英雄がいた世界で

「結局、あの人に再び会うことは叶いませんでしたが、悔いはありません」
「…まだわからないだろう?」

その言葉に、彼女は皺だらけの顔で、若き日のようににこりと笑った。
あの日の会話が、交わした最期の会話だった。

光の射し込まない、銅鉱山の墓標の地。
以前よりも墓標の数は増えていた。
ここで亡くなった者や、ここに墓標を建ててほしいと自ら願った者ーー様々である。

墓標を見つめる男ーーネヴェルの背後から、

「お久し振りですね、ネヴェルさん。まさかこんな形で久々に会う形になるなんて」

そう声を掛ける女性がいた。

「お互い、薄々わかっていたことだろう?」

ネヴェルは振り向き、女性ーーハルミナに言う。出会った頃のように、ハルミナの髪はまた、長く伸ばされていた。

あれから何十年も経ったのに、ジロウ、テンマはまだ目覚めない。
残酷にも月日は過ぎていき、先日、人間界で暮らしていたエメラやラダンから、ネヴェル、ハルミナ達に報せが届いた。

生まれ故郷で、カトウが息を引き取ったという報せだ。
数年前には、ユウタもその一生を終えている。

ユウタは生まれ故郷、銅鉱山付近の村にて生涯を過ごし、腕が動き続ける限り、立派な料理人として生きた。
そんな彼を、エメラ、ラダン、ナエラは傍らで見送った。

ーー……結局、誰も帰って来なかったけど、最期まで、好きなように生きることが出来た。

ユウタはそう、語ったらしい。
言葉通り、ジロウも、スケルも、タイトも、ユウタの前に帰って来なかった。
それを、エメラ達は歯痒く思っていたが、

あなた達が居てくれて、楽しかったーーと。
自分の代わりに、待ち続けてほしいーーと。

ユウタはそれを願い、息を引き取った。
最期の最期まで、エメラはユウタの手を握り続けていたのだという。
あの日々の中で出会って以降、まるで姉弟のように話している二人の姿があった。
二人の間には何かしらの絆があったのだろうとラダンは話しーーラダン自身も人間の少女に追いかけ回されていたが、何だかんだで世話を焼いたり焼かれたりしていたらしく。
その少女も数年前に逝ってしまったが、最期までラダンは共に居たのだと言う。

長きを生きる者が人間の一生を傍で見るのは辛いものであったが、エメラもラダンも、後悔はなかったと話した。むしろ、自分の知らないところで逝ってしまわれていたら、それの方が辛かったかもしれないーーと。

その言葉を思い出し、確かにそうかもしれないとネヴェルは感じた。

カトウは壮年期を終えた辺りに商人として世界を駆けるのをやめ、実家の店を継ぎ、故郷の村で商人として生きた。
時折、友であるカトウに会いにネヴェルは村に訪れ、綺麗になり、弱々しくなり、最後にはベッドの上で過ごすことが多くなるまでの彼女を目にする。

ベッドに横になったまま、カトウは話した。

「結局、あの人に再び会うことは叶いませんでしたが、悔いはありません」
「…まだわからないだろう?」

その言葉に、彼女は皺だらけの顔で、若き日のようににこりと笑い、

「ネヴェルちゃんや皆さんが、あの頃の姿のままで、私は安心できます」
「?」
「皆さんは、まだまだ生きていてくれる。だから、ジロウさんが、テンマさんが帰って来た時に、二人は、一人ぼっちじゃないから」
「……」

思わず、ネヴェルは年老いたカトウの笑顔から目を逸らす。

「お前はこれまでよく頑張った。頑張って待ち続けたんだ。だから、まだ諦めるな。お前が生涯で唯一愛した男の帰りを、一緒に待とう」

少しだけ裏返ってしまったネヴェルの声にカトウは気付き、彼女は僅かに動く腕を伸ばしてネヴェルの手に触れた。

「…もう、いいんですよ。ありがとう、ネヴェルちゃん」

カトウは微笑む。
何の礼なのかーー……それでも、心のどこかではまだ待ち続けているはずだ。ネヴェルはそれを思うと何とも言えない気持ちになる。

「また、会いに来る。今度はハルミナも連れてこよう。だから、待っていてくれ」

ーー諦めずに、まだ、生きてくれ。

それが、交わした最期の会話だった。

それから一週間後、ネヴェルが再びカトウに会いに行く前に、彼女は老衰でこの世を去る。

そうして、この墓の前で、ネヴェルはハルミナを連れて、カトウに会いに来た。
カトウの家ーー彼女の部屋には遺書があったが、いつ書かれたものかはわからない。
だが、それはネヴェルに宛てられたものだった。

自分の墓を、銅鉱山内の墓標の地に建ててほしいと綴られていて。
カトウにとって、銅鉱山は特別なものであった。
ジロウとも、テンマとも、銅鉱山の前で出会ったのだから。
ユウタの骨も、カトウの骨も、この場所に在る。

ハルミナは墓に手を合わせ、軽く別れを済ませた。そうして、カトウからの遺書に目を通したままのネヴェルの横顔を見つめ、先に銅鉱山を出る。


ーー遺書に書かれていたのは、やはり大半がジロウとテンマに対しての想いであった。
会いたいという思いと、会えて良かったという思いと。
テンマへの淡い初恋と、しかし、ジロウにも惹かれていたのだと綴られている。
同一の魂ーー知らず知らずの内に、カトウはその魂を好きになっていたのだった。

そんな内容を読む度に、カトウが二人に会えなかったことが悔やまれて仕方がない。

そうして、最後の方に書かれた文。
ネヴェルは最もそれに心を痛めた。

『待ち続ける日々は辛いものだったけれど、商人として世界を駆けて、日々、優しくなっていく世界をこの目で見て、あの人が、私達の英雄が願った世界が実現していってくれて、あの人が生きた証がこの世界にはたくさん散らばっている。
あの人は未だ目覚めないけれど、でも、あの人はいつだって、ここにいた。

世界にいた。

だから、私は寂しくはなかった。

それに、いつだって、あなたが居てくれましたね。

最初からあなたは優しい人だと知っていたけれど、あなたは時が過ぎても優しいままのあなたでした。

この歳になって、人生を終える頃になって、私はようやく身近に在る優しさに気付けました。
だから、もう、いいんですよ。もう、良かったんですよ。

こんな年寄りになっても変わらずに接してくれて、ありがとう。

遠出できなくなってしまったこの体で、あなたとお話をするのが何よりの楽しみでした。

いつだって私を守ってくれた、助けてくれたあなたは、まるで英雄のようでした。

どうか、まだ続くのであろうあなたの永き人生を、ナエラさん達と共に幸せに生きて下さい。
そしてそこに、ジロウさんとテンマさんの姿が在ることを願います。

ネヴェルちゃん、本当にありがとう。』


くしゃりーー。
震える手で遺書を握り締め、

(結局、メノアやレディルの時と同じだな。俺は、大切にしたかった者に、結局、何もしてやれない。カトウ、俺は英雄などではないさ。むしろ、お前の生き様が……人としての生き様の方が俺には眩しく、それを全うし、俺に見せてくれたお前の方が余程、英雄に近い)

かつて、メノアに贈ったペンダントを、あの日、カトウに預け、無事返して貰ったペンダントを、もはやこの先、渡す相手などいない。

だからこそ、

(お前が、持って逝ってくれ)

ーーと、カトウの火葬の際、共に棺の中に入れた。

ーー……
ーーーー……

あれからもずっと共に行動することになった三人には『馬鹿だな』と言われ続けていた。
けれども、自分で決めたことなのだから、悔いはない。

銅鉱山の入り口に、男はそっと花を置いた。
魔族と人間の血を持つこの身は、結局、人間とは別の時間を歩むこととなっていて。

腹違いの弟は、仲間に囲まれて幸せに生きたと聞いた。
それだけで、良かったのだ。

(ユウタ、ありがとう。お前という存在が居てくれたから、俺はこれでも幸せだった。例え、傍に居れなくても、だ。お前は怒っていたかもしれないがな)

遠くから、三人の魔族が男ーータイトを呼ぶ。
あれから結局、ラザルもウェルに一切会っていない。
だが、二人は自分達とは違う。
同じ時間を生きれるのだから、まだ、機会はあるだろう。

タイトは今一度だけ銅鉱山に振り向き、

(だが、せめて……ユウタ。ジロウに会えたら、良かったのにな)

それだけが、悔やまれた。

そうして、タイト達が去ってからしばらくして、ネヴェルは銅鉱山から出て来た。
入る前はなかったはずの、銅鉱山の入り口に置かれた花。
誰が置いたのかはネヴェルにはわからなかったが、きっと、誰かが誰かの為に供えたものだろう、とは感じた。

村の方まで行くと、途中の道でネヴェルを待っていたハルミナの姿を見つける。

「もう、いいんですか?」

ハルミナに聞かれ、ネヴェルは静かに頷いた。

二人が会うのも少しだけ久し振りであり、お互いに近況を話し合いながら歩く。

レイルが立派に魔界を治めており、それをヤクヤとネヴェルが中心になって支えているーーだとか。

天界でも、皆、変わりなく過ごしているーーだとか。

「フェルサはまだ、生きているか?」
「はい。記憶はやはり、戻ることはなさそうですが、それでもまだ、生きていてくれています。ウェルさんが看てくれますし、父も、マシュリさんも、私も、やれることはしています」
「そうか」
「はい。マシュリさんもマグロさんが元気に引っ張ってくれていて、凄く元気にしていますし、あの日々が……今では本当に嘘みたいで」

そう言って、ハルミナは寂しそうに笑う。

「カーラはどうしている?相変わらずお前にくっついているのか?」
「ええ。カーラさんは、相変わらずですよ」
「だいぶ前にお前にプロポーズしたと聞いたが、どうなった?ヤクヤが心配していたぞ」
「さて、どうでしょうね」

そんな他愛もない会話をしながら、ジロウの家の前に着いた。
ジロウを育てた夫婦は数十年前に他界し、今ではここにナエラと、眠ったままの彼が住んでいるだけ。

玄関のチャイムを鳴らすと、しばらくしてからナエラが出迎えてくれた。

「お父さま、ハルミナ、久し振りだね!」

ーーと。

ジロウを育てた夫婦が他界した後から、ナエラはネヴェルを‘お父さま’と呼ぶようになった。
ジロウが目覚めない間も、夫婦はナエラと日々を過ごし、その中で少しずつ、ナエラは親の愛と言うものを見出だしていた。

家の中にはすでにラダンとエメラが居て。人間界で暮らし続ける二人は、こうやって毎日ここに様子を見に来ている。
ハルミナとネヴェルはしばらく二人と談笑し、それから、ナエラと共に奥の部屋に向かった。

ーー変わらぬ姿で眠り続ける彼。

世界が、人々が変わっていく中で、彼だけが何も変わらない。

ハルミナは滲む涙を拭い、ネヴェルは眠る彼にカトウとユウタのことを語った。

しばらく眠る彼に二人は語り掛け、部屋を出る。

そうして、ラダン、エメラ、そしてナエラに別れを告げ、またここに訪れることを約束した。

「じゃあ、ネヴェルさん。私は天界に戻りますね」
「ああ」
「…またきっと、三人で話せる日が、来ますよね」

ハルミナはあの日、ジロウと初めて出会った日に彼から貰った銅石を未だ大切に持っており、それを取り出して空に掲げる。

「ああ、俺達は、約束をしたんだ。必ず叶うさ」


ーーせっかく世界は一つになったし、こうして出会えたんだ。全部終わってもさ、またこうしてゆっくり話をしたいよな。今度は、平和な世界で。友達として…さ!

ネヴェルもハルミナも、あの日の夜にジロウと交わした約束を、未だ覚えていた。
いつの日かきっと、また、三人で。

ーー……
ーーーー……

二人が帰り、ラダンもエメラも帰った家の中は、一気に静かになる。
ナエラは小さく息を吐いた。

数十年前、最後にスケルに会った日、彼に頼まれたことを思い浮かべる。

あれ以来、スケルは本当に姿を現さなかった。

『もうここには戻らない、死んだものだと思え、さようなら』ーースケルはそんな言葉の数々を残していったが、彼の生死は未だわからない。
人間であるからもう死んでいる可能性は高いが、ネクロマンサーとして、自らの体も何かしら弄っていたとしたら……
もしかしたら、スケルはまだどこかで生きているんじゃないだろうか、なんて、ナエラは考えてしまう。

ナエラは眠る彼の部屋に再び入り、椅子に腰掛けた。

「ユウタに続いて、カトウも逝ってしまったよ。二人共、凄く会いたがってたよ。君も、二人に会いたかったよね…」

そう言って、ナエラは彼の手を握る。
ーー生きている、眠る彼の手は、ちゃんと温かかった。

「ジロウ」

その名を呟き、しばらくしてナエラはそのまま眠ってしまった。

夢を見たような気がする。
夢にしては、妙に生々しさもあったが…

聞き覚えのない声が頭の中に広がる。
誰かに抱き締められている温もりを感じる。


ーーあなたと、この娘と、もっとずっと居たかったから。

産まれたばかりの'あなた’あなたにもいつかきっと、素敵な巡り合わせが訪れることを、祈っているわ。

私――本当に幸せだった…!

心から――……


知らない声なのに、なんだか懐かしさを感じる。そうだ、これはーー。

(お母さ……ま)

ギュッと、誰かが手を握り返してくれたような気がして、ナエラはハッと目を開けた。
眠る彼の手を握ったまま、寝てしまっていたようで。
だが、その手が、握り返されている。

(あれ?寝惚けてるのかな…)

寝起きでぼんやりする頭をゆっくりと働かせ、恐る恐る顔を上げた。
するとーー

驚くような金色の左目と青色の右目と視線が交わる。



その目の主は、眠り続けていた彼は、ベッドから身を起こしていた。

それは夢か、現実か。
否ーー確かにこれは、現実だった。
目覚めたその人が、

「…ナエラ」

と、そう呼んだから。

ナエラは瞳いっぱいに涙を溜め、溢れさせーー

「お帰り……お帰りなさい…っ…」

その人の胸に飛び込んだ。

それは、静まり返った夜更けの出来事。
暗い暗い、けれど、陽の当たらない銅鉱山でもなく、地底に追いやられた魔界でもなく、満天の星と月の光が輝く空の下での出来事だった。


『英雄がいた世界』end


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