ろくでもない大人

予備と呼ばれた者の良心だとか魂と呼ばれた、あの青く淡い輝きを放った光。
先人の残した術により、それは人の子の形となった。
魔族と天使の血肉を混ぜ合わせて生まれたが、人間であるレーツとリョウタロウの血と……そして二人が永い時間、見守った想いが届いたのか、その子はただの……普通の、人間の男の子として生まれてくれた。

ただ、人工的な術によって生を受けた特殊な存在の為か、産声をあげることはなく、ただ静かに、息をしているだけ。

この魂の本体と言うか、片割れと言うか……予備と呼ばれた人物の人生はきっと、幸福ではなかっただろう。今は、どう生きているかはわからないが……

でも、だから。
この子はどうか今度こそ、平凡な……普通の人生を歩んでほしいとレーツは願い、その子に、その男の子にーー

「ジロウ」

と、そう名付けた。
それは敢えて、ありきたりな、平凡な名前。
この人間の世界でよく聞く名前。
…この魂の、この子のありきたりで普通な未来を願い、祈りを込めて呼び、名付けた。

君は、普通の人間なんだよーーと。


それからも、レーツとリョウタロウは二人でジロウを育て見守る。
ずっとずっと、ジロウが大きくなるまで、自分の寿命が尽きるまで、レーツはこの日々が続くのだと信じていた、決意していたーーだが……

現実は無情だった。リョウタロウの弱い心は克服されていなかった。

リョウタロウはーー……
生命術師とネクロマンサーにより、老いることの出来なくなった身。
対照的に、自分を置いて年を重ねて行くレーツを傍で見るのが辛かった。
最初からわかりきっていたことなのに、それが現実になるにつれて、辛さは本物になり、想像していたよりも苦しくて……


そして、ジロウ。
ようやくあの光がただの人間の赤ん坊の形を成してくれた時、リョウタロウも本当に嬉しいと感じた。
ずっとずっと、陽の光さえ届かない銅鉱山の地下深くに居たあの光。
その小さな手を握り、その時は救えたのだと確かに感じた。

……けれど。
確証はない、だが、感じたのだ。
この世界のどこかで、自分と近しい存在の息吹を…大きな憎しみを。
恐らくそれは……名も姿も知らない‘予備’と呼ばれた存在だと感じた。

…リョウタロウは心のどこかでずっと思っていた。
いつの日か‘予備’と呼ばれた者は、全てを憎み、全てに復讐するのでは、と。
それを危惧したリョウタロウは、世界分断後に
この銅鉱山からその周囲にかけて様々な封印を施していた。

まず、魔術を人間達の中から消した。
否ーーそれはあの時、世界を分断した時、空気中に宿る魔術を練り出す為の粒子を人間界から切り裂いた。

天使と魔族は体内に魔力を宿している為、そんなものが無くとも魔術を練り出せる。
だが、人間は体内に魔力を宿していない。
その粒子がなくなり、人間界から魔術は消えた。

しかし、恐らく天使と魔族の細胞を何人かの人間は手元に隠し持っていたのだろう。
それを媒介とし、魔力のこもった道具を作り出した。
ただ、強い魔術を繰り出すことはもう叶わないようで、‘法術師’などと言った軽い癒しの術のようなものだけが生み出される。

……これで、もし予備と呼ばれた人物が憎悪を駆り立てても、魔術を繰り出せはしないだろう。
ただ、リョウタロウと同等の力を持つならば、そんなものは時間稼ぎにしか過ぎない。
簡単に再び魔術を使い始めることだろう。


魔術の次に、銅鉱山やその周囲に英雄の剣や英雄本人の存在全てを隠す為の結界を張り巡らせた。
ーー例外として、レーツには自ら姿を現してしまったが。

そういった風に、リョウタロウはずっとずっと、もしかしたら世界を分断する前から、話だけ聞かされた予備と呼ばれた人物を警戒していた。

身体を弄られた境遇とーー…何より、良心を抜き取られていること。
…心の歯止めである良心がなければ、憎悪を募らせるしかないだろう。

予備本人は良心を抜き取られていることを知らないーーと、生命術師は言っていた。
だからもし、予備と呼ばれた人物と、この命ーージロウが出会うようなことがあっても、お互いに自分の‘片割れ’だなんて気付きはしないだろう。

それはもう、全く別の生命なのだから。

考えれば考える程、わからなくなる。

何が正しいのか。

…いや、答えを出す前に、やはりリョウタロウは否定した。

全て、自分が愚かだったのだ、と。
間違ったのは、自分なのだ、と。

自分が自分の意思であの日、行動していたならば、天使も魔族も、そして‘予備’も、救えていたのかもしれない…
人間だけを、救わなくて良かったのかも、しれない。

…肉親を棄てきれなかった弱い自分が、いけなかったのだ、と。

そう涙混じりの声で吐き捨てるリョウタロウに、レーツは「それは違う」といつだって言ってくれた。

けれど、最後の最後で、リョウタロウはレーツの肯定を否定する。
自分自身を否定した。

「……ごめん、すまない…」

レーツとジロウに背を向けて、リョウタロウは情けなく謝罪を述べる。
リョウタロウより幾分か年を重ねたレーツも泣いた。

今度こそは、レーツの言葉でさえも、リョウタロウには響かなかった。
彼の抱えすぎたものは、闇が多すぎた。

リョウタロウはレーツと離れることを決める。レーツもそれを、了承した。
レーツは恐らく了承しないと思っていたのでリョウタロウは酷く驚く。

「…私には結局、君を救うことは叶わなかった。君より老いて行く度に感じていたのです。私は…君になんて辛い思いをさせているのだろうと。多くを背負い過ぎた君にとって、私こそが更なる重荷なのでは、と…」

皺のある手でレーツは赤ん坊のジロウを抱き、

「…君は、いつしか本当に私を愛してくれた。そして、私達の本当の子供ではありませんが、ジロウのことも…」
「ち、違う……」

レーツの言葉をリョウタロウは小さく遮り、

「ジロウは……確かに俺達の子だ。俺と君は、その子の親なんだ。君達が悪いんじゃない、俺が……弱すぎるんだ……」
「……リョウタロウ」

リョウタロウの震える背に、レーツは額を押し当てた。

「愛してくれているからこそ、君は老いて行く私を憂い、先立つであろう私を見送るのが辛い……それならば、私達は離れて暮らすべきなのでしょう。私は君を、苦しめたくはないのだから。ですが、私はずっと、リョウタロウ、君を見守ります。悪しき者がこの地を侵さぬよう、死んでもずっと、魂は君の傍にーー……」

レーツは本心を自らの中に閉ざす。

‘本当は、生を全うするその日まで、ジロウと共にリョウタロウの傍に居たい’…と言う本心を、レーツはとうとう言わなかった。

若き日は当たり前のようにそれをリョウタロウに伝えていたが、それはもう、叶わないのだ。

ーー英雄なんて、いない。
ここに居るのは、ただの人間の、弱く優しい、愚かな男だった。
その男は年甲斐もなく、泣き続ける。

実の親に裏切られ、人間達にいいように使われ、全てを背負い、大惨事を起こした。

けれど、メノアが、レーツが、そんな自分を肯定しようとしてくれて。

レーツと数年、ジロウと短い期間を過ごし、過ぎたる幸せと言う時間をリョウタロウは過ごせた。

リョウタロウは本心を自らの中に閉ざす。

‘本当は、レーツが生を全うするその日まで、傍に居てほしい、傍に居たい’…と言う本心を、リョウタロウはとうとう言わなかった。

自分を幸せにすることも、大切な者を失うことも、どちらも恐ろしくて、リョウタロウは逃げ出す道を、選んだ。

レーツはジロウを連れて行くと言ったが、リョウタロウは再びジロウをこの銅鉱山に安置しようと言う。

赤ん坊を一人で育てるには、レーツは年を重ね過ぎた。

リョウタロウ一人で育てようかと思ったが、こんな銅鉱山で子供を育てるわけにもいかないし、老いることの出来ないリョウタロウは人間の世界に出るわけにもいかず、成長していくジロウにも窮屈な人生を送らせてしまうこととなる。

それならば‘安置’。
生命術師とネクロマンサーに与えられたリョウタロウの力でジロウの時間を止め、静かに眠らせることとした。

本当はリョウタロウも、こんなことは間違っていると理解している。自分でジロウという命を生み出したのに、結局……

そして、最後までそれを納得できなかったレーツはこう提案する。

本当ならば、自分達で、自分で育てたかった。でもそれは叶わない。
だが、ジロウを再びまた、この地下深い暗い場所で最初の頃のようにずっと居させたくはなかった。
ならば、レーツは地上でこの銅鉱山を見守りつつ、ジロウを育ててくれるであろう、ジロウと全うな時間を生きてくれるであろう人物を見つけ、ジロウの元に導かせたい。

そう提案しつつも、レーツは(なんて身勝手な親)
と、自身を卑下した。

(私が……責任を持って育てたかった…)

どんなにジロウを想っても、愛していても、幼きジロウを孤独にしてしまう未来は、辛すぎる。
自分の命は、ジロウと過ごすにはあまりに短くなりすぎた。

そしてリョウタロウも、ろくでもない大人達を見て育ったが、自分こそが正にその‘ろくでもない大人’なのだと思った。

ジロウが予定通りの歳月に形を成していたのならば、未来は違っていたのかもしれない。
だが、ジロウが形を成すのに数十年掛かった理由に
は、何か意味があるのだろうか……


リョウタロウとレーツが離れてから数年。

天界と魔界に繋がる扉が銅鉱山に現れた。
何者の仕業かは定かではないのに、リョウタロウの脳裏には‘予備’の存在がちらつく。
破壊しようとしても、各世界に繋がる綻びは、リョウタロウの力を持ってしても消えなかった。

そして、リョウタロウとレーツはネクロマンサーの末裔と魔族の血を持つ少年二人に出会う。

銅鉱山に安置されたジロウはレーツの計らいにより、とあるトレジャーハンターの男と法術師の女に見つけられることとなる。

未来は着実に紡がれ、築かれていた。
けれども、リョウタロウとレーツの時は、止まってしまっていたのかもしれない……


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