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もう、隠れて盗み見しても仕方がないと思い、ヒロは来た道を戻ろうとした。
「ヒロさん、だから待ってと言ったのに」
と、ディンの声がして。
それにヒロは顔を上げる気力もなく、俯いたまま、
「あ‥‥はは。まさかディンさんの妹がジルク様と婚約者だったなんて。教えてくれたら良かったのに。何よりオレは‥‥今までの何も知らなかった自分が恥ずかしいですよ。特にこの前、久し振りにジルク様に会った時の自分のテンションが恥ずかしい」
なんてことをヒロが言って、
「やっぱり聞いてしまったんですか。説明しようとしたら、貴方が先々行くから。でも、婚約者って言うのはまあ今のところ形だけ‥‥」
「気を遣ってくれなくていいですよディンさん。リーネは美人だから‥‥これは自然な流れなんですよ。彼女も今まできっと苦労して来たんだろうし、お幸せに‥‥」
ヒロは一杯一杯になると、相変わらず人の話を聞かなかった。
モフッ‥‥と、唇に何かが当たって、むしろ眼前に急に大きな何かが映り、ヒロは驚いてようやく顔を上げる。
「こっ、これは‥‥」
眼前に現れたのは、先ほど出店で見ていた、的あて屋台のクマのぬいぐるみだった。
「あげます、ヒロさんに」
それを差し出してきたのはディンで、
「え、あの、なぜ‥‥!?」
「たまたま取って来たんです、出店で。僕はいりませんから」
「え!?たまたま!?」
「はい」
「マジで‥‥?たまたま‥‥?」
本当に偶然なのかは知らないけれど、ヒロはぬいぐるみを受け取り、ぎゅうっと抱き締めた。とても柔らかい。
「まあ、兄の僕が言うのもあれですが、リーネは確かに美人ですしね。まあ、ヒロさんにもきっとリーネみたいな可愛い子が見つかりますよ」
「はぁ。かわいい子‥‥ですか。って、待って下さいディンさん!オレはリーネのことが好きなわけでなく!」
「え?違うんですか?」
「なっ、なんでそんなことになったか知りませんが、まあ、今更誰が好きとかどうとかいいか。とりあえず、帰りますね」
そう言ったヒロに、
「ジルク様との約束は?」
それを聞かれ、
「二人の邪魔しちゃ悪いし、仕事も終わったし、帰ります。あ!ぬいぐるみ、ありがとうございました!かわいいです!」
「え、いや‥‥ジルク様は、彼は‥‥」
ディンが言葉を止めるので、ヒロは不思議そうに彼を見る。そこで、
「あ、ヒロ!ごめん、待たせてしまっていたのかな?」
背後からジルクの声がした。
「じ、ジルク様!」
ヒロは驚いて言い、ジルクの隣に居るリーネは凄く嫌な顔をしていたが、
「ほらリーネ。邪魔せずにこっちに来なさい」
そうディンが言って、
「でもっ」
「リーネ」
渋る彼女にディンが低い声で名前を呼べば「わかったわよ」と、不服そうにリーネはこちらに来た。
「ど、どうしましょう!?」
助けを求めるようにヒロがディンを見れば、
「ほら、ヒロさん」
と、ヒロをジルクの方へと促して、
(えっ、えーーーーっ?!)
この状況から一体どうすればと、ヒロは頭を悩ませる。
おずおずと、ヒロはジルクの前へ行くと、
「そのぬいぐるみは?」
真っ先にジルクに聞かれ、
「あ、ディンさんがくれたんです」
「?」
当然、ジルクは不思議そうにした。
「と、ところでジルク様。遊ぶって、何をするんです?出店巡り?」
「いや、やっぱり話だけで時間が潰れるかも」
「話?なら、雪も降ってますし、風邪をひいてはいけませんから、どこか店にでも」
「いや、ここでいいんだ」
そう、ジルクが真剣な声音で言うので、
「ジルク様、何かあったんですか?少し、疲れてます?疲れたような、顔をしてます」
「‥‥君は、変わらないね」
「そうでしょうか」
ヒロは首を傾げる。
「変わったと思いますよ。ほら、ちょっと男みたいな見た目でしょう?実際よく男に間違われますし。まあ、ギルドをしていく為には仕方ないんですけどね。今では一人で仕事もこなせるし!」
そう笑うヒロに、
「ううん。君は、三年前と変わってないよ。私がよく知っているヒロだ。だって、変わらず私と接してくれている」
ジルクは少し寂しそうに微笑んだ。
きっとまだ、三年前の事を自分の責任だと思っているのであろう。
でもそれは、ヒロも同じだった。
自分のせいで、タカサとソラの未来がーーと。
ヒロは静かに首を横に振り、それからニッコリと笑って、暗い表情のままのジルクの頬を両手で包んでやる。
「ジルク様。そんな顔しないで。ソラとタカサに笑われちゃいますよ?」
そう、おどけた風に言ってやれば、
「や、やめてよ。私はもう、そんな子供じゃないんだ」
それにジルクは恥ずかしそうに言って、それから、真剣な顔をして、
「‥‥ねえ、ヒロ。いつか、いつか‥‥ここに、サントレイルに戻って来てくれないか?」
「え?」
「私にとって、君は、未来なんだ。君とタカサとソラは、あの頃の私の未来だった、王ではなく、ただのジルクという子供の、憧れみたいな存在だったんだ」
だから、と、ジルクは続け、
「君にはここに居てほかった‥‥いつか、いつの日か‥‥」
ジルクが何を言いたいのかがわからなくて、ヒロはただ彼の言葉を聞くしか出来なかった。
ただ、感じた。
ーーこれが、三年前、ジルクの手を取らなかった末路なのだと。
「‥‥そろそろ行かなくちゃ」
「何処に‥‥です?」
『行かなくちゃ』‥‥そう言ったジルクはどこか遠くに行くような、そんな表情をしていて。
「あはは、城に戻って仕事をするだけだよ」
ジルクは笑う。
そして、すたすたと歩き、離れた場所で待っていたリーネとディンの元へ行った。
ーー何か、おかしい。
不思議とヒロは思う。
「じゃあヒロ、また‥‥」
そう言って、悲し気に笑うジルク。
相変わらず嫌そうな顔でヒロを見るリーネ。
ディンはヒラヒラと手を振っていた。
「ジルク様!」
ヒロは大きな声で、ジルクの背中に投げ掛ける。
「三人で、約束してたんです。いつか、ジルク様の‥‥友達の力になろうって!戦争だらけの世の中で、その中で一番苦しむのは、関わるのは、民ではなく王様だから。だから、私達の王様を、ジルク様をいつか支えれるような大人になろうって」
ソラとタカサと交わした、三人での小さな約束。
「私‥‥オレは、今は今の仲間達とやるべきことがあります。でも、その中でいつだって、ジルク様のことを忘れた日はありません。ソラとタカサのことを忘れた日はありません。オレはただの一般市民だけど、オレはオレの信じたやり方で毎日を生きてます。でも、いつだってオレは、ジルク様の味方です‥‥!」
ーーだから。
「だから、何かあったらいつでも相談して下さい。オレはギルドの依頼を請け負う‥‥請け負い人なんですから」
そんなヒロの言葉の数々に、ジルクは肩を震わせ、振り向かないまま、
「あ‥‥ありが‥‥ありがとう!」
大きな声でジルクはそう言った。それは、震えた声だった。
◆◆◆◆◆
「ええ!?あの子がサントレイル王の婚約者ぁ?!」
今日、シハルと波瑠はヒロに言われたように二人で【雪祭り】のデートに出掛けていた。
それから帰って来た二人にヒロは先刻の話をして、波瑠が驚いている段階である。
「いやぁ、はは、ビックリしたよ。オレはさ、それを陰ながら見守るって言うか、応援することにしたよ」
「なんで!?」
ヒロの言葉にシハルが疑問を叫んで、
「確か、ヒロはそのリーネって子と知り合いなのよねぇ?ねえ、一体どういう間柄なの?」
「‥‥いや。別に大したことはない。ただ知ってるってだけで、彼女の方はオレを覚えてるわけもないし」
波瑠には、ヒロが施設育ちだということを話していない。
シハルには話したが、リーネのことは話していないし、それに記憶障害のシハルがどこまで覚えているかは知らない。
あまり、かつての話を今のシハルの前でしないようにしている。彼が困惑してしまわないように。
(リーネが、彼女がどういった経緯でサントレイル国の騎士になり、ジルク様の婚約者になったかは知らない。でも、彼女は幸せな子供時代ではなかったから‥‥)
ヒロはそう思い、ため息混じりに笑う。
「それで、いいんですか?」
キッチンから出て来たカイアが困ったように聞いてきて、
「うん。オレは今まで通りギルドで依頼をこなし、ここで皆と、彼らと暮らしてくだけさ。それがオレの幸せ」
そうヒロは笑った。
「まあ、男なんて作るもんじゃないわよ」
言ったのは、赤ん坊を抱いた女性、ラサ。
「ラサさんが言うとなんか現実味がありすぎるなぁ」
と、カイアは苦笑した。
「話が変わるけど‥‥サントレイル国のギルドでちょっと極秘の依頼が提示されててさ」
ヒロがそう話題を変え、
「あの戦闘主義国、オルラド国への潜入調査って依頼」
「まさかヒロ!そんなの引き受けたのぉ?!」
波瑠に言われ、ヒロは首をぶんぶんと横に振りながら、
「まさか!引き受けるわけない。でも、何かしら最近、オルラド国が不審な動きを始めたらしい」
「また、戦争が‥‥?」
カイアは小さく言って、
「わからないけど、嫌な感じだね」
シハルが言った。
(‥‥だとしたら、ジルク様のあの様子。多分、何か知ってるはず。ジルク様もリーネもディンさんも、国の兵士達も、きっと民に知られないように何か準備をしているのかもしれない)
先刻の、何か思い詰めたような表情をしていたジルクの姿をヒロは思い浮かべる。
「それでヒロ、帰って来た時に持ってたでかいぬいぐるみはなんなの?」
ラサに聞かれ、
「ああ‥‥ちょっと、出店でね。かわいいでしょ」
「意外ね。あんたそんな趣味があるの?てっきり中身も男勝りかと思った」
「えー?これはギルドの連中に舐められないように男っぽくしてるだけで、中身は普通に女の子なんだけど!」
ーーなんだかんだそんな談笑を続けて夜になり、ヒロもそろそろ休もうかと思った。
「最近落ち着いてますよね」
と、カイアに声を掛けられ、
「ん?」
「異端者です。ラサさんの赤ん坊以降‥‥」
「ああ、そういえば、ギルドの依頼でも特にないし、街中でも見掛けないね」
ヒロは頷く。
「もうこれ以上、彼らという存在が増えなければいいのにって、僕は思うんです」
「それは、オレも思う。もしかしたら、今もどこかで‥‥ただ、オレ達が見つけれないだけで、サラやカナタ、その後でもたくさん助けれなかった異端者のように、酷い扱いを受けているのかもしれない。結局は、目先にある者しか助けれないんだよなぁ」
ヒロは苦笑して、
「でも、これからもやれること、頑張って行こう。せめて、ここに居る異端者達は必ず守れるように」
そうカイアに言った。
「はい。あの、ヒロさん。ジルク様のこと、無理しないで下さいね。僕はここで数年間ずっと、ヒロさんを見て来たらかよくわかります。ヒロさんは‥‥シハルさんのこともですが‥‥今回のジルク様の件だって‥‥ヒロさんだけが幸せになれないのを見てると、辛いんです」
カイアは三年前からヒロの気持ちに気付いている。
シハルのことも、ジルクのことも。
でも、どちらも結局、なかったことにしていくヒロを見ていると、とても苦しく感じた。
「カイア‥‥。オレはさ、誰かの幸せを奪うのは嫌なんだ。今、この幸せがあるだけで、十分だから。だから、大丈夫だよ。ありがとうカイア!また明日‥‥!」
ヒロは出来るだけ明るい笑顔と声を作って、それから寝室に入る。
シハルは心配そうにその姿を見送り、
(僕も‥‥ヒロさんと同じだ。ヒロさんの幸せを奪いたくないから。だから僕は決して、一生この想いを伝えない)
カイアはそう思い、それから部屋に入って、ヒロ達が救って来た、眠る異端者達を微笑んで見つめた。
ヒロと同じく、今、この幸せがあるだけで十分だった。