叫び
巨大な黒い影の外の世界では、その黒い影が何度も何度も慟哭のような声をあげていた。
その度に大地は揺れ、裂けていく。
「ひゃあ!?」
「うわっ!!」
その揺れにカトウとユウタは同時に尻餅をつく。
「翼がないって不便だな」
と、ラザルが言い、魔族と天使たちは空中に避難していた。
「た、助けて下さいよー!」
カトウが喚けば、
「そ、そうしてあげたいのだけれど…」
「自分を守るので精一杯だ……」
ウェルとムルが言う。
「でも、そこの二人は翼がないのにこの揺れに動じてないですよ」
マグロがスケルとタイトを指せば、
「そいつらと俺達を一緒にするなよ!?俺とカトウさんは本当にただの人間なんだよ!ああもうくそ!!ムカつく、どうにでもなれ!!」
珍しくユウタが口調を乱して言えば、
「あんた、さっきまで泣き喚いてたと思えば…」
エメラが呆れるように言い、
「本当にムカついてるんだよその男に!」
ユウタはタイトを睨み、
「ジロウ達のこと何もかも知ってたくせに今さら話しやがって!!もっと早くに知ってたら……くそっ!」
そこまで言ってユウタは額に手を当てて、
「あぁくそっ!馬鹿らしい!こんなこと言う自分も馬鹿らしい!!俺には何も……出来ないってのに」
「ゆ、ユウタさん…」
隣で一人荒れるユウタをカトウは困惑した表情で見て、
「で!!こんだけ喚いても何も言ってこないお前もムカつく!!昔から必要なことを何も言わない!急に現れてすぐ居なくなって」
「いやー、こんな状況でよく兄弟喧嘩できるよねー」
「一方的やけどな……」
カーラと、ラダンが苦笑いして言った。
「…にしても、あいつらが行ってから三十分ぐらいは経ちましたが…」
「歯痒いもんじゃの、待つしか出来んというのは。タイト、お前はいろいろ知っておったが、あの中がどうなってるのかわからんのか?」
トールとヤクヤが言い、
「俺が知るはずないだろ、おっさん」
タイトが肩を竦めて言えば、
「しかし、先程から黒い影は叫び続けたままです。ジロウ達が中で行動を起こしているのは確かでしょう」
スケルが言う。それに、
「…そうだね。確かに」
カーラが頷くので、
「どないしたんやカーラ、なんかわかるんか?」
ラダンが聞くと、
「いや……」
しかしカーラは首を横に振り、何も言わなかった。
(ミルダ先輩やマシュリ君、そして、フェルサが居るような、そんな感じが……)
ーー……
ーーーー……
「急げハルミナ!!」
「わかっています!」
巨大な黒い影の中、ジロウが行くのを見送ったネヴェルとハルミナは来た道を急いで戻っていた。
理由はわからないが、無限に現れ続ける黒い影たちが、ミルダや捕らわれた人々の居る方へと向かい出したのだ。
そして、時を同じくしてーー……
ジロウが辿り着いた場所は、やはりあの研究所であった。
そこには、銀色の髪をした少年の後ろ姿があり……
「……テンマ?」
と、疑問げに呼ぶも、返事はない。それに、何か、違った。
そして、視界は暗転する。
「ギャアアァアァアぁぁああァアーー!!!」
そんな叫び声と共に、ジロウの視界は照らされた。
「テンマ……!?」
目に入った光景に、思わずジロウはその名を叫ぶ。
ーー……確かにテンマだった。
姿格好は少し違うが、テンマは鉄で出来た寝台に拘束され、頭や手足を男女数名の大人に押さえ付けられている。
「ちょうど良い身体が手に入った」
「ええ、魔族か天使に殺され掛け、ギリギリ生きている状態ですが、使えます」
「何の才も無い身だが、若い身体だ。天使と魔族の四肢や臓器を移せば使い物になる」
大人達は口々にそんなことを言った。
テンマの身体を引き裂きながら、言った。
テンマは悲鳴を上げ続ける。
腕や足を切られ、胸を裂かれ、中身を取り出され、目を抉られーー……
痛みに、痛みに、痛みに。
憎しみに、憎しみに、憎しみに。
嘆きに、嘆きに、嘆きに。
その悲鳴達は大人に……ネクロマンサーと生命術士には響かない。
ジロウはその光景に、リョウタロウの予備が造り出された過去に、テンマが以前言っていた言葉を思い出す。
ーー……僕はなんの才も無い、弱者だった。ただの泣きじゃくる子供だった。大人達はただただ我が身が可愛いだけさ。自らを犠牲になんて出来なかった。
ーー……魔族と天使からしたらただの家畜に成り下がった人間は、争いが絶えない時代に力を求め、必死になっておかしくなって、非道なことを容易く考えてしまえたんだよ。
「……っ…」
ジロウはもう、テンマの心が映し出しているのであろうこの憎悪の光景を見ていられなかった。
いや……
「テンマ……」
溢れ出る涙が、目の前の光景をぐしゃぐしゃに滲ませた……
ジロウは目を擦り、涙を急いで拭う。
そして、
「テンマ、お願いだ。居るんだろう?」
過去のテンマでなく、今ここに居るはずのテンマに声を掛けた。
「確かに……あんたが前にオレやカトウに言ったように、あんたからしたらオレ達はしつこいしウザイのかもしれない、でも…」
ジロウは英雄の剣を宙に掲げ、
「これで、最後だ!これでお互い最後にしよう!オレはそのつもりでここに来たんだ!」
そう叫ぶ。
だが、目の前の非道な過去の光景は消えない。
すると、
「ーー君か。言ったはずだろう、テンマ、と言う人格ーー記憶はもはや持ち合わせていないと」
そんな‘テンマ’の声が聞こえた。
「そうか。これがこの身体に刻まれた憎しみ、憎悪の光景なんだね。全て壊すこと。自分も含め、全てを壊すことーー……この光景が、そうなんだね」
‘テンマ’の声は他人事のように虚ろな声で言う。
「ねえ、君はこの身体を助けたいのだろうけど、君には聞こえるのかい?この身体の叫びが」
「叫び……?」
ジロウは‘テンマ’である声の主を探すも見つからず、その場で疑問を返した。
「テンマはずっと悲鳴をあげている。苦しい悲鳴、痛みに耐え、もがく悲鳴。次々に、身体の部位が代わる痛み」
その‘テンマ’の言葉は、目の前の過去の光景を示している。
「人間に、ネクロマンサーに、英雄リョウタロウの予備として身体を弄られーー……結局はリョウタロウが成功した為に、なんの意味も成さなかったテンマ。身体を弄られ、痛みに苛まれ…英雄の力と同じくらいのものを持つことになってしまったテンマ。人間は自分達でそうしたと言うのに、テンマが暴走や復讐をすると思い、最後には、ネクロマンサー達により封印された」
その言葉の後に、先ほど見た時と同様、身体中、血塗れの‘テンマ’がジロウの前に立った…
「僕は、なんなんだ?そこまでされて、結局はなんの意味も成さなくて。憎い、憎い。こんな自分にした人間が。無駄な争いを始めた種族達がーーそして、英雄リョウタロウが。リョウタロウさえ居なければ、僕は普通に生き、死ねた。憎い、憎い、憎い、憎い」
なんの感情もない声で、‘テンマ’は恨みを吐く。
そして、
「でも、なぜなんだい?」
‘テンマ’は虚ろな目でジロウを捉え、
「なぜ、リョウタロウも、君も、憐れむような目で僕を見る?」
「テン……マ?」
「ーー……と、これがこの身体がずっと叫んでいた言葉達のようだね」
どうやら今までのことは説明だったようだ。
「君にはこの身体の叫びが聞こえていたかい?理解していたかい?この身体は生きながらずっとずっと、例えば君と会話をしていた瞬間だって、叫んでいたんだよ」
「……」
「この身体は、憎しみを果たすこと以外でしか救えない。全てを壊すことでしか癒されない。だから、君にはこの身体を救えない」
‘テンマ’は背後を振り向き、悲鳴を上げ続ける過去の自分を見つめ、
「この憎しみを止められたら、この身体に救いなど一生訪れないんだよ。君は、この身体から最後の救いさえ奪うのかい?一生不幸のまま、死なせてしまうのかい?」
「……」
‘テンマ’の言葉にジロウは目を見開かせる。
この‘テンマ’は、ジロウが今まで話してきた彼とは違う。
だからこそ、この‘テンマ’は以前の彼が絶対に言わない自身の本心をベラベラと話す。
そうーー……『本心』を。
だが、ジロウは知っていた。
テンマは一度だけ、心からの声で本心を吐いたことがあったから。
それは、銅鉱山の最奥ーー……この研究所で。
ーー……答えは変わらない。憎しみや復讐心は消えない。僕の全てを奪い、それを知らずのうのうと続くこんな世界…壊してやるよ
…そう、テンマは言っていたのだから。
だから、ジロウは‘テンマ’の目を捉え返し、
「知ってる。知ってるよ、あんたの本心も、憎悪も、悲鳴も。ただ、知ってるだけで、痛みまでは分かち合えない。でもな、テンマ」
ジロウは‘テンマ’の方へ足を進める。
‘テンマ’は目を細めてジロウを見据え、待ち構えたが……
ジロウは‘テンマ’の横を通り過ぎた。
‘テンマ’が不思議そうに振り返ると、ジロウは過去のテンマーー……鉄の寝台に拘束され、悲鳴を上げ続けているテンマの前で立ち止まった。
「……確かに、こんなの、憎んじまうよな、人を、世界をさ。でも……」
「おい、何を……」
‘テンマ’はジロウの行動に目を見張る。
「でも、それがあんたの救いだなんて、唯一の幸せだなんて、そんなの間違ってるーー……!」
ジロウは英雄の剣を振り上げた。
「あんたは言ったよな。覚悟はあるかって。オレは答えたよな。あんたの目的を止めてやる覚悟があるって」
ジロウは大きく息を吸い、
「世界には、あんたが目を逸らしてきた幸せが沢山あるはずだ。憎しみ以外に、壊す以外に、あんたの救いがあるはずだ。だから、テンマ」
ドスッーー……と、英雄の剣を振り下ろし、過去のテンマの心臓を貫いた。
「お前……なんてことを。救いたいと言いながらーー……」
‘テンマ’が言い、しかしジロウは別のことを考えている。
ーーこの剣によって、もう誰も、何も、傷付かないように…
だからこそ、貴方が持つに相応しいんです。きっと、何も傷付けない貴方なら…英雄など関係のない、一人の人間として、全てを終わらせてくれる
……夢の中でレイルが言っていたことを。
「この剣は、もう、傷付ける為の、壊す為の剣じゃない。そうだよな、リョウタロウ」
そう言って、ジロウの体がぐらりと揺れ、力が抜けたように倒れそうになる。
その体を支えたのは、リョウタロウだった…
ーー……
ーーーー……
「声が、止んだ」
ずっと叫び続けていた巨大な黒い影の声が止み、ナエラは不思議そうに呟いた。