影に飲み込まれたって言う、父さんや母さん、村の皆、レイルは無事なのか?)
死に際を見たわけではない。だからこそ、生死のわからない彼らを、ジロウは死んだ、消えたなどと、思いたくはなくて…
そして、世界の歴史。
全てを知ったわけじゃない。
けれど、魔族も天使も苦しんで来た。
人間は何も知らずに生き、リョウタロウだけが一人、苦しんで来た。
そして、テンマも。
(オレの人生なんて、悩みなんて…夢なんて、ちっぽけだ…)
職業に悩み、カトウ、レーツ、ハルミナに出会い、トレジャーハンターに夢を抱き…
そんなのは、世界の事情と比べたらちっぽけだ。
(ちっぽけだから、テンマにオレの言葉は届かないのかな)
何を言っても、テンマは冷たい目をして嘲笑う。
嘲笑い、ジロウの手を取らずに遠くへ行ってしまう。
そして、世界を憎み、壊そうとしている。
それに、ネヴェルやハルミナ、皆を傷付けようとした。
でも、そんな酷いことをしようとしたテンマに対し、それでもまだ、ジロウは憎いだとか、そんな気持ちを抱けなかった。
むしろ、何故かテンマを身近に感じてしまう。
理由なんてわからないが、自分がテンマを憎しみから助けなければいけないなんて感じてしまうのだ。
(大昔や、魔界、天界では、誰かを殺めたり、攻撃したりするのが当たり前なのかもしれない。でもオレは…誰にも死んでほしくなんかない)
それこそ、甘い考えだと嘲笑われてしまうだろうが…
諦めたくない気持ちは本物だから。
ネヴェルやハルミナ、ユウタにカトウ――…皆を守りたいと、平凡に生きたいと思う気持ちは本物だから。
テンマを救いたいという気持ちも本物だから。
(…でも、どんなに思っても、行動が着いていかなきゃ意味がねえよな…)
ジロウは仰向けの姿勢から起き上がり、その場に座り込んだ。
――…守る、ね。そう言いつつも、君には力は無い。英雄の剣が完全でも、扱い切れないだろう?君には守れないよ、新米くん
先刻の、テンマの言葉が脳裏に過る…
(…っ)
テンマには見抜かれているのだ。
ジロウが剣を振るう覚悟がないことを。
――英雄の剣。
本当はとても凄い剣なのに、ジロウ一人でその力を引き出すことも出来ない。
剣を振るったのは黒い影を退けようとした時だけ。
宝の持ち腐れなんて言葉がとてもよく似合う…
ジロウは歯を食い縛り、英雄の剣を力強く握り締め、その剣を放り投げるように、草の覆い茂った地面にガシャン…と、叩き付けた。
「…チクショウ…!こんな凄い剣があったって、オレには何も出来ねえ…ネヴェルは強くて、ハルミナちゃんも戦えるようになって、オレだけが何も出来ない。リョウタロウ…なんであんたは消えちまったんだよ…オレなんかより、もっと他に上手く扱える奴がいたんじゃないのか?」
偶然その場に居たジロウに剣を守らせ、それからずっと、ジロウの手に在る剣。
それを力強く感じることもあるが、その余りの重荷に押し潰されそうになってしまう。
(でも、リョウタロウはもっともっと、重荷を背負ってたんだ…オレなんか、何も…)
ギュッと目を瞑り、無力さに涙が滲み出た。
夢の中なのに、草原に風が吹いて、その風がジロウの頬を優しく撫でる。
「ジロウ。この剣は貴方が護らねばなりません」
――サクッ…
柔らかい足音と共に、静かな声が聞こえた。
その声の主に本来なら驚くべきなのだが、これは夢の中だから…
「なんで…夢の中でまでそんなこと言うんだよ、レイル…」
魔界で黒い影に飲み込まれた、目の前に立つ魔族の少年レイルが、ジロウが地面に叩き付けた英雄の剣を拾いながら言った。
「ジロウ。貴方は戦えないことを恥じているんですか?」
レイルはまるで、ジロウの心の中を読むように聞く。
「もし、そう思っているのなら、それは間違い。そうでしょう?ジロウ」
「…間違い?」
ジロウは首を傾げた。
「貴方はあの日、ネヴェルとナエラに敵うわけがないのに、私を守る為にその剣を震える体で構えた。フリーダム達の元にネヴェル達が来た際、逃げなければならなかった貴方は、皆を傷付けない為にネヴェルの前に立った。敵であるはずのナエラを、貴方は体を張って助けた」
レイルは魔界での出来事を鮮明に思い出しながら紡ぎ…
「それだって、戦った内に入るのではないですか?」
レイルに言われ、しかしジロウはその行為が戦ったと言い切れるのか答えを出せなくて口ごもる。
「少なくとも、貴方は誰かを守る為に行動できる。それは、誰かの心を動かせると言うことなんです」
レイルは微笑み、ジロウに英雄の剣を差し出して、
「攻撃することだけが、戦うことじゃない。貴方には貴方の戦い方があるはずです。ジロウ、貴方は貴方の思うように、戦って下さい」
差し出された英雄の剣をジロウは見つめる…
「…この剣を護ることは出来るかもしれない。でも、レイル。オレにこの剣は…扱い切れない、勿体無いよ」
そう言って、ジロウは英雄の剣に触れることが出来なくて…
「だからこそ、貴方が持つべきなのです」
「え?」
レイルの言葉の意図が掴めずに、ジロウは視線を泳がせる。
「貴方が最後に英雄と話した時、彼は何を願っていましたか?」
「英雄って…リョウタロウ?」
ジロウが聞けば、レイルはこくりと頷くので、
(最後に話した時…)
それは多分、封印されたあの空間だ。
しかし、リョウタロウは何か願っていただろうか…
ジロウは必死にリョウタロウとの会話を思い起こす。
そして、一つだけ、思い浮かんだ。
――ここから先の未来なんて、誰にもわからないんだ。だから、お前達で未来を作れ、もう、英雄など必要ない世界を、作ってみせろ…
「英雄の必要ない世界…」
ジロウはぽつりと呟く。
「そうです。ジロウ、貴方は英雄には相応しくない」
そう、真っ直ぐレイルに言われて、ジロウは目を丸くしながら、
「…ぷっ…、そりゃそうだろうけど、ハッキリ言うなぁ」
と、思わず吹き出してしまった。
「貴方は優しい。そして、他人を思い遣れる。リョウタロウはかつての時代を言われるがままに生きた、流されるがままに世界を分けた。そしてそれを後悔して生き続けた…。彼は誰かを思い遣る事も出来ず、優しさを向ける相手も居ない時代に、英雄になった…」
レイルは寂しそうにそう話し、
「貴方はきっと、リョウタロウと同じ道を辿らない。多くの苦しみを背負う英雄なんて肩書きは、貴方には似合わない。だからこそ、リョウタロウは願うのです。自分と同じ苦しみを持つ、英雄など二度と誕生しないように…この剣によって、もう誰も、何も、傷付かないように…」
そうして、レイルは再びジロウの瞳を見つめ、
「だからこそ、貴方が持つに相応しいんです。きっと、何も傷付けない貴方なら…英雄など関係のない、一人の人間として、全てを終わらせてくれる」
そう言いながら、もう一度、英雄の剣をジロウに差し出す。
ジロウはしばらく沈黙した末に、
「はぁ…」
と、気が抜けたように息を吐いた。
「…わかったぜ、レイル。要は、今まで通りのオレで行けって言ってくれてるんだな?」
そう、苦笑いしてジロウが言い、レイルが差し出した英雄の剣をようやく掴むと、レイルはただ、ニコリと微笑む。
「でもよ、なんでレイルがオレとリョウタロウの会話や、リョウタロウの思いなんて知ってるんだ?…あ、そっか。夢の中、だからか」
ジロウは言いながら、自分で答えを出すが、
「…ジロウ。黒い影に飲み込まれた人々は影たちの中で生きています」
そのレイルの言葉にジロウは驚いた。
「レイル…?これは、夢じゃ、ないのか?」
ジロウはそう呟く。
それともただの都合の良い夢なのか?
しかし、レイルはやはり寂しそうに笑って、
「私は貴方を信じています。黒い影に飲み込まれた私を、間に合わないとわかっていても、貴方は必死に助けようとしてくれた。そんな貴方ならきっと、救いたい人達の心をいつか、動かせる」
「…」
もはや、これが夢なのか現実なのか、ジロウにはわからなかった。
それでも、ジロウにとっては大切な事を気付かせてくれる転機だった。
そして、
「オレも信じてる。あんたや黒い影に飲み込まれた人達は絶対無事だって。オレも、魔界であんたに助けられたんだ。だから今度は絶対に、レイルのことも助けてみせる。黒い影の中ってのがどんなのかはわかんねえけど、もうちょっとだけ辛抱してくれ。オレは頼りないけど…皆で力を合わせるから」
ジロウはそう言って、いつものように屈託のない笑顔で言う。
それに、寂しそうな表情をしていたレイルも同じように笑い、
「はい!待っています、ジロウ」
そう言った。
(約束するよ。オレはオレのやり方で戦う。英雄なんて必要のない、ただの平凡な世界を皆で生きれるように…)
そこまで思って、ジロウは目を開く。
真っ白な天井だ…
柔らかいベッドからジロウは上体を起こし、軽く伸びをする。
(…気分が悪くない。あのウェルって天使の人の治癒が成功したのか?)
眠る前にあった、毒による気分の悪さや麻痺の感覚が無くなっていることに気付いた。
それから部屋を見回し、
「あ」
と、ジロウは声を出す。
「やっと起きたのか」
ジロウが眠る前と同じく、部屋にある椅子に腰掛けたままのナエラと目が合った。
――お……お前の苦しんでるところを見届けてやるって言ってるんだよ!!
そう、ナエラが言っていたことをジロウは思い出し…
「ヒステリック女…あんたマジでずっと居たのかよ」
「お前が苦しそうに寝てるザマを見ててあげたんだよ」
なんて、ナエラは言った。
「ま、まだんなこと言うのかよ」
と、ジロウが呆れるようにすれば、ナエラは僅かに微笑して、
「無事、毒は抜けたってさ」
そう伝え、椅子から立ち上がり、
「…ボクは先にネヴェルちゃん達のとこに戻るけど、お前はもう少し安静にしてから来たらいい」
それだけ言って、踵を返し、部屋から出ようとするナエラに、
「理由はどうあれ、起きるまで看ててくれてサンキューな」
ジロウは礼を言う。
ナエラはジロウに背を向けたまま、
「安静にしてていいけど、早く来てよね。…お前が居ないと、ネヴェルちゃんと居づらいから…」
そう、小さく言ってナエラは部屋から出た。
(ネヴェルと居づらい?)
残されたジロウはその言葉に首を傾げ…
そして、今しがたの、夢の中での出来事を思い返していた。