人間界の朝2

しん、と、沈黙が走る…

「…ジロウ、貴様」

苛立ったネヴェルの声。

「ふ……あははは!」

嘲笑うテンマの声。

ジロウが勢い良く、しかし不慣れな手付きでテンマに向けて振り上げた英雄の剣であったが、ジロウは結局、それを振り下ろせなかった。
ガタガタ震えた手で、剣を振り上げたままだった。

「む、無理だ……剣なんて、使ったことねえし、人を、こっ…殺すなんて…」

ガタガタ震え、情けなく涙を流すジロウに、

「クソッ、役立たずが!」

言いながらネヴェルは、動きを止める為にテンマの右腕に突き刺したままの魔剣を引き抜き、慣れた手付きで素早く、そして躊躇いなくテンマの心臓目掛けて魔剣を振るうが…

たったその一瞬。
右腕に突き刺した魔剣を引き抜いたその一瞬で、テンマは飛躍した。

「くっ!」

ネヴェルがそんな悪態を吐く頃には、テンマはジロウとネヴェルの立つ場所から間合いを取っていて、

「まあ、いいか。英雄の剣は後回しだ」

テンマはそう言う。

「長かった。あれから、長年掛かった……新米くんのお陰で僕は力を取り戻せた。君がこの場所に僕を連れて来てくれて、ここに張られた封印を解いて、僕は自由に動けるんだ」
「一体…何なんだ、貴様は?」

ネヴェルは得体の知れないものを見る眼差しでテンマを見た。

「だから、聞き飽きたよ、その質問は。じゃあね、君達はせいぜい、もはや英雄のいないこの人間界で、有り様を見ていればいいさ。はは、あはははは!」

そうして、テンマはまた笑って、姿を消した。

「転移魔術…」

ネヴェルは舌打ちをする。

「ぜっ…!はぁ、はっ…」

ガクッ、と、荒い呼吸と共に、ジロウはその場に崩れ落ちるように地面に手をついた。

「…ジロウさん!」

その様子に、ハルミナがジロウに駆け寄る。
彼女もネヴェル同様、岩壁にぶつかった衝撃で、額から血を流していた。

「ジロウ、貴様はとんだ腑抜けだな。今の人間とは、俺達を地底に追い遣った人間とは、こんなものなのか!?」

ネヴェルのその怒声に、

「過去は、過去です。ジロウさんは普通の人間です。それに、殺すだなんて…出来るわけ、ないじゃないですか!誰もが、あなたみたいなわけじゃ、ない」

ハルミナが反論する。

「貴様はまだ、あの魔族の餓鬼の話をするのか?」

魔界でネヴェルとハルミナが初めて会った日。
ラザルが殺そうとした魔族の子供をハルミナが助け、結局は、ネヴェルに殺されてしまった魔族の子供…

ネヴェルは深くため息を吐き、

「奴は、テンマと言ったか?何者かはわからないが、危険な存在だというくらいは貴様らにもわかるだろう。英雄の剣のことも、俺の魔剣のことも奴は知っている。そして、俺とハルミナのことも、な」
「それは…」
「だからこそ、得体の知れない奴だからこそ、さっきは仕留めるチャンスだった。それをジロウ、貴様が見逃した!」

ネヴェルの怒りは再びジロウに向く。
ハルミナはぶんぶんと首を横に振り、

「やめて下さい!どうして、そんなにジロウさんを責めるんですか?!」
「戦う術を持つくせに、戦わない腑抜けだからだ」
「で、でもっ!でも…」

地面に手をつき、俯いたままのジロウの背にハルミナは手を当て、

「私も……何も、出来なかった。だから、ジロウさんだけが、悪い訳じゃ、ない…!」

ハルミナは目に涙を溜め、ネヴェルを睨んだ。

「チッ!貴様らを見ていると苛々する…!」

ネヴェルはそう言いながら、右手を前に突き出し、しかし、

「な……んだと?」

何かに驚愕する。

「…?」

そんなネヴェルの様子に、ハルミナは首を傾げた。

「扉が、開けない…?!」
「扉…」

ネヴェルのその言葉をハルミナは考え、魔界への扉だと言うことを理解する。

魔界、天界、人間界。
それぞれの扉を開けるのは、魔族は上魔、天使は上級天使と言った階級のみ。
ネヴェルは上魔のはずであるが…

(テンマは、奴は…)

――もはや英雄のいないこの人間界で、有り様を見ていればいいさ

そう、言っていたことを、ネヴェルは思い出す。

「人間界で……だと?奴の、仕業だと言うのか?!」

ネヴェルは言い、ジロウの方を見て、

「おいジロウ!貴様、その剣を使え!その剣ならば、魔界だろうが天界だろうが、転移できる!」

言いながら、ジロウの肩を掴んだ。
しかし、ジロウは首を横に数回振り、

「お…オレには、無理だ、この剣を、使いこなせな……ぐぁっ!?」

――ドガッ!

ジロウが言い終わる前に、ネヴェルはジロウの頬を殴った。
その衝撃でジロウは地面に叩き付けられる。

「ジロウさん!ネヴェルさん、あなたという人は…!」

ハルミナが怒り口調でネヴェルに言うが、ネヴェルはもう、ジロウにもハルミナにも興味は無く…

「くそ!!リョウタロウめ!!なぜこんな人間に…!」

ネヴェルは黒い翼をバサッと広げた。

「ね、ネヴェルさん!?何処へ…」
「貴様ら愚図に構ってられん。そいつが剣を使いこなせないんなら、俺は俺の方法で魔界へ行く術を探す」

そこまで言って、ネヴェルは銅鉱山内を飛んで行ってしまって…

「ネヴェルさん…まだ、怪我の治癒もしていないのに…」

ハルミナはそこまで言い、ネヴェルに殴られ、地面に座り込んだままのジロウに目を移す。

「ジロウさん…大丈夫、ですか?」
「…ごめん。オレのせいで、ハルミナちゃんにも、ネヴェルにも、嫌な思い…させちまって…」
「そんな…」

魔界で、ハルミナはジロウから聞いていた。
テンマとの出会いを。
トレジャーハンターの、パートナーの話なども。

「なんで、ネヴェルはあんな簡単に、人を刺せるんだろう?殺せなんて、言えるんだろう」
「それは、彼の性格上…」
「いや、違う、か…」

ジロウは顔を上げ、

「あいつは、ヤクヤのおっさんや、レイルの親父さんと同じく、世界が一つだった時代から生きてるって、言ってたな」
「え、ええ…」
「ネヴェルは、大変な時代から、生きてんだ…」

ジロウはぽつりと呟く。

「人間が、人間だけを救って。魔族と天使はたった数人しか生き残れなくて。想像つかないけど、戦いや、死、そんなんばかりの時代にネヴェルは居て、生き残ったんだよな。地底に追い遣られ、人間を憎んで、あんな暗い世界で、長い間、生きてたんだよな…」

言いながら、ジロウは涙を再び溢す。

「あいつから見たら、オレは本当に、腑抜けなんだろうなぁ」
「ジロウさん…」

つられて、ハルミナもまた、泣いてしまった。

(なら、なら。リーダーやミルダさんも、あの時代の天使だとヤクヤおじさんは言っていた…。でも、あの時代に生きたからって、今も誰かを傷付けることは、許されるの…?)

ハルミナは考え、しかし、答えは出ない。
自分も、あの時代を話や書物でしか知らないから。
どれ程、過酷な時代だったかを、実際は知らないから…

「…ハルミナちゃんも、行きなよ」
「え?」

すると、ジロウがそんなことを言うので、ハルミナは疑問を返す。

「ネヴェルと一緒に、魔界や天界に帰る方法、探してきなよ」
「なら、ジロウさんも…」
「オレは、人間だから。このまま、自分の世界に…」

そう言ったジロウに、

「英雄の剣を持ったままのあなたを一人にするなんて、また、テンマ…さんが来るかもしれません。危険すぎます」
「オレが何したって、足手まといだ。剣を振るえない、ましてやこの剣にあるって言う力も引き出せない。だってオレは昨日まで魔界も天界も何も知らない、ただの人間だったんだから…」

その言葉が正論すぎて、ハルミナはギュッと唇を噛んだ。しかし、

「レイルさんとも、約束したじゃないですか。英雄の剣を、護れって」
「でも、レイルは…あの、真っ黒な奴らに…」

黒い影に飲み込まれたレイルの姿が鮮明に甦る。

飲み込まれた人々がどうなるのか、ハルミナにもわからない。
天界で黒い影について話を詳しく聞きたいが、戻る術もなく。
だから、安易にレイルは無事かもしれない、なんて気休めみたいなものは言えなくて…

「英雄リョウタロウと、結局ちゃんと話せず、オレに剣を渡して死んじまった。オレが…テンマを連れて来たから…」

ジロウを魔界に落とした力こそが、リョウタロウの死の原因だと。
英雄の剣なしに、リョウタロウは自らの力で魔界の扉を開いたからだと、テンマは言っていた。

「違います、ジロウさん。魔界で私が話したことを覚えていますか?あなたを巻き込んだのは、紛れもなく、私の責任です」
「いや、だから、ハルミナちゃん、それは違…」
「違いません。私との出会いが、偶然とはいえあなたを巻き込んだ」

昨日、魔界で話したことを、ハルミナは再び言う。

ハルミナに出会い、羽を拾った日から、ジロウはトレジャーハンターの職にやる気を出した。
そしてテンマに出会い、リョウタロウ、英雄の剣を手にし、魔界に来ることになってしまった。

「あなたは、あの時に私に会えて良かったと言ってくれましたね。変わらない毎日のままだったって。でもきっと、今のあなたは後悔している…。そうですよね、ジロウさん」
「…っ!?」

ジロウはそれに言葉を詰まらせる。
…変わらない毎日がどれ程、平和だったか。
天界や魔界、ましてや英雄の実在を知らない日々はどれ程、平凡だったか。

「私を助けれくれた天使が居ると話しましたよね。その人もジロウさんと同じく、自分の人生は私に出会って変わったと、私に会えたことを良かったと言っていました。でも結局、それは本当だったのか。私は、その人の人生を…滅茶苦茶にしてしまったんじゃないか。そう、思うんです。全部、魔界に行きたいっていう、私の我が儘が原因です…」

ハルミナは俯きながら話し、

「だから、その人を、今度は私が助けたい。同じように、ジロウさん。あなたのことも…巻き込んでしまったあなたを、私は…」
「あーもう!!ほんっと、ごめん!!!」

それまで弱気な態度だったジロウは、急に声を大きくし、

「よし!とりあえずまずはここから出て外に行こう!」
「え?あ、あの……ジロウ、さん?」
「腹も空いたし、オレん家でなんか食って、ネヴェルを捜して…それから…」

戸惑うハルミナを余所に、ジロウはどこまでも明るく振る舞い、そして、少しだけ寂しそうに笑って…

「ちゃんと考える。どうしたらいいか。ネヴェルの、人間を恨んでるんであろう、あいつの気持ちも、ちゃんと考えて、レイルの思いも考えて……テンマのことも、なんとかしなきゃ」

その場に座り込んだままだったジロウはようやく立ち上がる。

「って!あ!よく見たらハルミナちゃん、額から血が流れてるじゃん!あれか!テンマに吹っ飛ばされた時か!?くそー!あいつ、ヒデェことしやがる!」
「え?あ、こ、これくらい、治せますから…」

ハルミナは慌てて自分の額に手を翳し、治癒魔術を使って傷を治し、綺麗に血も消えた。
ハルミナの顔もまともに見れない程、ジロウは参っていたようだ。

「…なんか、弱音ばっか吐いてごめんな。そりゃ、ネヴェルもキレるよなー」

ジロウは苦笑し、早くここから出ようと言う風にハルミナの手を引く。

(なあ、リョウタロウ。命を懸ける程に、英雄の剣って重たいんだな。それに、理由はわからないが、テンマに渡してはいけないからこそ、オレなんかにこの剣を託したんだな)

リョウタロウに出会い、剣を手にしたこの場所をジロウは横目に見ながら、

(あんたみたいに、オレはこの剣を、護れるのかな…?)


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