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(‥‥あまり眠れなかった)
夜が明けて、形だけの結婚式の日をどう盛り上げようか、どんな言葉を贈るべきか、などと考えている内に朝になり、考えすぎて頭が重たかった。
「‥‥終わったら、私も前に進まなきゃ」
「前にですか?」
ぽつりと呟いたヒロの言葉に、返って来るはずの無い返事が返って来て。
確か先日もこんなことがあった。
ヒロは(またか‥‥)と思い、もう叫ぶ気力も無く、
「あのですねぇディンさん。なぜ平気で寝てる女性の部屋に入って来れるんですか」
そう、椅子に腰掛けているディンに言った。
「変ですか?」
相変わらず悪びれた様子のない彼に、
「デリカシーってもんがないです」
「‥‥うーん。リーネは怒らないけど」
「そりゃ、兄妹みたいなもんだからですよ」
「うーん‥‥」
本気でわからないな、なんて顔をするディンに、
(異端者だけど人間に近いディンさんに欠けてるものって、もしかして常識?)
なんてことを思う。
「それで、本題に戻りますが‥‥なぜ朝っぱらからここに?次会うのは一週間後のはず‥‥」
「そうそう。実は、ちょっと大変なお知らせがあって」
「え?」
それにヒロは目を丸くした。
「遠方ですが、火本(ひもと)の国が昨晩、オルラド国の奇襲を受けたんです」
火本ーー確か波瑠の故郷だったなと、ヒロは思う。
「なんとか夜間の見張りの兵が早めに気付き、被害は最小限だったらしいですが‥‥オルラド国はまた、新たに見たことのないような武具を用いていたとか‥‥」
そう言ったディンにヒロは眉を潜め、
「次は、また別の国を狙って来るかもしれないってことですね‥‥」
「はい」
ーーオルラド国。
大切な友人を奪った国。
次は一体、何を奪う気なのか。
一体、何の理由があってなのか?
正体も存在意味も行動理由も不明過ぎる不気味な国。
それにいつか対抗する為に、ジルクとリーネは命を繋ぎ、対抗する力を用意している。
「もし、サントレイル国が狙われたとして‥‥ジルク様とリーネは無事で済むでしょうか?」
「‥‥」
答えられないディンにヒロは俯いて、
「結局、オレは、何もしてやれないんでしょうか、二人に‥‥一週間後の結婚式、出来るんでしょうか‥‥」
自分には戦争に通用する力も、政治の力も無い。何もできなくて、歯痒くなった。
「‥‥二人のことを、想ってあげて下さい」
掛けられた言葉に、ヒロは首を横に振り、
「そんなんで‥‥」
「雪祭りの日、誤解させてしまいましたが‥‥いざという時にヒロさんはジルク様を助けてくれるんじゃないかと‥‥僕は言いましたよね?」
それにヒロは頷く。
「先日言ったように、三年前にヒロさんに出会ってジルク様は自国に目を向けるようになったし、ヒロさんと再会してジルク様はますます決意したんでしょう。もう、何も失わないように」
その言葉を聞いて、ヒロは目を閉じ、友人達と過ごした情景を、失った日々を思い浮かべる。
「だから、何も出来ないなんて思わないで、ジルク様のことを、リーネのことも想っていてあげて下さい。無事に、一週間後を迎えられるように」
ヒロはそれにようやく微笑み、
「ありがとう」
そう、励ましているつもりなのであろうディンに言った。
それから目を細め、
「じゃあディンさん。オレは着替えるから出てもらっていいですか?」
話に区切りをつけ、そう言ったヒロにディンは頷き、
「その前に、これを」
と言って、ベッドに腰かけたままのヒロの前に立ち、ヒロの後ろ髪をふわりと持ち上げる。
「?」
何をしているのだろうと、不思議そうにヒロはディンの顔を見上げた。彼はにこにこ笑っており、
「似合う似合う」
なんて言った。
「こっ、これは‥‥」
ヒロは首の後ろ辺りに手を伸ばし、自分の後ろ髪が水色のリボンで束ねられていることを確認した。
「やっぱりこうしている方が可愛いですよ」
「‥‥またそんなことを」
やれやれとヒロが苦笑すれば、ディンは困ったように笑って、
「では‥‥ジルク様の件も伝えたし、渡すものも渡せたし、僕は帰ります」
「‥‥はあ。本当に、あなたは唐突な人ですね」
「いきなり結婚式なんてものを提案したヒロさんに言われたくありませんよ」
そう笑って言い返し、ディンはガラッーーと、ヒロの部屋の窓を開ける。
「え、なんで窓から出ようとしてるんですか!?」
「皆さんまだ寝てますよね?入った時、誰にも会わなかったから。だから帰りもこっそり帰ります」
「は、はあ」
まあ、別にいいかとヒロは思い、
「‥‥しばらく会えないんですよね?」
オルラド国の動きがわからない以上、ディンは国から出れないと言っていた。ヒロはジルクとリーネのことも思い浮かべつつ、
「一週間後‥‥絶対、絶対に、ジルク様とリーネの結婚式、開きましょうね!オレ‥‥信じて待ってます!」
そう言ったヒロに、ディンは微笑んで頷く。
ーーそうして、窓から出て行ったディンを見送り、ヒロはディンから貰ったくまのぬいぐるみをぎゅうっと抱き締めた。
(オルラド国が再び動き出した‥‥ジルク様とリーネ、どうか無事で‥‥)
そう願った矢先「ーー!!」部屋の外から大きな声が聞こえてきて、ヒロは慌てて支度をして部屋を出た。
声の先に駆け付けると、共に暮らしている異端者達が過ごす部屋の前で、カイアが何やら切羽詰まったような表情をしていて‥‥
「か、カイア!?どうしたの!?」
ヒロの他にもシハルと波瑠も駆け付けて来て、
「みっ、皆が‥‥居ないんです!でも、でも‥‥」
カイアは混乱した様子で声を絞り出す。
「え!?」
その言葉にヒロは驚き、慌てて部屋の中を見た。
「なっ、なんだこれ?!」
思わずそんな言葉が口から出る。
部屋の中には黒い霧が充満していた。恐る恐るヒロが手を伸ばそうとすれば、
「下手に近付かない方がいい!」
と、シハルに止められる。
「そっ、そうだわ!ラサは?!彼女の赤ん坊はぁ!?」
この場にラサが居ないことに気付いた波瑠が言って、ヒロ達は彼女の部屋へと向かった。
「ラサさん!!」
がチャリーーと、カイアがラサの部屋の扉を開ければ、ラサの部屋中にも黒い霧が充満していて、部屋の中央で彼女は床に膝を着き、虚ろな表情でその霧を見つめている。
「ラサさん!早く部屋から出て!!」
カイアが叫ぶも、
「いっ、嫌‥‥!」
ラサは悲痛な声を上げながら首を横に振った。
「なっ、なんで!いったい何があったの!?」
ヒロが聞けば、
「あの子が‥‥朝起きたら腕の中に抱いていたあの子が、霧になったんだ!!だから、この霧は‥‥あの子なんだ!!」
ラサが何を言っているのかはわからなかったが、先程も異端者達の部屋に広がっていたこの黒い霧。
そして、ラサが言う、赤ん坊が黒い霧になってしまったと言う話。
一向に部屋から出ようとしないラサの腕をカイアは無理やり、力付くで引き、やっとの思いで部屋の外に連れ出して扉をバンッと閉めた。
「何するんだい!!あの子が、あの子が中に!」
「ラサさん!理由はわかりませんがとにかく落ち着いて!あの霧がなんなのか、害があるのかわからない以上、今は安全な場所で状況を整理しましょう!」
珍しくカイアは声を荒げる。
その言葉通り、五人は状況整理することにした。
まずヒロは、先程ディンが来ていて、昨晩、火本がオルラド国から奇襲を受けたという話をする。
その話に、火本が故郷だと言っていた波瑠の表情は暗くなり、同時に、オルラド国が故郷であり、オルラド王に父母を奪われたカイアの表情も暗くなった。
そして、居なくなった異端者のこと。
異端者の部屋にのみ出現した黒い霧。
ラサは赤ん坊が黒い霧になるのを目にしたと言う。
だが、理由がわからない。
「そういえば、ディンさんは大丈夫?」
シハルはヒロの方を見て言う。それにヒロはハッとした。
シハルはディンが異端者だということを知っているーーと、ディンから聞いていたことをヒロは思い出す。
そのことを知らない他の三人は不思議そうな表情をした。
「さっ、さっき会ったけど!!連絡魔法繋げてみる!」
ヒロは慌てて意識を集中させる。
しばらく沈黙が走りーー‥‥
(繋がらない!?)
なかなか繋がらなくて、ついつい気が急いてしまう。
『あれ?ヒロさん?』
「繋がった!!」
ヒロはほっと、安堵の息を吐いた。
『どうしたんです?』
「あっ、あの‥‥!一緒に暮らしてる異端者の皆の姿が無いんです!だから、異端者のディンさんは大丈夫か?!って、シハルが‥‥!」
「え?!ディンさん異端者なのぉ!?」
その会話に波瑠は驚く。
『‥‥僕は何とも無いですが。そうだ、城の中に居る異端者が無事かどうか確認してみます。とりあえず、サントレイル国に着いて、何かわかり次第連絡します』
そう言って、連絡魔法は切れた。
「‥‥一体、どうなってるんだ」
呟いたヒロはラサの方を見る。
我が子の安否がわからない今の彼女は不安だらけであろう。
とにかく今は、この教会外での異端者達の情報を待つしかない。
(最近、異端者を見掛けなくなったことと何か関係があるのだろうか)
幸せになれるよう色々考えていた矢先、それは全く別のものとなってしまった。