あの子

レーツの事情、基、一世一代の告白なようなものをリョウタロウが聞いてから数日。
特にどうということはなかったが、ただ……

二人は今、銅鉱山の最奥にある、過去の実験場に居た。
その場所は真っ白な部屋であり、真っ白な椅子や机、様々な装置が置かれている。

レーツはその手に、英雄の予備である存在の魂であり良心と呼ばれる青い光を抱いていた。

「本当に、やるのか?」

リョウタロウが真剣な声音でレーツに問い掛ければ、彼女はにこりと笑い、

「くどいですよ、リョウタロウ」

なんて言われてしまう。
リョウタロウは一つ息を吐き、

「…くどいとかじゃなく、最終確認だ」

そう言い、

「俺は…簡単には死ねない。だが君は、ただの人間だ。本当に、これの面倒が見れるのか?その短い一生で、見知らぬ者の魂を見守ることにその一生を…」
「大丈夫です、君と共になら、絶対に、大丈夫です」

と、リョウタロウは言葉を遮られた。

「…はあ。共にって…勝手に俺も巻き込んで…」

リョウタロウは額に手をあて、そして思う。

昔、ただの人間として生きて。
いつの間にか、人間じゃない何かに成り果てて。
多くの血を見て。
誰かの人生を奪って。
世界の理すら変えて。
それからずっと、逃げていた。
人から、世界から。

それなのに……
閉じたこの世界にいきなり、無理やり割り込んできたレーツ。
彼女のペースに巻き込まれ…

いつの間にか、リョウタロウはずっと凍りつかせていた人間らしさなんてものを思い出していた。


「……それを、その中に」

リョウタロウは水のような液体の入った装置に、レーツの手に包まれた光を入れるよう促す。
レーツは頷きながら、

「……」

光を液体の中に浮かべた。
光は見る見るうちに下へ下へと沈み、いつしか液体の中に溶け込む。

「後は……少しの血だ。生きた人間の血を入れて、形を形成する」
「この液体と、生きた人間の血で形が出来るのですか?」

レーツが不思議そうに聞くと、

「この液体が何かわかるか?」
「…ただの水、ではありませんよね」
「…魔族や天使の細胞や臓器が細かく染み込んであるのさ」

リョウタロウは苦い顔をして言い、レーツは「それじゃあ…」と何かに気づき、

「そう。俺や予備、剣を造る為に生命術師とネクロマンサーが造った名残さ…」

そう言い放った。

「では、私達はこの方達の無念も共に背負うこととなりますね」
「?」

レーツの言葉にリョウタロウは首を傾げる。

「…この実験場には、多くの無念の命が未だに残っている。その一部で今、一人の命を形成するのですよね…その新たな命を、今度こそ、幸せに導かねばなりませんね」

レーツは実験場を見渡しながら、決意を固めるかのように言い、近くにあったメスを手に取って、

「……っ」

自らの指先を軽く切り、滴るその血を液体の中に落とした。

「痛いのは苦手なのでこのくらいしか出来ませんが……生まれてくる君に…私の姿をあげましょう」
「……」

その様を隣で見ていたリョウタロウは、同じように指先をメスで切り、

「リョウタロウ…」
「少しの血でいいとは言ったが、あまりに足りない」

そう言いながら、自らの血を液体に落とす。

ーー形を形成するまでには、数ヶ月もしくは数年かかるとリョウタロウは言った。
レーツは毎日欠かすことなく、空いた時間に実験場を訪れ、まだかまだかと、まるで我が子が生まれて来るのを待つかのように見守り続ける。

いつの間にか銅鉱山にあるリョウタロウの部屋の中に、レーツは自分の荷物を運び込み、仕事がない日はほとんどをそこで過ごした。
いくらリョウタロウがレーツを追い返そうとしてもそれは無駄に終わり、

「リョウタロウ!私達、まるで新婚夫婦みたいですね!」

とある日のそのレーツの発言に、

「なぜそうなる。俺達は結婚してないし、ましてやそんな関係では…」
「あの子は私の血と君の血によって形成されるんですよ、私達の子です」

なんて言われて…
それ以外の血肉も混ざった存在なんだぞ、と、言い掛けてやめた。

しかし、それまで明るく振る舞っていたレーツが急に表情に影を纏い、

「でも、あの子は人間として生まれるのでしょうか?それとも…」

魔族と天使の一部も混ざった存在は一体、何と成るのか。

「いいえ、それよりも……あの子の魂の持ち主である予備と呼ばれた人が生きていたならば、あの子の魂は……そこに還りたいと思うのでしょうか?」

レーツの不安げな言葉を聞きつつ、まだ姿も形成されていない‘あの子’のことを考えるのは、リョウタロウには難しかった。

ーー…魂の形が……否、生まれて来る子を待ち続けている間も、リョウタロウとレーツは二人で過ごす。

リョウタロウももはや、レーツを追い返そうとはしなかった。自分の隣にいる彼女は、本当に幸せそうだと、実感したから。
リョウタロウ自身も、レーツが自分の隣にいることが当たり前になってしまっていた。

暗い暗い、陽の光さえ届かない銅鉱山の地下深く。

恋人らしいことは何一つ出来やしないが、それでもレーツの想いは変わらず、いつしかようやく、その想いはリョウタロウに届いていた。

罪の意識の世界に生きていたリョウタロウにとって、レーツはそれを赦し、照らしてくれる存在となった。

ーーしかし、数年、また数年経っても‘あの子’は生まれず…
リョウタロウとレーツが歓喜の声をあげたのは、それから更に数十年。
とっくにレーツがリョウタロウの外見年齢を越してしまった頃であった。


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