英雄がいない世界で3

「彼女が、お前の母だ」
「……」

あの日、銅鉱山の最奥で見た、綺麗な赤い髪をした、眠るように死んでいる少女の亡骸。
巨大な黒い影が消え去った後、ネヴェルはナエラを連れ、ヤクヤ、カーラ、ミルダと共にメノアの待つ銅鉱山の研究所に訪れていた。

「…メノアちゃん」

かつての友の、何一つ変わらない美しい面影に、カーラは涙を堪える。

「……」

心臓の在る部分、胸にぽっかりと穴を開けたメノアの姿に、ミルダは瞳を閉じた。

「メノアは、最期の時までお前を腕に抱いていた。魔王の、テンマの攻撃からお前を守ったんだ」

ネヴェルの言葉に、まだ状況を整理しきれないナエラは無言でメノアの亡骸を見つめるだけで……

「……」
「どうした、ヤクヤ」

ヤクヤが急に口元に手を当て、気分の悪そうな表情をしたのでミルダが聞けば、

「いや……すまん、…少し、出てくるかのぉ…」

と言い、ヤクヤは研究所の外に出たので、ミルダとカーラは不思議そうに顔を見合わせる。

メノアの姿を、ネヴェルとメノアが共に居るのを見た瞬間、ヤクヤの中で薄れていたかつての思い出たちが色鮮やかに込み上げてきた。

ーー……ぽんぽん。
と、頭を撫でるように叩かれる感触。温かい手。
それに触れられる度に、ヤクヤは落ち着きを取り戻していた。

ーーヤクヤ、お前は本当に魔術にかかりやすい奴だから、気を付けるんだぞーー

レディルの言葉が、甦る。

「そうか……」

ヤクヤは呟き、

「レディル……あの時、お前は……俺に術を掛けたのか…」

ーーお前は私にとって、大事な友人であり、仲間であり、家族だった。私とお前、ネヴェルとメノア。私達は、かけがえのない家族だ。…いつまでもーー

そう、家族。
ネヴェルとメノア。寄り添う家族の姿を見て、まるで魔法が解けたかのような気分にヤクヤは陥る。

「レディル、何も記憶を薄れさせなくても良かっただろうが…」

ヤクヤはそう呟いた。
だが、ヤクヤが昔のままのヤクヤであり、その状態でレディルが居なくなってしまったら、『フリーダム』は生まれなかったし、ヤクヤも他人の為に拳を振るわなかっただろう。

「……レディルよ。俺は、お前の為に生き、お前の傍で……最期を迎えたかった」

その頬には、最愛の友であり、最愛の家族の為に流した涙の痕が残っていた…

ーー……
ーーーー……

ナエラはメノアを母と呼べずに、ましてやネヴェルを父と呼べずに……
今でもそれを消化できずに、人間の傍で生きている。

ーー……
ーーーー……

銅鉱山の近くにある村。
フライパンや鍋を交互に動かし、食欲をそそるような香りが充満する。
そこは小さな食堂ではあるが、そこそこに客は入っていた。

ギィッーー…と、入口が開かれ、

「おー、今日もなかなか賑わってるわね」

新たな客が入る。

「エメラさん。ラダンさんも」

と、あれから数年。少しだけ逞しく成長したユウタ
が厨房から顔を覗かせて言った。

天界ではなく、人間界でジロウの目覚めを共に待つことを選んだエメラとラダン。
天使の服を脱ぎ、すっかり人間界に馴染んでいた。

いや、ジロウを待つだけではなく、二人で決めたことがある。
ーーそれは、天界を発つ前日。

「せやけど驚いた。エメラ、お前はカーラの傍に居たがると思ったんやけどな」
「あんたこそ、あっさりウェルに告ってフラれてたから逃げ出すだけじゃないの?」
「ちゃうわ!」

新たに生まれ変わった天界。
その酒場で二人は酒を酌み交わしながら今後の話をしていた。

「でもなぁ、やっとウェルさんに言えてスッキリしたわ。言わんまま人間界に行ってたら、多分、モヤモヤしてたはずやからな」
「そ」
「……それより」

ラダンは俯き、

「必ずまた後でって、ジロウと別れたっきり、俺は会えんままやったなぁ…」
「まだわかんないわよ?」

エメラは酒を口に含み、

「だって、ジロウはちゃんと帰って来たじゃない。今はまだ、寝てるけど」
「……」
「それに、ジロウを傍で待たなきゃいけないガキ達の為に、大人であるあたし達二人がガキ達の様子も見守るって決めたんでしょ。あたし達はもう、大事なものは捨てたわ。だから、天界に未練はないんだから」
「……せやったな。カーラや嬢ちゃんは天界におらなあかんからなぁ」

俯いていた顔を上げ、グラスに入った酒をラダンは一気に飲み干しーーバタンッと、テーブルに突っ伏した。

「あんたさぁ、酒弱いんだから今のは無茶でしょ」

エメラはため息を吐き、呆れ口調で言う。

「でも……辛いよなぁ……ユウタとナエラの辛さはわかる。それをこれから傍で見るのも、辛いなぁ…なんつーか、可哀想って言うか……」
「何が言いたいわけよ」
「…いや。ただ、せめて、ユウタやカトウが生きてる間に、目覚めてくれるやんな?あと、ジロウを育てた夫婦も……」
「……」

それからラダンは寝てしまった為、会話はそこで終わり、エメラは、

「誰にもわかんないわよ、そんなの。第一、なんで寝てるのかわからないんだから。もしかしたら、今日起きるかもしんないし、明日かもしんない」

そう、一人で呟いた。

季節が巡るごとに、ジロウを待ち続ける人々は前に進めるのだろうか。
エメラとラダンはそれを危惧していたが、でも。


「立派になってくれて、ほんま安心やな」

ユウタの店に入り、席に着きながらラダンが言い、頷きながらエメラはその隣に座る。

「まあ、逆にナエラが心配ね。ほとんど家にーージロウの傍に居るんだから」
「また後で様子を見に行くとするかな」

そんな会話を背に、客達の注文を聞きながらユウタは一人で店を切り盛りしていた。

(そろそろ誰か雇うかなぁ)

そう、思える程度に。

ユウタの料理の腕は益々上達していた。
いつか、食べさせたい人達が居るから。

もちろん、ジロウに。
ジロウが目覚めた時、美味しいものを食べさせたやりたい。ずっと寝ていたら、起きた時に腹を空かせているだろうから。

そして、タイトとスケルに。
全てが終わった後、なんの会話もなくタイトは姿を消していた。もちろん、相変わらずユウタは腹を立てたがーー……

スケルに聞かされた。
タイトがユウタの為にして来た全てのことを。
父殺しの真相を。
スケルはタイトから、幼いユウタを影から見守ってくれと頼まれていたーーと。

それを話し終え、スケルもそれっきり姿を消してしまったが…

(俺は、自分の事で頭一杯なガキだった。でも、今はわかる。俺は……ずっと守られていたんだな。心のどこかでは、わかっていたんだ。でも、意地になって、何も変わろうとしなかったのは俺だ)

ユウタが物思いに耽っていると、

「ラダン様、やっぱりラダン様だわぁ!」
「げっ」

そんな賑やかな少女の声と、ラダンの嫌そうな声が聞こえた。

ラダンの右隣の席にはいつの間にかウェーブのかかった茶髪をツインテールに結んだ可愛らしい少女が座っていて……



彼女はジロウの家の隣に住んでいる少女。歌を歌う仕事をしており、仕事上、いろんな地域に足を運んでいる為、たまに会う程度だ。
ラダンがエメラと共に人間界に移住して来た日、色々あって、ラダンが少女を助けたーーなんて言う、ありきたりな事があって。
それっきり、彼女はラダンに惚れ込んでしまった。

しかし、ラダンのタイプと言えば、ウェルだ。全くタイプの違う、ましてや人間の少女にアタックされても迷惑がる程度である。

「うおっ!寄るなって!エメラ、助けてくれ!」
「えー?いいんじゃない?あんたのこと好きなんて言ってくれる子、なかなか居ないんだし」

そんな会話を繰り広げていると、コトッーーと、テーブルに皿やコップが置かれた。

「ちょっと、あたし達まだ注文してないでしょ。てゆーかなんで……」

エメラはテーブルに置かれたそれを見て、

「なんで、おにぎりなわけよ」

…と。
それに、ユウタは笑い、

「愛情を込めたから」

そう、ユウタは答えた。
それは、スケルから聞かされたとある女性の印象的な言葉である。
それを知らないエメラとラダンは不思議そうな顔をするだけであった。

(いつか、俺はスケルにもタイトにも、ちゃんと謝らないとな。でも、ちゃんと事実を話してくれなかったことは今でもムカついてるけど)

相変わらず、毎月タイトから送られてくる仕送り。今は、昔と違い、仲間と共に仕事をしているはずだから、次に会う時はきっと、タイトは以前のように傷だらけで帰っては来ないだろう。

(ったくよ。俺はもう、仕送りなんかなくても立派に稼げるようになったっての)

ユウタは厨房に戻り、ちらりと、窓から見える友人の家の方を見つめた。

ーー……
ーーーー……

ジロウの両親であるという人間。
実の親ではないが、ジロウを愛し、育てたという。
ジロウの家ーー……ボクは今、そこに住ませてもらっている。

巨大な黒い影から解放されたジロウの両親は、息子の姿を捜していた。
それについて、タイトが全てを話していた…
耳を疑うような、信じられない話だっただろう。

けれど、ジロウの両親とタイトは知り合いであった。
それに、赤ん坊のジロウとの出会いも、不可思議な出会いであった。
そして、レーツ。
ジロウの両親は、レーツを知っているのだから…

全てを聞かされた二人は泣き崩れていた。
そして、今はもはや居ない、レーツに感謝した。
ジロウに、巡り会わせてくれたことを。

二人は、ジロウ……いや、テンマの姿をした眠る子を、我が家に連れて帰ると言った。
ジロウとテンマが同一の魂なのであれば、どんな姿をしていても、この子はジロウなのだと言って。

そうして二人は、ずっとジロウの傍に着いて居た、魔族であるボクを招き入れた。まるで、自分の子供のように接してくれる。
きっと、ジロウもこうして二人に育てられたのだろう。

ジロウは未だ目覚めない。
ベッドの中で眠り続けている。

ボクは息を吐き、消化しきれていない様々なことに思いを馳せた。
ボクは確かに、ネヴェルちゃんを愛していた。
魔界で魔族らしく生き、さ迷い続けていたボクを殺さずに連れて帰り、なんだかんだずっと傍に居て……
ボクからしたら、限りなく恩人だった。
でも、ネヴェルちゃんは最初からボクが娘なんだと気付いていた。

でも、今更ネヴェルちゃんを父親だなんて頭が追い付かない。
それに、母親のことも。

いつか時間が過ぎて、ボクが事実を受け入れられる日が来るのだろうか。今はまだ、難しい。

「だいぶ参っているようですね」

背後から聞き覚えのある声がして、でもボクは振り向かなかった。

「お前……姿を消したままだったけど、生きてたのか」
「ええ。まだ少し、やることがあるのでね」
「やること?」

ボクの疑問にそいつは答えない。ただ、静かに眠る少年を見つめていて……

「この体、どうやら身体の成長が止まっていますね。眠っていると言うより、止まっていると言う方が適切ですかね」
「止まっている?どうして、目覚めないんだろう」

ボクの言葉に、

「恐らく、体の主が目覚めを拒んでいるのでしょう。テンマさんかジロウかーー何か、葛藤があるのでしょうね」

男ーースケルはそう言い、

「ナエラ、でしたね」
「……」
「彼が誰なのかはわからない。それでも貴女は待ち続けることができますか?見た目はテンマさんです。中身はわかりません。外見や中身がもし、待ち人と違っても、貴女は耐えることができますか?」

聞かれて、ボクは、

「お前も聞いてただろ?ジロウは必ず帰ると言い、こうして帰って来てくれた。そして、テンマのことも受け入れてやってくれって、約束したから。ボクは待ち続けるわけでも、耐えるわけでもない。ただ、約束を守るだけだよ」

そう言ったボクを、スケルは微笑しながら、

「ですが、テンマさんは貴女の母親を殺めた張本人です」

そう言われ、ボクは母ーーメノアの胸にぽっかりと空いた穴を思い出す。
ボクが言葉を返すより先に、

「レーツさんもリョウタロウさんも驚くでしょうね。息子の傍に居るのが、魔族の少女だなんて。いやはや、私も本当に予想外でした。でも、これで良かったんでしょうね」
「?」
「ジロウの身近な少女達。カトウと言う娘は人間ですから長くは生きれません。ハルミナも天使ですが、命を一度削っている。ならば、貴女が一番永くを生きる可能性が高い」
「……何が言いたい?ジロウが目覚めるのが、ずっとずっと先だとでも?」

ボクが疑問を含めて聞くと、

「いいえ、そうではありません。ただ、貴女に頼みがあるのです」
「頼み…?」
「はい。きっと、まだまだ先の話ですが」

そう言って、スケルはボクに頼み事をした。本当に、本当に、途方もない話。いつになるかもわからない、頼み事。

「では、頼みましたよ」
「お前、ユウタに顔を見せないの?」
「タイトの弟にですか?」
「ユウタは、お前にも、タイトにも、会いたがっていた」
「ふむ」

スケルは頷き、

「生憎ですが、私はもうここには戻りませんし、会う必要もありません。ですから、私は死んだものだと思って下さい。あと、それから…」
「何?」
「ジロウの両親……実の両親ではありませんが、お二人に接して、貴女には親心と言うものが見えましたか?」

ボクは、親というものがわからない。育てられたことがないから。
それを踏まえた上での問い掛けなんだろう。

今も、よくはわからないけれど、ジロウの両親がジロウに注ぐ愛。
そして、実の両親であった、リョウタロウとレーツがジロウへ注いだ愛。
ラダンとエメラから聞いた話だけど、どのような形であれ、ミルダとハルミナが親子として生き始めたこと。

そういったものを、ボクは見て、聞いてーー……

「貴女が何を感じているかは知りません。ですが、貴女が感じていること。それが……ネヴェルと貴女の母が、貴女に与えた、もしくは与えたかったものだと私は思います」
「お前…」
「…私も、親というものをリョウタロウさんとレーツさんを通じて未だに歪にしか理解していません。ですが、貴女にはまだ、ネヴェルが居ます。私はもう、何も取り戻せませんが、貴女にはまだ、取り戻せるものがある」

なぜ、スケルがこんなことを言うのかはボクにはわからない。

ただ、あの日。
メノアに会いに行った日。
ネヴェルちゃんは泣いた。ボクはそんなネヴェルちゃんの姿を初めて見た。
泣いて、ボクとメノアに謝り続けていた。
ネヴェルちゃんは、一体どれだけのものを今まで独りで抱えてきていたんだろう。

ボクは、何も言えなかった。泣くことも、出来なかった。
彼らが親なのだと、まだ、認めることが出来なかったから。

でも、これからここで、魔界にはなかった様々な温かい感情に触れていけば、ボクはいつか、認めて、母の死を理解し、父のことを理解し、泣くことが出来るのだろうか?

「さて、では、私はもう行きます」

スケルはそう言い、ボクの後ろ姿と、眠る彼を見つめ、

「私は少し後悔しています。結局、ジロウには実の両親のことも、テンマさんとのことも、話すことが出来ませんでしたから。……では、ジロウとテンマさんを、よろしくお願いします。さようなら」



それだけ言い、部屋から気配を消した。

ボクはただ、静かに眠る彼を見つめる。

「ねえ、ジロウ。私はどうしたらいいのかな。魔界ではただ、必要ないものを壊すだけだったから。生きるって、難しいことが多いんだね」

返事はないが、そう語り掛けた。
しばらくして、ユウタとラダンとエメラ、ラダンにくっついている人間の女がやって来て。
ジロウの両親がそれを出迎える。

賑やかになった場所にボクは振り向き、

そしてーー……


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