英雄になりたかった
ジロウが過去のテンマの心臓を英雄の剣で貫いた時、リョウタロウがジロウの体を支えた時ーー巨大な黒い影は、テンマの憎しみは、停止した。
そうして、寝台に拘束された過去のテンマは心臓を貫かれ、光になり、その光は身体中、血塗れの現在のテンマの中に還る。
すると、テンマの身体中の血は綺麗に消え去り、彼は戦意を失くしたかのような顔でリョウタロウと、気を失ってしまったジロウを見つめ、
「…なんで」
「……?」
疑問のような声音で言うテンマを、リョウタロウは不思議そうに見据えた。
「僕を生かして、なんになる?」
「……」
「英雄の剣から伝わってきたのは……新米くんの、意思だった」
「……そうか」
リョウタロウは、その‘意思’がどのようなものだったかは聞きはしない。それはもう、わかりきっていたから。
「テンマ。俺はずっと、お前に謝りたかった。だが、俺からの謝罪の言葉など…お前は必要としないだろう」
リョウタロウが言えば、
「当たり前だろう……謝罪で、それで全てが終わるんだったら、とっくに終わっていた。僕には……お前や僕を貶めた人間、この世界を恨むしか、憎むしか、ない。なのに……」
テンマは両手で自らの顔を覆い、
「なんで……それが、この心から消えてしまったんだっ…」
「……」
リョウタロウは静かに目を閉じ、
「……後は、俺が口を挟む問題ではないだろう。後は、お前たち二人で決めることだ」
腕に支えていたジロウを寂しそうに見つめ、その体を真っ黒な床に優しく寝かせた。
「…テンマ。最後に聞かせてくれ。…自分の存在が意味を成さないと言ったお前は…何になりたかったんだ?」
「……」
その問い掛けをテンマは以前、聞いたような気がしたが、それに答えたことはない。
ただ、テンマは失笑し、
「……愚問だね」
と、それだけ言った。それにリョウタロウは頷き、
「…もっと早く、お前を見つけていたら良かった。結果は変わらなかったかもしれないが…それでも、俺とレーツはお前達を愛しているよ」
それだけ言い、リョウタロウはもう一度だけ気を失ったままのジロウの顔を見つめ、英雄の剣と共にこの場から消えた。
テンマは今のリョウタロウの言葉の意味を理解できず、ただただ募っていたはずの憎しみが消え、静寂だけが残った暗い暗い黒い影の中、茫然と立ち尽くす。
ジロウは気を失ったまま、まだ目を覚まさない。
テンマにはただ……考える時間だけが沢山あった。
思えば、百年も前のあの日から、自分には憎悪しかなかった。
ーー否、生まれてから、幸せな日々なんて自分にはあっただろうか?
三種の種族にはすでに亀裂があり、自分の時間は成人を迎えることなく止まってしまった。
世界に狂わされ、世界に裏切られ、世界に見捨てられ……
何にも、成れなかった。
(ーーそうだ、僕は……)
成りたいものがあった、せめて、この体がその為に歪められたと言うのならば、せめて……
「英雄に……なりたかった」
絞り出し、初めて吐き出したそれは、か細い声であった。
「……はは、やっと、言ったな」
「!」
ジロウが目を覚まし、ゆっくりと身を起こしながら言った為、テンマはビクリと肩を揺らす。
「そっか……英雄に、なりたかったんだな」
ジロウは苦笑しながら言い、
「可笑しいかい?」
と、テンマは少しだけ不服そうに言った。
「いや、そんなことない。あんたの苦しみを思えば……そうなれてたら、まだ、マシな人生だったのかもな…」
「……」
「…オレはさ、結局、あんたを止めれたかな?」
その問いに、
「…わからない」
と、テンマは答え、
「ただ、君の意思は、聞こえた」
胸に手を当てながら言えば、
「そっか。やっと、オレの声はあんたに届いたんだな」
そう、ジロウは笑う。
「……やっぱり、僕には君が理解できないよ。僕は…悪だ。多くを憎み、多くの人生を奪った。そんな僕を生かしてなんになる?」
テンマの問いにジロウは首を横に振り、
「この世界に、悪い奴なんかいない。ただ……生きることに必死な奴らが居るだけさ。あんただって憎悪だなんだ言うけど、それを頼りに、今まで必死に生きてたんだろ?」
「……」
「オレは、そう思う」
「……馬鹿みたいな……答えだね」
テンマが言えば、
「ああ。だってオレは、馬鹿なんだろ?」
と、ジロウは言い返した。
「……なあ、テンマ。ここから出たらさ、ちゃんとカトウに謝れよ?あと、ネヴェルにも、皆にも」
「……はあ?ここから出るって……なんで生きる体で話してるわけ?」
「当たり前だろ?オレ達は生きて帰るんだ、一緒に!オレ達を待ってくれてる皆が居るんだからさ!」
一方的なそれにテンマは息を吐き、
「それは、君を待ってる連中だろう?僕には…」
「だから!カトウが待ってるんだってば!あんたのせいで泣いてばっかなんだぞ!カトウはあんたのことが好きなんだから!」
「…………それは、知ってるけど、僕は別に…」
「ネヴェルとハルミナちゃんも受け入れてくれるだろうし、ナエラも約束してくれたし」
ジロウは勢いよくそこまで言い、
「まあ、なんだ。約束と言えばさ、覚えてるか?」
「何を」
「新米トレジャーハンターのこのオレの、パートナーになるって話」
「……まだ言ってたの?それ……」
呆れるようにテンマは肩を竦める。
しかしジロウは大きく頷いて笑い、
「一緒に世界を回ろうぜ。世界には、あんたが目を逸らしてきた幸せが沢山ある。オレと、カトウと、あ、レイルとも約束してるんだ。皆でさ、一緒に行けたら楽しいよな」
「……だからさ、勝手に話、進めないでよ。って言うか、なんでそんなに楽しそうなわけ?」
「ん?」
聞かれて、ジロウはやはり笑い、
「だって、友達と居ると、やっぱ楽しいじゃん」
「……」
「あんたがなんと言おうが、オレがあんたをこんな暗い場所から引っ張り出してやる。友達だから!」
そのジロウの言葉に、テンマは少しだけ疲れた顔をして深いため息を吐いた。
「……本当に、新米くんは……ジロウは、馬鹿だね」
そう言ったテンマの左目からは、涙が溢れ出す。
「……へへっ。…って、テンマ!今、初めて名前呼んだ?!」
「……知らないよ」
「うわっ、うわー!それって、パートナー決定?友達決定?!」
「……うるさい」
一人はしゃぐジロウに悪態を吐きつつ、しかしテンマの涙は止まらなかった。
「へへっ。なんか、こんな風に話してるとさ、初めて会った時みたいだな。……じゃあ、一緒に帰ろうぜ、テンマ」
そう言って、ジロウは笑顔でテンマに手を差し伸べる。
テンマは涙を浮かべたまま、なんとも言い表せない気持ちになった。
(……ああ。そうか。目を塞ぎ、耳を塞ぎ、知らないフリをしてきたけれど……この、百年余りの人生の果てで、君が…)
テンマはゆっくりと、ジロウの手を握り返し、
(君が……こんな僕の……救いだったのか)
そう、理解した。
ーー……
ーーーー……
テンマ。
あんたに英雄の剣で想いを届けた時に、沢山の願いをこめたんだ。
苦しんで来た人々に、救いを。
人生を全うした人々に、救いを。
今度こそ、皆が平等になれる世界を。
もう二度と、リョウタロウのような悲しき英雄が生み出されない時代になることを。
英雄が必要のない世界を。
でも、それでもーー……
『世界を救うから英雄』
そう思っていたオレに、レーツが教えてくれたこと。
英雄の意味は数多にある。
何かを救う者、何かを破壊する者ーー……それを行う者を、傍観者がどう捉えるか。
英雄とは、その行いを自らの救いだと捉える傍観者が決めるもの。
だから、もし誰かが自分の為の英雄を必要とするのならば……
例えば、あの日に話したハルミナちゃんにとってのカーラ。
そういった救いが必要であるのならば、人は、英雄になれるのだろう。
だから、それならば、オレも英雄になろう。
壊すんじゃない。
歪ますわけじゃない。
大切な誰かの為の英雄になら、大切な誰かの笑顔を守る為だったら、その人が泣かなくていいのならば、喜んで英雄になろう。
『行ってらっしゃい』と、普通の女の子みたいに初めて笑ってくれたあの娘の笑顔が、これからも続きますように。
もう、あの娘が悲しまなくてもいい世界になりますように。
この世界に生きる皆が、普通の人生を過ごせる時代になりますように。
だからーー……
ーー……
ーーーー……
テンマはその場に膝をついた。
「……あ……ぁあ」
身体中に、よく知っているものが駆け巡る。
それは、今しがた目の前にあった、優しさ。
「……そん、な」
暗いこの空間なのに、先程よりも視界が良い。
空洞になっていたはずの右目が、在るのだ。
それは、青く輝いていた。
「なん…で、そ、うか……」
ーーお前達を愛しているよ
先程のリョウタロウの言葉が頭に浮かぶ。
「ジロウ……君は……あの時に奪われた、僕自身だったのか……リョウタロウ、なんで、言わなかった…」
そう言って、テンマは地面を両の拳で叩き、顔を埋めた。
「……違う。違う……!それでも、違うじゃないか!!!僕も君も、違う!違う存在だ……!!ジロウ……居るんだろう?!出てきなよ、姿を、見せなよ!?」
差し伸べられた手を握り返した瞬間に姿を消してしまったジロウをテンマは必死に呼ぶ。
その姿を必死に捜す。
「君が……いつも僕を見つける度に叫んでいたのに、なんで僕が君を捜さなくちゃいけないんだよーー!?なんで…………こんなの、違うだろぉ……」
テンマはボロボロと涙を溢し、自分の中に感じる優しさーー還って来た良心を否定した。
「君が……君が居なくちゃ駄目なんだ……君が居てくれたから、僕は……僕は……心の奥底では、本当は楽しかったし、嬉しかったんだ……僕は、本当は、君が……大好きだったよ……なのに、なんで、伝えれないんだよ、なんでなんだよ…!!君に酷いことばかり言ったのに、どんな時でもこんな僕を君は見捨てなかったのに……何一つ、君に返していない…!!」
百年振りに溢れ出した感情に負担が掛かったのだろうか、テンマの意識が遠退きそうになる。
けれど、
「……僕は……諦めない。多くを苦しめた僕じゃない……絶対に、ジロウ……君を……連れ……」
意識が途絶えるまで念じるようにそれを繰り返し、そうして、テンマは意識を手放した。
そこに、全てを見守っていたレーツが現れ、倒れているテンマの体を……我が子の体を抱き締め、彼女はリョウタロウの元に向かったーー……
ーー……
ーーーー……
晴れ渡る空。
暖かい光の射す花畑の中で眠る彼は、守りたいと思えた笑顔を浮かべてくれた、魔族の少女の腕の中に居たーー……