上級天使フェルサ
「やあ、君。死にかけてるね」
それは私が彼に掛けた第一声。
遠い遠い昔、人間も魔族も憎む必要のなかった時代に、私は草むらに倒れこむ少年を見つけた。
「ん?おや?君は…金色の髪をしているが…魔族…いや、ハーフか」
私はその場にしゃがみ込み、息も絶え絶えな少年の顔を覗きこむ。
思えば…あの頃からすでに争いの火種はあったのかもしれないね。
種族関係なく愛し合うのは当たり前だった時代が、いつからか徐々に形を変えていた。
ハーフとして生まれた子供を放置してそのまま捨てる親が多くなっていた…
恐らくこの少年もそうなのだろう。
一体、何日間ここに放置されていたのやら。
「君は生きたいかい?少年」
そう聞いたが、少年は口すら開けないほど衰弱しきっていた。
「ふむ。まあ、実験だ。魔力を分け与えると自分の命を削る代わりに相手を助けれると聞いた。私はまだそれを試したことがないから、少年。君で試してみようか」
自分の命にそれほど興味の無かった私は、ただの興味本意だけで見知らぬ少年を助ける。
助けた少年の名は、カーラと言った。
――それから数日後のことだ。
「見つけた!」
「ん?君はあの時の、カーラ少年か」
息を切らして走って来たのであろう。そんなカーラ少年に私は首を捻る。
「捜してたんだ!だってお姉さん、僕を勝手に助けて、名前だけ聞いて、どこかへ行ったから」
「ふむ。私に何か用があったのかな?」
「用って言うか、お礼を言えてなかったし…」
そのカーラ少年の台詞に、
「ふむ、律儀だね。君は生きたかったのかい?親に捨てられて、もう帰る場所もないだろう?」
「…親は、死んでた」
「?」
過去形なその言葉に、私はますます首を捻った。
「僕を捨てた後、心中してたんだって。可笑しな話だよね。なんで、種族の違いを気にするんだろう」
「それは気の毒な話だね。でも、それでも君は生きていけるのかい?」
私の問いにカーラ少年は数秒黙りつつも、コクりと頷く。
「…ふむ。まあ、死にたいなんてことはないか。でも、君はこれから何がしたいの?親も無く、一人で生きれるのかい?」
そう、私は再び問い、
「お姉さんは見ず知らずの僕なんかの為に命を削って助けてくれた。だから、お姉さんの力になりたい」
そう言ったカーラ少年の目は、子供らしく真っ直ぐだった。
「ふむ」
私は一度頷き、
「ただの実験だったんだが…面倒なことになったね」
ぽつりと呟く。
それからもカーラ少年は何かと私に引っ付いてきては、いつしか一緒に居ることが多くなった。
最初は軽くあしらってはいたのだが、いつしか私はカーラ少年を自分の子供のように思い始めていたのだろうか。
よくわからない愛情を、彼に向けていた。
「またその子供か」
「ミルダ」
話し疲れたのか、まだまだ子供のカーラ少年はうとうとと体勢を崩し、私の膝の上に頭を置く形となる。
そこを、幼馴染みであるミルダが偶然通り掛かった。
「天使と魔族のハーフだったか?」
「そうだよ」
ミルダの問いに私は頷く。
私があの日、カーラ少年に魔力を分け与えた事により、カーラ少年の発する気は天使のものが強く出ていた。
自分で言わない限り、カーラ少年がハーフであることなんて、もはやわからないであろう。
「お前は昔から馬鹿だな、フェルサ」
「え?」
「興味本意で色々なことに手を出して…しかし、今回は命まで使うなんてな」
呆れるような幼馴染みのその声に、私は困ったように笑い、
「さすがに怒った?」
と、ミルダに聞けば、
「いや。何を言ってもお前は聞かないからな。好きにしたらいい」
ミルダはため息を吐きながら言った。
「まあ、もしお前が何か危険事に首を突っ込むことがあれば…その時は俺がお前を手助けしてやる」
そんなミルダの言葉に私は目を丸くして、
「おや…そこは、止めてやる、とかではないの?」
「言ってるだろ。お前は止めたって聞かない奴なんだ。だったら、手伝うさ。善だろうが、悪だろうが、な」
「…それは…興味深いプロポーズだね」
なんて私が言えば、ミルダはまた、深いため息を吐く。
隣に居てくれる、言葉足らずではあるが優しい幼馴染みと。
興味本意で助けた、無邪気な少年。
この二人が居てくれるなら、居るならば、きっとこれからも幸せで、平穏な日々が続くのだろうな…
私はそう思った。
本気で、そう、思っていたんだけどね…
「ミルダ――!!?」
私は叫んだ。
あの日、声にならない声で、一番叫んだ。
平穏は崩れ去り、天使、魔族、人間の争いが始まった日々。
天使達の血が流れる。
身体の一部がもぎ取られる。
そんな異様な光景の中…
人間によって、ミルダの左目が抉り取られた。
そこから先は、戦った記憶しかない。
奪われない為に、奪われない為に、奪われない為に――…
ミルダも傷付き、カーラ少年も傷付き、私は――…
けれど、人間の英雄なんてバケモノが生まれ、私達は、無惨に負けた。
わけのわからないまま、世界は切り離された。
天界は空に追い遣られ、そこから新しい生活を始めざるを得なくなる。
天長なんて存在が急に現れ、天界を統治し始めた。
天使に階級を付けた。
いつしか天使達は、人間や魔族に対する憎しみを忘れて行った…
あんなに奪われたのに?
カーラ少年もそうだ。人間と魔族を憎んでいないと言う。
左目を奪われたミルダも何も言わない。
でも、私は忘れない。
平穏を奪った奴等を。
誰が言い出したのかなんて知らない。
誰が始めたのかなんて知らない。
でも、争う必要がないと叫んだ者の言葉なんて通らずに、事態は悪化していった。
奪い奪われる、愚かな戦いが繰り広げられた。
私は忘れない。
あの憎しみを、絶対に。
だからこそ、水面下ではすでに実験をしていた。
人間、ネクロマンサー達が人間の英雄を生み出したみたいに。
数年後、空に追い遣られた天界で、私は一人の少女と出会う。
マシュリと言う少女。
両親を亡くし、身寄りの無い娘だった。
暗い、暗い目をしたそれに私は何かを見出だし、引き取ることにした。
ミルダは反対したが、その反対はいつものようにすぐ、諦めになる。
無口な少女、マシュリ。
私は娘として彼女を引き取ろうと思ったが、彼女は私を'義姉さん'と呼んだ。
…彼女には姉も居たそうで、不慮の事故で亡くなったらしい。
ふとした時、彼女は私の実験を目にしてしまった。
死者の体を使い、黒い影を生み出す実験を。
――何をしているの?
と、問われ、復讐の為の武器を作っているのさ、と、私は答えた。
――何の復讐なの?
と、問われ、平穏を奪った、人間と魔族への復讐さ、と、私はかつての時代を知らないマシュリに話した。
マシュリは大層、私の話に興味を示す。
――私も手伝いたい。義姉さんの復讐を。
なんて、子供が言うべきではない言葉をマシュリは言った。
けれども、さすがの私にも良心があったようで、
「ダメだよ。君は子供だ、女の子だ。幸せに生きてみなさい。私が平穏な世界を作ってあげるから」
そう言った私に、マシュリは首を強く振り、
――じゃあ私、男になる。たくさん勉強もする。義姉さんの役に立てるように。
なんてことを言い出して、その日から本当に、マシュリは少年として振る舞い出した。
だから、私はマシュリを弟として育てる。
それを知っているのは、私とミルダとカーラだけ。
実験が完成に差し掛かった頃、私は身籠った。
時が経つにつれ、私の憎しみは薄れるどころか強くなる一方で。
そうしたら、ミルダとマシュリも実験に付き合うと言ってくれた。
お腹の中の子すら、私は道具として使うんだ。
でも、平和な世界になるまでの辛抱なんだよ。
平和になれば、私達は幸せに暮らせるんだから、だから、辛抱してね、ハルミナ。
「フェルサ!!」
でも、例外が一人。
天長が作った階級で上級天使にミルダと私はなっていた。
カーラ少年は興味がないと言っていたが、なぜだか最近は力をつけ出して、先日、上級天使になった。
「…ふむ。そうか、君は、この時の為に力をつけたんだね」
私は笑う。
カーラ少年は気付いていたのだ、私の実験に。
でも、残念だったね、カーラ少年。
君のその行動すら、全て実験なんだよ。
君には何も出来ないよ、君一人じゃあ、もう止められない。
「僕は…君を…」
泣きながら、肩を震わせながら、何か言おうとするカーラ少年の言葉を魔術で遮り、私は思い出していた。
ミルダとカーラ少年が居れば平穏なんだと思っていた、あの日々を。
カーラ少年。
君が私に向ける好意にも気付いていたわ。
でも、私は知っていた。
君は、私の味方には決してならないと。
ミルダが私の隣に立つのなら、君は私の前に立ち塞がる存在になるのだろうと。
多少の、愛はあった。
けれど、だから、私は君を選ばない。
――…そうして、私はカーラ少年に殺された……ように見せ掛け、姿を消す。
そして、念入りに造った黒い影に私の腕輪を付け、その黒い影に産まれたハルミナを預け、ミルダとマシュリの元へと放った。
そして、私は自分が生きていると気付かれないように、しばらく人里離れた天界の地で過ごし…実験道具共々、人間界へと移る。
数年、人間達の様子を観察し、何も知らず、幸せそうに生きる奴等に反吐が出た。
そして、英雄リョウタロウが生きてることを知り、更には彼に似た存在もさ迷っている。
私は彼らに気付かれないように数年身を潜めた。
生活には困らなかった、なぜならもう、私の身体だって、奴等に復讐する為の実験として造り替えていたのだから。
そうして数年…
ネクロマンサーの末裔である、スケル少年に出会い、彼の脳に遺されていると言うかつてのネクロマンサー達の実験をもとに、更に実験を進めることが出来た。
そして――…
振り向くと、スケル少年と、彼から話を聞かされていた、人間界をさ迷っていた少年、テンマ。
久々振りに会う、ミルダとマシュリの姿。
私は久し振りとも言わず、ただニコリと笑い、
「これでようやく、復讐も終盤を迎えれるわ」
そう、言った。
もうすぐ、終わるから。
『君は…変わってしまった。君は何も見えていない。復讐に執着し過ぎて、ミルダすら、見えていない…』
あの日、私の前に立ち塞がったカーラ少年は、最後にそう言っていた。
私はちゃんと、見えているわ。
だって、全部終われば、ミルダも、カーラ少年も、マシュリも、ハルミナも、私も、きっと、平穏に暮らせるのだから。
その為に、私は――…