フリーダムタイト
聳え立つでかい城に足を踏み入れ、俺はため息を吐く。
結局、やはりこうなってしまったのか、と。
人間界にずっと留まっていたリョウタロウさんの姿や、レーツさんの姿も見えない辺り、二人はとうとう消えてしまったのか。
広い廊下を真っ直ぐに進むと、三人の魔族の姿が見えた。
その中の一人はよく知っている男で。
「トール。無事だったのか」
俺がそう言うと、トールは驚いたように俺に振り向き、
「タイト!?」
と、俺の名を呼んだ。
「あ?誰だよ」
側に居た赤髪の魔族が首を傾げ、
「魔族、か」
その隣に立つ薄紫色の髪をした魔族はそう言う。
「あ、タイトはフリーダムの名付け親みたいなもんで、一応フリーダムの仲間なんだが、神出鬼没野郎で滅多に…」
「そいつらはなんだ?」
トールが俺の説明をしている途中で、俺は他二人の魔族を顎で指した。
赤髪の魔族は短気なのか、俺のその態度に目を細め、先に薄紫色の髪をした魔族が口を開く。
「俺はムル。お前も魔界の住人ならわかるだろう。俺達は魔王様…の部下だった者だ。こっちはラザルだ」
ムルが言い、
「ああ、根っからの魔族か」
と、俺は言った。
「あ?どういう意味だそりゃ…」
ラザルが俺を睨み、
「そのままの意味だ。散々魔界を荒し、力無い奴等を殺して来た連中と言う意味だ」
「!おい、お前…っ」
俺の発言にムルが何か切羽詰まったような声を出す。恐らくラザルを挑発するなと言う意味であろう。
「おい、やめとけ!」
次にトールが慌てるように言った。しかし、俺に言ったわけではない、ラザルにだ。
「ケッ!このムカつく発言しかしない野郎をちょっと黙らせるだけだ!」
言いながら、魔力を溜めたラザルの手が俺の眼前に迫り、それにため息を吐いた俺に「…なっ……」と、ラザルは動きを止める。
「ああ、くそ。だからやめとけって言ったんですぜ!そいつは魔術なんかに動じないんだよ…」
はーっ、と、息を吐き出してトールは言った。
ラザルは手に魔力を溜めたままその場に硬直している。
俺はそんなラザルの喉元に、ただ取り出したナイフを突き付けているだけだ。
「な、なんだ、てめ…」
ラザルの手に溜まった魔力が徐々に消え、奴はその場にへ垂れ込む。
「…速い。戦い慣れしているな…。さすがはフリーダムの…ヤクヤさんの仲間…」
と、ムルは俺を見た。
「ああ。お前らと同族だからな。だが、勘違いするな。俺は人間でもある」
俺のその発言に、三人の魔族は目を丸くする。
「…は?え?な、お、おい、タイトが人間?!」
フリーダムとして何度か顔を合わせているトールはわなわなしながら俺を見て、
「人間でもある…?」
と、ムルはその言葉を疑うように俺を見た。
「人間って…あれだろ?アイツらみたいなんだろ?あの戦えないようなのが人間だろ?!い、意味わかんねー…」
誰のことを言っているのか、ラザルは困惑した風に言い…
「ヤクヤも無事なのか?」
と、俺はトールに聞いた。
「あ、ああ。そりゃヤクヤさんは無事ですぜ!」
「そうか」
俺は困惑している魔族三人を残し、再び城内を歩き出す。
――…あれはいつだったか。
もう20年以上も前か…
まだ幼い俺と母を置いて、俺や母に暴力を振るっていたあの男は出て行った。
大層な額の借金を残して。
借金取りが家に押し掛けて来ることが日常茶飯事となり、しかし母もそれきり働くことなく酒に逃げてしまった。
まだ働くなんて思考もなく、そんな歳にも満たない幼い俺は、異常な生活に怯えるしかなくて。
とうとう借金取りは家の中に押し掛けてきた。
しかし、丁度いい具合に酒に溺れていた母はとうとう禁忌を犯す。
台所に転がった刃物を手にし、借金取りの男をまず一人刺した。次に一人、また次に一人。
床には赤が広がる…
ギャーギャーと騒がしい声や歪な物音を、俺は押し入れに隠れて聞いていた。
それが治まって一時間ほどして俺はようやく押し入れから出る。
だがそこにはもはや動いている人間など居はしなかった。
借金取りも母も、血溜まりの上に死んでいた。
ようやく近所の連中達が家に来て、確か俺は事情を聞かれた。
親戚もいない為、周りの大人達が引き取り先がどうの施設がどうのを言っていて、幼い俺はそれが悪い話だと感じた覚えがある。
気付いた時には俺は育った家から飛び出し、村から飛び出し、見知らぬ道をがむしゃらに走った。
だけど小さな足は疲れ、小さな体は倒れてしまう。
死ぬと言うことすら認識できない幼い頭は、ただ(つかれた、ねむたい)なんてことしか考えていなかった。
「おや…君は、珍しい血を引いている」
頭上に降り注いだ声に俺はゆっくりと顔を上げる。
そこには見知らぬ老婆がいつの間にか立っていて…
「そんなに傷だらけになってどうしたのです?」
老婆は倒れた俺の体をゆっくりと起こし、その場に座らせる。
老婆相手に、幼い俺は警戒心はなかった。
なかったから、泣きながら、拙い言葉で、滅茶苦茶な文法で話していた…と思う。
しかし、老婆は静かに俺の話を聞き、
「そう。毎日父親に殴られ続けたのですね。先刻、母親が死んだのですね。それで君は必死に逃げて来た」
老婆は簡単に俺の話を纏め、曲がった腰としわくちゃになった手で小さな俺の体を抱き抱え、どこかへと向かう。
それは大きな鉱山だった。
その入り口に老婆は俺を降ろす。
入り口から少し先に進み、老婆が壁に触れるとボタンが現れ、老婆は慣れた手付きで暗号入力をする。
すると、壁に隠れた扉が開き、下へ繋がる階段が現れた。
「少年、この先にお行きなさい。君の運命の為に…」
そう、謎の言葉を発する老婆に背中を押され、俺は恐る恐る階段を下りる…
老婆はそれを見送り、一緒に下りはしなかった。
階段を下りた先で、俺は見知らぬ男の後ろ姿を見つける。
男はこちらに振り向いてもいないと言うのに、
「何者だ、村の者ではないな。しかし、なぜ彼女が通した?」
と、言った。
しかし、男は何かに気付くように急に振り向き…
「…少年。お前は魔族の血を引いているのか」
などと、あの時の俺にはわけのわからない話だった。
男が話したのは昔の話。
人間、天使、魔族が共存した時代の話。
その時代に生きていたのであろう俺の先祖は、人間と魔族だったのだろうという話。
結ばれた人間と魔族。
両者の血が俺にも流れているのだと言う。
そして男は自分は英雄だと話した。
造り出された英雄だと。
…リョウタロウだと。
彼は何故かたくさん話してくれた。
昔の話を。
封印した剣の話を。
愛した女性と暮らしていたが、老いて行く彼女の傍に居るのが辛いと逃げ出し、この鉱山内で独り、この場所を見守っているのだと。
後に俺は気付いた。
彼が多くを語ってくれたのは、罪悪感からなのだろう。
俺は人間であり、そして彼が地底に追い遣った魔族でもあるから。
そして俺は問われた。
――お前はどこに帰りたいんだ、と。
わからなかった、帰る場所なんてなかった。
だから聞いた。
自分が魔族の血を引いているのなら、魔界へは行けないのか、と。
そして俺は、世界が繋がる扉のある鉱山内で扉を開くことが出来た。
リョウタロウさんは驚いていた、扉を開けるのは、強く、高い魔力を持った者だけだと言う。
本当に行くのか、と、彼に念押しされつつも、俺は興味本意で扉に入った。
自分が人間だと絶対に話すな、もし帰って来る場合は、魔界でも扉のある場所を見付けろと、その言葉を最後に俺は魔界に足を着けた。
そこで、俺はヤクヤと言う魔族に拾われ、魔界の現状を聞かされた。
俺はリョウタロウさんの言葉を守り、人間界の話はしなかった。
魔族達は俺を普通に魔族だと思っている。それ程、俺の中に流れる魔族の血は濃いのだろうか…
俺はしばらくヤクヤ達の元で過ごし、戦い方や生きる術を学んだ。
そして結構な月日が経った頃、ヤクヤ達は扉のある場所の話をしていたのだ。
ちょうど、付近にあるらしい。
それを聞いた俺は皆の目を盗み、その場へ一人向かって。
あの鉱山でしたように試してみた。
すると案の定、俺は人間界の鉱山に立っていて、そこには変わらずリョウタロウさんが居た…
少しばかりの月日が経ち、ヤクヤ達のお陰で自立した生き方が出来るようになった俺は、再び人間の世界で生きた。
生きて――…銅鉱山付近の村で見つけてしまった。
あの男を、…父親を。
しかし、それはまた異様な光景だった。
子供連れだったのだ。
見知らぬ子供を…連れていたのだ。
その子供は頬にガーゼを貼り、服で隠れてはいるが、チラリと見える傷や痣がある。
同じだった。
その子供はあの時の俺と同じく…男の鬱憤晴らしにされているのだ。
――…そこからが、俺の本当の人生の始まりだった。
俺は陰ながら男と子供の話を村人から詮索し、それから知った。
子供は、ユウタと言う男の子は、自分の腹違いの弟になるということを…
それから数日後、男はユウタを捨てて村から出て行った――…と言うことになっている。
俺は男に接触していた。
必要な情報を得る為に。
男は悲鳴混じりに言っていた。
穏やかなフリをして過ごしていた男は、ユウタが産まれてすぐに、本性を現した。
それを恐れたユウタの母親は危険を感じ、産まれたばかりのユウタを連れて逃げ出そうとした。
ユウタの母親を銅鉱山内に追い遣り、そこで、殺したんだと男は言った。
それを聞きたかったのだ。
弟の母親の死の原因を聞きたかった。
それだけでもう、下衆な男の存在なんて、当然必要なかった――。
それから俺はユウタに一度会い、人間界と魔界を行き来し、ヤクヤ達に生き方を学び、リョウタロウさん、レーツさんに諭されたり、それでも不道徳な仕事を担い、金を稼ぎ、たった一人の家族の為に生きてみようと思った。
恐らく、魔族の血を引いていたのは俺の母親なのであろう。
成長するにつれて、俺は人の纏う魔力と言うものを感じれるようになった。
ユウタは普通に人間だった。
俺と同じ境遇のユウタはせめて、俺みたいに汚れた人生を送らなくて済むように。
自由に、生きれるように…俺はそれだけを願う。
いつか、ユウタには話すべきなのだろう。全ての真実を。
ジロウにも、話すべきなのだろう。レーツさんから聞かされた話を。
しかし、やはり話すべきではないのであろう。
今更、ユウタに兄振る必要もない。
レーツさんの話も、彼女は言わないでと言っていた。
なら、言わなくていい。
俺がすべきことは、たった一人の家族に普通の生活をさせてやるだけ。
料理人になりたいと願うその夢を支援するだけ。
『帰れ、食ったら帰れ、二度と来んな』
『ばっか!なんでユウタはそんなこと言うんだ!』
『ジロウには関係ない!』
そう言いつつも、律儀に料理を俺に出して来て。
初めて食べたユウタの料理は、今まで食べたどんなものよりも美味く感じた。
母親の手料理も、ましてや父親の手料理も、俺は食べたことがないから。
だから、家族の手料理だからだろうか。
とても、美味く感じた。
料理の練習で指に絆創膏を貼っているユウタの生き方は綺麗だと感じた。
いつの間にか、俺の体は、醜い包帯だらけになっていた。